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読書会という旅・アガサクリスティー「春にして君を離れ」

はじめて大学文芸コース主催の「読書会」なるものに参加してみた。

「読書会」なんとアカデミックで、ロマンティックな響き。映画や海外ドラマでよく出てくるあの「読書会」きっとそれは通り沿いの本屋が併設されたカフェバーで、毎週木曜日の夜に行われてるはず。小洒落たビートニクな人たちが本を片手に集まる会。(イメージ)

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(あくまでもイメージ photo : タケチヒロミ)

せっかく大学生になったことだし、読書会への妄想を必要以上に膨らませつつ、ワクワクしながら参加することにしたのだが、緊急事態宣言が出ているため、はじめての読書会はオンライン開催になった。結局はじぶんの家かい。


課題の本はアガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」


来た! アガサ・クリスティー。そうなのよね。なんかいろんな物語の元ネタとか、けっこうアガサ・クリスティーだったりする。

アイスランドの映画「春にして君を想う(原題:children of Nature)」の邦題の元ネタもこの「春にして君を離れ」なのだろうと推測できる。(ちなみにこの映画は私の人生を変えた映画ベスト1で、この映画を見てイギリス経由でアイスランドに行く途中にウェディングドレスに出会ってしまった)

だからいつかはちゃんと読まないとな〜と思っていた。けど、けどね、これに苦手意識があって、今までアガサ・クリスティーを読めないでいた。

↓これ。

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●登場人物

これが出てきただけで、すっかり読む気が失せてしまう。ただでさえ人の顔と名前を覚えるのが苦手なのに(それで接客できてるのが不思議なんだけど、自分のお客様のことは完璧に覚えられる)映像もない文字情報だけの小説で、果たして登場人物の関係性を理解できるのか、読む前から不安になるのだ。

はっきり言ってもうこの表紙をめくった時点で気持ちが萎えそうになっていたのだが、憧れの「読書会」に参加するため、なんとか気持ちを奮い立たせて読むことにした。

「春にして君を離れ」あらすじ

文庫本の裏表紙にはこのようなあらすじが書かれている。

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンティック・サスペンス。解説:栗本薫

ふむふむ。良妻賢母な女、バグダットからイギリスへの旅、友人との出会い、愛の迷い、ロマンティック・サスペンスね…。

この字面を見た私の脳内では「平凡な主婦が旅先で出会った人とのロマンティック・サスペンス」的なめくるめく愛の逃避行ストーリーが勝手に展開され、ワクワクしながらページをめくった。

ところが、しばらく読み進めて行くうちに、どうも奇妙な違和感を感じるようになる。劇的に誰かに出会ったりすることもなく、ほとんどこの主人公の心の動きを中心に描いているのだが、主人公の感情と現実が少しずつズレていく。

その妙な居心地の悪さの正体を早くはっきりさせたくて、ページをめくるのが止まらない。そして読んでいるうちに、主人公だけじゃなくて私の心まで砂漠の駅に閉じ込められているような気持ちになる。

バグダットからイギリスへ戻る途中で足止めされた砂漠の駅の宿泊所。乾いていて、空虚で、どこにも辿り着かない場所。そこで缶詰の鮭にベークドビーンズ、固茹での卵を来る日も来る日も食べていたことが、かつて私にもあったような。もちろんそんなはずはないのだけれど、そんな風にまで思えてくるのだ。そしてもしかするとこの主人公は私かもしれないと。

ものすごい筆致、そして説得力。これがアガサ・クリスティーなのか。


作品の背景

読書会では講師の先生が、作品の背景を教えてくれる。この作品は実際にアガサ・クリスティーが鉄道旅の途中で足止めにあった体験から生まれていること。アガサ自身は二度の結婚をしているのだが、一度目の結婚相手の浮気が発覚した後で失踪をしていること。

それを聞くと、作品がまた違った意味合いに感じられてくる。現実がいちばんのサスペンス。

旅の途中で足止め

旅の途中で足止めと聞いて、そういえば、と思い出すことがあった。

前述の映画「春にして君を想う」の映画の舞台の島に行ってみたくて、6月にアイスランドへひとり旅をしたことがある。舞台の島アダルヴィークへは、アイスランドの首都レイキャビクから長距離バスで10時間、フィヨルドの港町からさらに船に乗り換えて向かう。ところが、6月なのに氷で閉ざされていて、船が出ていないという。私は次の船が出るまでの3日間を、フィヨルドの麓の小さな港町で過ごすことになった。

小さな小さな港町に、突然見知らぬアジア人がひとり。話し相手はなく、「孤独」以外のなにものでもない。しかも白夜なのでずっと明るくて、1日がものすごく長い。意味なくフィヨルドを散策するが、特にすることもなくて、誰もいなかったので大声で細川たかしの「北酒場」を歌ってみた。北国の港町といえば演歌でしょ。フィヨルドの麓で演歌を歌う女。

次の日、港のカフェで「きのうフィヨルドにいたでしょ」と声をかけられた。やばい。この町では私の一挙手一投足が把握されてしまう。そこで大人しく、宿で日記を書いて過ごした。結局三日たってもまだ雪は解けず、私は島へいくことができなかった。ただただ長い内省の時間だった。

その長い内省の時間を経て思ったのは、意外にも「仕事がしたい」ということだった。あんなに仕事が嫌で休みたかったのに。どんなに楽しくても、旅はさらりと通り過ぎるだけ。そんな風に表面をなでるような生き方じゃなくて、もっと人と関わって生きて、仕事をして、誰かに喜んでもらいたいとあの時思ったんだった。

ああそうか。だから「こんなこと私にもあったような」って思ったのか。乾いた砂漠と雪に閉ざされたフィヨルド。全く状況は違うのに、既視感を呼び起こす文章力。ことばが私の記憶の中にまでぐいぐい踏み込んでくる。やはりただものじゃない。果たしてこんな文章が私に書けるのだろうか。私はえらいところに足を踏み入れてしまったのかもしれない。

自分以外の参加者の感想を聞いて

結局、「春にして君を離れ」は、私の当初の予想を見事に裏切り、愛の逃避行の物語ではなかった。

しかし、読み取り方によっては、超絶ロマンティックな恋愛小説とも取れるし、怖ろしいサスペンス小説だとも言える。実際に読書会に参加した人の意見もさまざまで、実にいろんな解釈や見解があった。

アガサ・クリスティーの作品をよく知る人からは、「これは他のミステリーとは確かに異なる作品だけど、明らかにミステリーである」と言っている方もいらっしゃった。いろんな読み取り方があり、ウンウンと頷いたり、へ〜そんな考え方もあるんだ、と感心した。そして他の参加者の見解によって改めて、自分が感じたことの発見があったりする。それを踏まえてもう一度、この本を読んでみたくなった。

はじめての、興味深い体験だった。

何よりも、この「読書会」がなければアガサ・クリスティーを読めていなかった。出会えてよかった。


読書もまた旅だな。

私には、旅をしていない場所がまだまだたくさんある。


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(英ブライトン駅にて photo : タケチヒロミ)







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ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!