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試練の意味 

僕ら覚醒者は、「陰謀論」を調べて様々な事に気づき、ここ数年、多くの苦しみを経験してきました。

真実に気づき、周りの大切な人をただ助けたかっただけなのに、理解されない。

コロナというデマ病のせいで、ワクチンによる家族関係の悪化、離婚、友人との別れ、大切な家族との別れ、そして屠殺される為だけに生きてきた人生に気づくというこれまでの人生を全否定される衝撃の事実。

僕は、昨年4月から今年にかけて、世界で最も大事な人との死別という心の許容量を遥かに超えてくる試練の時期となりました。

正直な話、自殺という言葉が何度も頭の中を駆け巡っていました。

「復活」に気づくまでは。

今回は、僕らは、なぜこの様な「試練」に遭わなければならなかったのか、覚醒者にとって、「試練」とは何なのか、希望が持てる記事となっていますので、最後まで読んでいただければ幸いです。

エリーちゃんの死


エリーちゃん

2022年、9歳の少女エリー・ガルシアちゃんは、児童19人を含む21人が死亡した米テキサス州ユバルディの小学校で起きた銃乱射事件の犠牲者の1人です。

事件が起きなければ、間もなく10歳の誕生日を迎えるはずでした。

エリーちゃんの父スティーブン・ガルシアさんは事件後、エリーちゃんが生前、自身のSNSに投稿していた福音を伝える短い動画や、ベッドに横になって祈る写真など、最愛の娘との思い出をSNSに投稿しました。

「ねえ、みんな。少し話を聞いてもらいたいの」。エリーちゃんはそう切り出すと、「イエス様は私たちのために死なれました。だから、私たちが死んだら、イエス様と一緒にそこにいることになるのよ。私の部屋には、イエス様の写真が3枚あるわ」と、自身のティックトックに投稿した15秒の短い動画で、端的にイエス・キリストを信じる信仰を証ししています。

スティーブンさんは事件翌日の25日、「なぜ、なぜ、なぜ・・・」という短いコメントと共に、娘が生前に投稿したこの動画を自身のフェイスブックに再投稿しました。

動画は100万回以上再生され、「彼女の魂に神様の安らぎがありますように」「神様はきっと両手を広げて彼女を迎えてくれたはず」など、2千件を超える追悼のコメントが寄せられました。


スティーブンさんは27日には、ベッドに横たわり、手を合わせて祈るエリーちゃんの写真を投稿しました。

ベッドの横には、大きな緑色の十字架の置物も見える。スティーブンさんは当時のことを振り返り、次のようにつづっています。

「彼女は毎晩大声で祈るので、私たちも一緒に祈ることができます。この日、私たちはちょうどランプを買ったのですが、彼女はそれをつけたまま眠りたかったのです。だから彼女は、母親がキッチンでお菓子を作っている間に、エアマットレスに空気を入れ、私たちにハグとキスをして、祈りに行ったのです。この思い出だけが、私に残されたすべてです」


これも霊的に砕き、魂を成長させる為の「試練」と捉えるべきなのかもしれませんが、愛する娘を亡くした父親に、そんな言葉が響くはずもないのです。

「自分が成長するために、なぜ娘が殺されなければならないのか」

こう思うのが普通ではないでしょうか。

このエリーちゃんの写真によって、多くのクリスチャンの信仰が傷つけられました。

「本当に神様は見てくれているのだろうか、試練ってなんなんだろうか」

「神様は耐えられない様な試練を与えることはないというけれど、このエリーちゃんの死は耐えられるから与えられているのか?」

色んな疑問がでてきますよね。

自分が当事者でない時には、いくらでも教理を語る事ができます。

しかし、自分が当事者となったら「神様は本当にいるのか」と疑問を持っても仕方ないでしょう。

無神論者の方の中に、神様がいない理由として、「神様がいたら、こんなに酷い事件や戦争で人が殺されたりしないでしょ」と仰る方がいます。

僕も、どちらかというと無神論者だったので、これまではそう思って生きてきました。


試練はなぜあるのか?



