竹内孝治|マイホームの文化史

元・住宅営業マン。住宅産業や住宅計画について教育したり、来歴について調べたり、書きもの…

竹内孝治|マイホームの文化史

元・住宅営業マン。住宅産業や住宅計画について教育したり、来歴について調べたり、書きものをしたり。現在『マイホームの文化史(仮)』執筆中。noteにはあれこれ思いついたり考えたりしたことを記録してます。

マガジン

  • 戦後日本の居住文化

    間取り集、家相本、日曜大工・・・。戦後日本の居住文化を紐解くことで、わたしたちにとっての住まいを再考します。

  • 戦後教育のなかの「住宅」

    戦後、日本の再スタートにあたり、未来をになう人材の育成をめざして展開した生活単元学習。児童・生徒の生活に直結した「住宅」が社会や図工、さらには理科や数学でも登場しました。子どもたちが「住宅」を学んだ時代をさぐります。

  • 住宅産業論ノート

    住宅産業やハウスメーカー、プレハブ住宅に関する過去・現在・未来を通して、これからの住まいを考える試みです。

  • 現代建築史ノート

    現代建築についてあれこれ思ったこと、考えたこと、調べたことをとりとめもなく雑多なままに書き出したノートたちです。

  • 子育て観察ノート

    子育ての観察、子育てがキッカケの観察、子育てする自分の観察などなど、娘あって気づいたことを記録します。

最近の記事

「ローマ字の日」に読みたい原浩『家-建築の話-』|大きな夢を描くために

今日、5月20日は「#ローマ字の日」。 戦後教育改革期の文部省著作ローマ字教科書『MATI』(1949年)と『WATAKUSITATI NO MATI』(1948年)。挿絵に味があって、とってもかわいい街並みや建物の絵が掲載されています。日常の生活や社会を題材にローマ字を学ぶ。当時、こうした教科書に依りつつ初等教育でのローマ字教育が一時期積極的に展開されました。 戦後、日本では戦時中に流行した煽りの効いた「生硬な漢語の羅列」を「封建的」と見なして、文体・表記法などの合理化

    • 1961年5月10日、家を買う|稲沢市中ノ庄土地付分譲住宅契約書類を読む

      今日、5月10日は家尾勝太さん(仮名)が愛知県稲沢市「中之庄団地」の分譲住宅を購入した日です。過日ヤクヲクで入手した分譲パンフに売買関係書類がはさまっていたため確認できました。契約日は1961年の今日。63年前の出来事。 「稲沢市中之庄土地付分譲住宅」は、現在も東海地区で分譲マンションや戸建住宅を手掛ける内田橋住宅(当時は名古屋市熱田区に所在)が1960年に内田橋木材から住宅部門を独立させて以後初となる分譲住宅事業でした。 愛知県稲沢市中之庄に全220戸が建てられたといい

      • 大黒柱をささえるママへ|1966年『パパと健康』を読む

        今日のジャケ買い。近藤宏二『パパと健康:フジサワホームドクター』(藤沢薬品工業、1966年)。高度成長まっただなか。民間銀行による住宅ローンが普及しはじめた頃の本です。 発行元は藤沢薬品工業で非売品とあるので、たぶん販促品として簡易的な家庭医学書として頒布されたもののようです。おなじシリーズに『赤ちゃんと健康』を確認済で、ひょっとしたら『ママと健康』もあるのかも。 で、この『パパと健康』という書名がなんとも秀逸で、家庭での健康管理という主旨であったり、そもそも読者想定され

        • 植田展大『「大衆魚」の誕生』から「マイホーム」の誕生を妄想する

          待ちに待った新刊、植田展大『「大衆魚」の誕生:戦間期における水産物産業の形成と展開』(東京大学出版会、2024)。 全国で日常的に大量の水産物を消費するようになったその萌芽=大衆魚の誕生を戦間期にみる試みです。 ただ、そうした展開は当然とつぜん生まれたものではなく、その萌芽が戦間期にみられたという見立て。そこで本書は「日常的に水産物を消費する生活」を可能とした萌芽を、需要と供給の両面から明らかにします。戦後高度成長に連なる新たな消費生活の原型がそこに浮かび上がるというワク

        「ローマ字の日」に読みたい原浩『家-建築の話-』|大きな夢を描くために

        マガジン

        • 戦後教育のなかの「住宅」
          8本
        • 戦後日本の居住文化
          56本
        • 住宅産業論ノート
          42本
        • 現代建築史ノート
          30本
        • 子育て観察ノート
          21本
        • 絵本読み聞かせノート
          22本

