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『ヴィンスサーガ』はロックのモノポリーとなるのか?

1984年から始まったWWFによる全米マーケット制圧は当時、ヴィンス・マクマホンによるアメリカンプロレスのモノポリーと呼ばれた。翌1985年に開催されたレッスルマニアも今年で40年記念大会を迎える。非公式ながらこの40年を私は『ヴィンスサーガ』或いは『ヴィンセントサーガ』と定義する事にした。創成期から10年近く続いたハルカマニア長期政権の反動と混沌は難産の末にストーンコールド『Attitude』ERA という第2黄金期を迎える事でアメプロ版三国志を終結させた。この波乱の20年を安全運転でもう一度繰り返すというヴィンスのエゴがこの40年の『物語』を創りあげてきた原動力であった。その念願のゴール間近に起きたWWE買収とスキャンダルによる役員解除はヴィンスが支配してきたこの壮大なゲームを一瞬でひっくり返す新しい支配者誕生の瞬間でもある。

ストーンコールドスタナーでリング上でのKO姿を晒した瞬間にヴィンス・マクマホンの虚実は境無く入交り名実ともに絶対権力を持つ悪のオーナーという存在を確立し現在に至る。WWEの最高傑作と謳われるジ・アンダーテイカーの存在は分散継承された様に、ヴィンスもまた息子シェインと娘ステファニーとその婿殿『ザ・ゲーム』HHH=ポール・レベック氏に継承されるものだと漠然と考えられてきた。もう何年も続いたその準備期間を一瞬で『ザ・ロック』ドウェイン・ジョンソンがWWEとUFCの統括会社TKOの役員に就任した事で手に入れてしまうのかもしれない。金曜日のレッスルマニアプレスリリースを前にザ・ロックもまた虚実、名実を超えた時空にその身を委ねる覚悟を見せた。『コーディ・クライベイビー』発言である。

ハルク・ホーガンがアイアン・シークを破ってWWF(当時)王者になった1984/1/23 MSG大会はヴィンスによる全米侵攻の起源という意味でも『レッスルマニア・ZERO』と定義すべきである。一方年を跨いだ事で関連が希薄に感じられるがこの僅か2か月前 1983/11/24 ノースカロライナのグリーンボロコロシアムで開催された『スターケイド』でもリック・フレアーがハーリー・レイスを破ってNWA世界王座を奪還している。これも歴史的にあまり語られる事が無いがこの日はブリスコ兄弟をリッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドが破りNWA世界タッグ王座を奪取している。
プロレス界で世界最大の組織とされたNWAもこの時点ではジム・クロケットJrプロモーション体制に移行直後のビッグイベントで実はWWFよりも早くにPPVイベントで世代交代を演出していたのである。そしてこれがその後のアメリカンプロレスを二分してきたホーガンvsフレアーという価値観論争の起源でもある。レッスルマニアが 1985年より開催された事を考えると、この2つの大会は『Ⅹ』の『物語』ZEROとも言える。

ではハルク・ホーガンに対するリック・フレアーの関係に該当するヴィンス・マクマホンのライバル的な相手は誰だったのか?当初こそはスターケイドを主催した当時は共に2代目の『Jr』を襲名していたジム・クロケットJrだったのだが今やその名前を思い出す方も少ないだろう。社会的肩書や株式保有数だけでは判らない怨念の様なモノがそれを現す時がある。ヴィンスにとってそれは、”ミリオンダラーマン”テッド・デビアスというギミックの従者につけられたバージルに込められていた。スターケイド後のNWAで現場を仕切っていた(90年代の長州力に近いイメージか?)ダスティ・ローデスの本名バージル・ラネルズこそがハルカマニア時代のヴィンスの宿敵だったと言える。余談だがバージル役を演じた名も無きレスラーは nWo 全盛期にはWCWに移籍しヴィンセント役を演じている。これは Attitude ERA時代の宿敵エリック・ヴィショップがヴィンスの正式名ヴィンセント・ケネディ・マクマホンから拝借した怨念ジョーク返しである。その最初の宿敵ダスティ・ローデスの息子が40年に渡る『ヴィンセントサーガ』のクライマックスに現れた事こそがコーディの語る『物語』の完結であるからこそ、観客たちは無意識的に『X』の『物語』の主役としてもコーディを選んだ。

