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ピンクの呪縛

私は「ピンク」が恐い。

正確には「ピンク」を身にまとうのが恐い。
服なんてとんでもない。
バッグも小物もノートも。

2020年は 3月から美容院が閉まっていて
どこにも行けないし なにかしたくて
自分で 髪の毛をピンクに染めてみた。
私にとっての「清水ダイブ」だった。

ピンクヘアにしたら メイクも変えたくなって
ピンクメイクを研究した。

美容院が営業を再開した夏。
すぐに飽きたピンクヘアも止めて
茶髪に戻した。

ピンクなんてすっかり忘れていた12月。
友人が「数秘術」で 私を観てくれた。

ラッキーカラーは「ピンク」。
「ピンクを身に着けるといいよ」と言われても
私は頑なに拒否した。
絶対に嫌。
「ピンクなんて 死んでも嫌。」

数週間経って 今度は別の友人に
「リーディング」をしてもらった。
私のなかの小さな女の子に出会った
リーディング。

友人の声に導かれて
小さな女の子と対話している時に
「ピンクはタブー」
そんなキーワードが出てきた。

確かに「ピンクが恐い」と
薄々感づいていたけど
それは漠然とした 曖昧な不安で
蓋を開けたら最後
「開封厳禁」のラベルを貼って
ずっと放置してきた。

「ピンクはダメだよ。着たらいけないんだって。」
小さな女の子のわたしが
そっと私に耳打ちしてきた。

「ピンクはダメ」
その声がこだまする。

私は物心ついた頃から
大人びていて
子どもには似つかわしくない
性的な匂いを纏っていた。

性的ないたずらをされることも多く
道で不審者に追いかけられた。
家に警察が事情聴取にきたこともある。

母はそんな私を嫌っていたのか
小さな娘に嫉妬したのか
私の頭をベリーショートにして
少しでも伸びるとすぐに美容院を予約した。

子どもらしい服など 着たこともなかった。

ピンクやフリルや水玉の
少女が好むデザインの服は
一着もなかった。

母がコントロールしてきた髪型や服装は
いつしか私のなかで
「標準」になっていった。
そして息をするように
ピンクを避けるようになった。

いつしか母の洗脳は
私の好みにすり替わっていった。
自然に。ごくごく自然に。

好きな色は?
「紺 白 グレー 黒。」
嫌いな色は?
「ピンクと黄色。
黄色はバカっぽいから。」
ピンクを理由もなく呪ってきた。

そう理由もなく。
当たり前すぎて
細胞まで染みついていて
理由なんて考えたことすらなかった。
小さな女の子に出会うまでは。

「清水ダイブ」しても
「女性性と男性性とは?」について学んでも
さっぱり理解できなかった
ピンクの謎が
一瞬にして腹落ちした。

私が長いこと恐れ
封印した箱が パカッと音をたてて
割れた瞬間だった。

箱の中には
やっぱり小さな女の子のわたしが
膝を立てて座っていた。

「ああ、ごめん。また置き去りにしていたね。」

小さなわたしは
私を睨みつけながら
毒を吐く。

「なによ、今更。笑っちゃう。」
「ピンクの服を着る気になったの?」
「似合うわけないじゃない。着たこともないんだもの。」

私は寂しく感じながらも
小さなわたしの肩を持つ。

「うん。そうだね。わかってる。」
「ピンクの服なんて 自分でも笑っちゃう。」
「似合わないと思うけど 試してみようと思うの。」

小さな女の子は「フン」と鼻で笑う。
でもその横顔には 喜びも見て取れる。

冬のイギリスには珍しく
空が明るくて
ほんのりピンクに染まっている。

恐怖が大丈夫に変わった時。
私はやっと前に進める。


*iPhoneのカメラロールから
ピンクの写真を探しました。
1年で約30000枚近くある写真。
ピンクの写真は10枚以下でした。

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