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せんせい、あのね(昭和59年11月9日)

ぼくはどうしてあそべなかったかというとがっこうからかえってきておねえちゃんにあそびにいっていいかきいたらだめといったからあそべませんでした。
でもおかあさんがかえってきてまたきいてみたらいいといいました。
そしてきょうゲームをしてあそびました。

(先生コメント)おねえちゃんなどのとしうえの人のいうことを、よくきくんですね。おねえちゃんはでかけてあそぶにはおそすぎるとおもったのかもしれませんね。

冒頭の「どうして…かというと」は、前に書いたあのねノートでお友達と遊べなかったことに対し、先生が「どうして?」とコメントで質問されたから。
律儀にきちんと回答を記しているところに、まじめさを感じた。

歳の離れた高校生のお姉ちゃんに、遊びに行って良いか尋ねている。
いまもこの姉とは、時々連絡したり、帰省すれば必ず会うし、一緒に出掛けたりすることもある。
いまだに、親とは違う意味で頭が上がらないところはあるような気がする。

でも兄とは、別に仲が悪いわけではないけど、気づいたら数年会っていないということがよくある。
それぞれの家族によって異なるとは思うが、姉との関係、兄との関係、自分の場合はそれぞれちょっと違いがあると思う。
姉、兄それぞれの性格の違いもあると思うけど、それぞれとの距離感もちょっと違っている。

今は両親まだ健在なのだが、今後親がいなくなったりしたときに、きょうだい同士の関係はどうなっていくんだろう。
よく考えておきたいと思った。

あと細かいことだが、以前は「げえむ」と書いていたのが、カタカナで「ゲーム」になっているが、これはカタカナを教わったか覚えたか、ということなのかもしれない。
先生もコメントで少し漢字を使ったりすることがあるが、きちんと習ったものだけを使うように気を付けてくれているんじゃないだろうか。

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