かつて『NWA世界王者のスケジュール並みに忙しい』という表現がプロレスマニアの間では通用した。ある時代までNWA世界王者は全米各地に存在した傘下のテリトリーを転戦するハードワーカーであり、その大役は各地のベビーフェースの良さを最大限引出しできる試合巧者達に委ねられてきた。
一方全米侵攻前のWWF(当時)はそのNWA傘下だった時代も含めて主にニューヨークMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)という特殊な地域のファンを熱狂させる怪力タイプの主役レスラーが王者も兼ねていた。
そうなのである!私自身もわかったようで半分も理解して無かったと恥ずかしくなるが。。。『X』の『物語』とは 1984年から始まったヴィンスの全米侵攻前から既に存在していたWWF(当時)に対するNWAであり、突き詰めれば世界都市NYに対するその他全米という図式をも現す。そしてそれは2024年現在では世界の誰もが窮屈に感じているグローバル世界の課題1:99の縮図でもある。

『ヴィンスサーガ』はこれまで10年単位で4人の主役を選択してきた。
最初の少年ファン開拓期はハルク・ホーガン、最初の成長した彼らへの姿勢期にはストーンコールド・スティーブ・オースティン、2回目の少年ファン開拓期はジョン・シーナ、2回目の成長した彼らへの姿勢は『黒髭』ローマン・レインズである。改めてこの4人を並べて観た際に驚くべき事実が浮き彫りになった。もしレッスルマニアXLでザ・ロックが『黒髭』ローマン・レインズの挑戦者に決まったとしたら。。。この4つの10年の主役達全員をレッスルマニアの大舞台でザ・ロックが飲み込んでしまう事になるのだ。
ローマ数字で10を現す『X』の『物語』をこれまでの項で語ってきたが、実はレッスルマニアには他にトランプでの1を現す『A』の『物語』も存在する。1回目の主役がホーガン、21回目がシーナ(メインはバティスタだったが)、31回目が『黒髭』ローマン(セスがMITB成功したが)というその後のエースを宣言するリスタートの『物語』だった事が歴史的に証明している。では11回は?となるがそれが唯一見えない混沌時代だったという事である。だからこそストーンコールドという乱数が発生したのである。
そしてもう一つの数字こそがザ・ロックに与えられた運命であった。

英語圏文化にとって数字の9を現す象徴は『Ⅸ』であるが、単に話を面白くしたいだけの理由でここは強引に村上春樹さんから『Q』を拝借する。
『Q』の『物語』とは『X』に反発すべく10年の決着戦であり、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンこそがその主役に選ばれた存在である。
WM1Qでは同時代のライバルであるストーンコールドにWM3度目の対戦で遂に初勝利した。その後KOとのワンマッチがあったとは言え事実上この試合はストーンコールドの現役ラストマッチとして受け止められている。
WM2Qでは前年の借りを返されたもののこの世代の主役ジョン・シーナにたすきを繋ぐようでいて実はこの時代さえもロックは飲み込んでしまった。
WMQでハルク・ホーガンはヨコヅナを介して時代を巻き戻してしまった。
この時代にはまだ間に合っていないロックだったがその『Q』年後のWM18(WMQ×2)で nWo 時代にはスティングやゴールドバーグが果たせなかったハルカマニアを復活させた上で時代のたすきを受け取っている。
だからこそ本来ならば『黒髭』レインズとの4世代制覇を狙った『Q』の『物語』は昨年のWM3Qで行われるべきであったのである。
もちろんこんな数字はあくまで強引に辻褄合わせをしただけに過ぎない。
しかし歴史に名を遺す王や皇帝達はそんな強引な偶然こそを天命であるかのように演出してきた。それこそが『神話』の本質である。

ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンは『Q』の『物語』での『英雄』として『ヴィンスサーガ』に名を刻むよりも、新しい『物語』の創造を無意識の内に覚悟したのかもしれない。それはプロレスラー『一族』によるプロレス界の支配の時代である。私はロックvsレインズが噂された時からボンヤリとレッスルマニアXL以降もレインズの王座保持記録は続くのでは無いかと思っていた。ホーガンから時代のたすきを受け取ったロックだが、ジョン・シーナにはそれを渡したようで渡してはなかった。そしてそれは新しい長である『黒髭』ローマン・レインズに渡す事で『一族』に継承される。
マクマホン家に受け継がれてきたNYのビジネスは、世界規模に膨張した上で『一族』による『新時代』を迎える。それこそがザ・ロックことドウェイン・ジョンソンのモノポリーである。

とここまで虚実入り混じった妄想の世界を展開してきた。。。
私自身いつの間にやらプロレスファンからマニアを経ていつの間にか『物語』の語り部になってしまっている。そしてもしここまで語ってきた『物語』が現実化するのならばそれは今以上のディストピアになってしまう。
そんな世界への抵抗こそが『X』の『物語』である。ここからは私自身もこの『物語』に観客として身を投じて新しい『ピープルズチャンピオン』コーディを支持する!そしてそれはこの10年間の裏テーマ『マニアがジャンルを駄目にする』のか?を確かめる絶好の機会でもある。

























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