試練


この世は苦しみが満ちた場である


そもそも、僕らが「平和」だと思って生きてきた、この世は「地獄」でした。

みなさんも、ご存知だと思いますが、Qプランの大きな目的の一つに、子供達の救出があります。

悪魔崇拝に捧げられた子供達、アドレノクロムを搾取される為に拷問を受けて殺された子供達がいます。

日本だけでも、子供の行方不明者が年間1万8000人となっていたそうです。

米国では、牛乳のパッケージに行方不明者の子供達の顔写真があります。


これまでの世の中は、エンリル「悪魔」が支配してきた世界という事もあり、苦しみしかありませんでした。

僕らの人生の苦しみの原因となっていたもの、それは「死」と「お金」です。

戦争、飢餓、疫病、全ての元凶はエンリル、そして彼を崇拝している悪魔崇拝者と呼ばれるエリートによって、僕らの苦しみは作られていました。

このコロナ禍で、嫌という程に僕らは味わってきたのではないでしょうか。

目先のお金に踊らされて、人としての何かを失ってきてしまった人々。

医療従事者、病院経営者、製薬会社、飲食店経営者、大企業、教育者、マスメディア、インフルエンサー、不動産、金融、葬儀社、自治体、政治家、芸能人。

彼等は人の死を利用して金儲けをしてきた連中です。

彼等の多くは、今後のニュルンベルク裁判で有罪となるでしょう。

既に裁かれて、この世にいない人も多くいますね。

お金を得るための労働、これもお金に支配されていると言っていいでしょう。

そして、極めつけが死後までコントロールされていた「輪廻転生システム」こそが、この世が地獄だったという証拠なのです。


聖書における「試練」の意味を持つ言葉


聖書

1.訓練 (パイディア)なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。(ヘブライ人への手紙12章6節

2.試練(ペイラスモス)あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 (ペトロの手紙一 1章7節)

3.苦難(パセーマ)すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである(ピリピ人への手紙3章10~11節)


4.患難(スリプシス)
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネによる福音書 16章33節)

この順序は、上から神が意図的に与える試練の回数順となります。


世の中にいくらでもありふれた出来事で、魂を磨く事を「訓練」。
どの様な種類における苦しみも益として乗り越えていく事に意味があります。

つまり、魂の成長度に合わせて神が与えた「試練」という事になります。

死を経験する必要があった魂、大切な人を失うことで磨かれる魂、そこまで苦労しなくても、ここまで辿り着いた魂。

人それぞれですが、全て「神の国」へと辿り着くために必要な事だったのではないでしょうか。

僕も患難と呼べるほどの試練を味わいましたので、これで5次元世界へと向かう事ができるんだろうなと思います。


聖句には「試練」について、こうあります。

 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
(コリントの信徒への手紙10章13節)

それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。(10章14節)

偶像礼拝、つまり悪魔崇拝を避けなさいという事なんですね。

悪魔崇拝とは、何も悪魔崇拝の儀式を行うことではありません。

拝金主義も偶像崇拝の一つです。


つまり、この神が与える試練とは、「魂」を磨くための試練ということではないでしょうか。

魂を磨く為の試練ならば、必ず逃れる道もある。
しかし、偶像崇拝(拝金主義等)を行えば、耐え難い苦しみとなる。

僕は、魂を磨くという事は、どれだけ無償の愛を隣人に与えることができるかという事なのではないかと思います。

「アミ、小さな宇宙人」によりますと、進行社会では災害時に愛の度数が高い人だけ救出していたと書かれてあります。

つまり、死別、病気、怪我、離婚、離職、いじめ等といった人生における様々な試練に対して、どう乗り越えるか、その経験を通して学び、どれだけの人々に無償で愛を与える事ができるか、人生を通して魂を磨いてきたんだと思います。

地球は魂の修行の場だと、斎藤一人さんから教えていただきました。

僕も、死別に悲しんでいる覚醒者のお役に立てればと思い、ここまでブログを書いてきました。

祖父、祖母との死別を経験する事も、このブログを書く事も、聖書を勉強することも、全ては「魂」の成長の為に必要な事だったのでしょうね。

「全ての事に意味がある」
この陰謀論界隈のあるインフルエンサーは、「僕らの人生は何の意味もなかった」と言い放ちましたが、僕はそう思いません。

全ては、5次元世界へと上昇する為に、様々な苦しみも必要な出来事だったのではないでしょうか。

酷い亡くなり方をされた方々は、宇宙の法則では返報性の原理というものがありますので、前世でのカルマ解消といった事もあるのかもしれません。

僕が18歳の誕生日に、祖母から手紙をもらいました。

そこには、こう書いてありました。

「人生は苦しみばかり。だけど、それを乗り越えてこそ本当の幸せに辿り着く。頑張りなさい」

祖母は、浄土真宗でしたが、聖書を知らなくてもモーセの十戒を守っていましたし、本質的な魂の修行も理解していて、やはりキリスト者だったんだなと思います。

祖母は亡くなる1ヶ月前に、脳梗塞となり口がきけない状態で、遺言を聞くことはできませんでしたが、5年前の肺炎時に「なら、頑張らなんたい」と遺言の様な言葉をかけてくれたので、終わりの日まで、みなさんにブログを通して「希望」を届ける為に頑張りたいと思います。

残り少なくなってきましたが、終わりの日まで、ブログは書き続けようかと思います。

もう書くことをやめようと思いましたが、こんな僕にもまだ伝える事があるのかもしれないと思っています。


それでは、今回はここまで。
ありがとうございました。





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