        記事

          高度経済成長期の「受胎告知」|1961年「ナショナルテレビ・カタログ」を読む

          たまたまヤフヲクで手に入れた松下電器産業「ナショナルテレビ・カタログ」。1961年版のそれは、ポータブルタイプのものから、ステレオテレビ、カラーテレビなど各種商品が掲載されたものです。 その表紙にはテレビをはさんで男女がなんとも不自然なかっこうで写っていて、構図にこだわった絵画みたいだなと。ああ、そうだ、これはまさにバルテュスの「トランプ遊び」では中廊下と気がつきました。 松下電器産業のカタログは1961年。そしてバルテュスの「トランプ遊び」は1973年の制作です。 日

          高度経済成長期の「受胎告知」|1961年「ナショナルテレビ・カタログ」を読む

          あたらしい「しきたり」|塩川弥栄子『冠婚葬祭入門』を読む

          戦後日本の住宅を再考するためには「新婚住宅」について調べなければ、という問題関心の一環(というか脱線)で「ブライダル」関連本のほか、最近すこし「冠婚葬祭」本にも守備範囲を広げています。 たとえばこれ。1970~71年にかけて光文社「カッパ・ホームス」シリーズから出版された『冠婚葬祭入門』正・続・続々3冊(1970-71)、さらに姉妹編『図解冠婚葬祭』(1971)は4冊合計700万部のベストセラーとなったのだそう。 著者の塩月弥栄子は裏千家14代家元・千宗室の長女。茶道研究

          あたらしい「しきたり」|塩川弥栄子『冠婚葬祭入門』を読む

          ぼくは王子様になったようだ|1960年代、プレハブ勉強部屋という「お城」

          ヤフヲクで入手した古雑誌をつれづれなるままにペラペラめくっていたら「永大の勉強部屋」(永大産業)の広告を発見してものぐるほしけれに。キャッチコピーは「ぼくは王子様になったようだ」(週刊サンケイ1966.12.26)。 大和ハウス工業の「ミゼットハウス」(1959)のヒットは、その後に類似商品乱立を招きます。この「永大の勉強部屋」(1960)もその一つ。 「ぼくは王子様になったようだ」という文字がおどるこの広告は、同社が開催した懸賞作文募集「僕たち私たちの勉強部屋」の最優秀

          ぼくは王子様になったようだ|1960年代、プレハブ勉強部屋という「お城」

          「建築家住宅」批判の語られ方|「家は建てたが…」座談会から小島信夫、山口瞳の家づくりまで

          建築家に依頼して自邸を建てた文化人たちが、いかにヒドイ家を建てられ憤慨しているかを語り合ったセンセーショナルな座談会「家は建てたが…:建築家にもの申す」が月刊「婦人朝日」(朝日新聞社)1956年2月号に掲載されました。発刊早々に話題となり、「藝術新潮」や「文藝春秋」など複数の雑誌をまたいだ論争状態へと展開していきました。 この論争のなかで紡がれた言葉の数々は、現在でも折に触れて話題になる「建築家が設計した家は住みづらい」とか「施主の住まいを自分の作品にしている」とか「有名建

          「建築家住宅」批判の語られ方|「家は建てたが…」座談会から小島信夫、山口瞳の家づくりまで

          「鳥羽の日」に思いをはせる円形ホテル「鳥羽観光センター」と戦後の「観光」

          10月8日は「木の日」であるとともに「鳥羽の日」です。 三重県の鳥羽といえば「鳥羽SF未来館」ですが、それに匹敵する名所(※独断と偏見によります)が円形の不思議なかたちをしたホテル「鳥羽観光センター」(現存せず)。 鳥羽がロケ地のドラマ「探偵物語」第21話「欲望の迷路」(1980年2月12日 放映)をあらためて視聴してみたら、松田優作と風吹ジュンの背後にチラリと「鳥羽観光センター」がみえます。あ、ぶらじる丸も。 古い伊勢志摩関連観光パンフや旅行雑誌・記事などをペラペラめ

          「鳥羽の日」に思いをはせる円形ホテル「鳥羽観光センター」と戦後の「観光」

          伊勢湾台風から64年|竹内芳太郎「海の中の干拓地」と小菅百寿『農村のブロック建築』を読む

          9月26日で伊勢湾台風から丸64年を迎えました。真珠筏を心配した祖父がこの台風で亡くなったことを、いまは亡き祖母から度々聞かされて育ったこともあって「いせわん台風」は特別な響きでもって記憶に残っています。 竹内芳太郎と鍋田干拓農村建築研究の大家・竹内芳太郎(同じ竹内姓ですが全く無関係)の米寿記念に編まれた『野のすまい』(ドメス出版、1986)には長短さまざまな文章が集められていて、そのうちの一つに「海の中の干拓地」という小文があります。 海を埋め立てた土地であるはずの「干

          伊勢湾台風から64年|竹内芳太郎「海の中の干拓地」と小菅百寿『農村のブロック建築』を読む

          救援物資にもなった組立家屋|キートンの短編映画「文化生活一週間」をみる

          里見弴の小説「極楽とんぼ」(1961)にこんな文章が登場します。 さらにこう続きます。 この「救援物資」とは、関東大震災で甚大な被害を受けた日本を支援すべくアメリカから贈られたもののこと。当時「レデーメードハウス」「出来合建築」などとも呼ばれていた「組立家屋」も「一番の大物」として注目されたそう。アメリカ製の「組立家屋」は「バンガロー式」と呼ばれる小住宅で、1920年代前半には日本へもちょいちょい移入されていました。その一例、神奈川の内藤彦一邸(1920)はシアトルにある

          救援物資にもなった組立家屋|キートンの短編映画「文化生活一週間」をみる

          『夢の新婚住宅をあなたも|戦後家族のつくられ方』【妄想企画メモ】

          たまたま名古屋松坂屋がたぶん1960年代後半に出してたと思われるカタログ『FOR YOUR Bridal』を手に入れました。タイトルのとおり、これから結婚式を挙げようとするふたり向け商品カタログです。というか正確には「ふたり」というより新婦となる女性向けの編集になっています。というのも最後のページにあとがき的に記された「きょうを大切に」という文章にこうあるので。 令和のいま読むとドキッとする「性別役割分担」節炸裂ですが、当時としてはむしろ姑のいる「家」に入るのではなく「新し

          『夢の新婚住宅をあなたも|戦後家族のつくられ方』【妄想企画メモ】

          「家庭」写真の写し方/近代「家族」のつくり方|1950年代写真マニュアル本を読む

          写真はまったくの門外漢で、スマホ撮影のみな日常ですが、ひょんなことから「家庭写真」本をコツコツ収集することに。その動機はというと至って月並みでドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)から。「マイホーム」の歪みがクローズアップされた1970年代。水害が「夢」と「拘り」をあぶりだします。妻・則子が夫に投げつける叫び。「綺麗事のアルバムとこの家だけが大事なんだわ」。 綺麗事のアルバム1974年9月1日、台風16号にともなう豪雨によって多摩川が氾濫。狛江市周辺の堤防が決壊し、隣接する

          「家庭」写真の写し方/近代「家族」のつくり方|1950年代写真マニュアル本を読む

          「箸の日」に読みたい民俗学者・高取正男「生活の知恵」|ボクのお茶わん・ワタシのお箸

          8月4日は #箸の日 です。 1968年から69年にかけて朝日新聞に連載された「生活の知恵」には、その名も「箸」と題された第2回含め、日本人の箸への感覚と、その意識がもつ文脈をわかりやすく説かれています。書いたのは民俗学者・高取正男。 たとえば連載第1回目はこう説きはじめられます。「『ボクのお茶わん』『ワタシのお箸』などといって、茶わんと箸だけは、それぞれ個人用のものをきめている家庭は多い」。でも西洋料理や中華料理はそうではない、と。 なぜ、そんなことをしたのか?高取は

          「箸の日」に読みたい民俗学者・高取正男「生活の知恵」|ボクのお茶わん・ワタシのお箸

          文化国家の子どもたちへ|田辺平学の児童書『世界の家:21のナゾ』を読む

          1922年、東京帝大建築学科を卒業した若き建築学者・田辺平学は、同年9月、建築構造学の研究を深めるべくドイツ、イギリス、そしてアメリカへと2年間留学する機会を得ました。日本から遠く離れたドイツの地で田辺は後の人生を大きく変える2つの体験をしたと、後に著書『耐火建築』(資料社、1949年)に書き留めています。 ひとつ目の体験は、留学先でたまたま遭遇した火災現場でのこと。「火事だッ!」と叫び声が上がり、消防車が到着。無事鎮火に至るその一連の光景に田辺は衝撃を受けます。しかし、野

          文化国家の子どもたちへ|田辺平学の児童書『世界の家:21のナゾ』を読む

          あの家もやっとうだつが上がった|民法学者・中川善之助の「うだつ」を読む

          出世しないとか、お金に恵まれないなどの境遇を指して用いる慣用句「うだつが上がらない」。よく徳島県美馬市や岐阜県美濃市の古い街並みなどで有名な「卯建」を説明する際に言及されたりします。でも実際のところ、この「うだつが上がらない」で引き合いにだされる「うだつ」が何を指しているのかは諸説があるのだそう。 「うだつくん」的な防火壁&ステータスシンボルとしての「卯建」のほかにも、「梲(うだつ)が上がる」という言葉が「棟上げ」を意味することから、転じて「志を得る」意味になったとか、梁の

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