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1.サッカー指導者になるキッカケ|スタート|

1980年生まれ、埼玉県秩父市に生まれました。「飛んで埼玉」でいうところの"秘境"です。そんな”秘境”から、なぜ?プロサッカー指導者になったのかを、自分を振り替えつつ連載してみます。途中で終わらないことを祈りつつ、ではスタート。

まずサッカーとの出会いは、6歳上の兄がやっていたことがキッカケでボールを蹴り始めました。通い始めた保育園でも、お昼寝のあと毎日サッカーをしていました。園長先生がサッカー好きで、その園はサッカーボールも沢山あり、蹴っていました。良いスタート!

しかし小学校になり、いざ!サッカー少年団に入ろうとしても、その当時はなぜが3年生からという決まりがあり、1,2年生の時はサッカーをする環境はありませんでした。何していたかは、思い出せません。多分、川へ行ったり、山へ行っていたのでしょう。なんせ"秘境"ですから。

そして、いよいよ3年生のときにサッカー少年団に入ることができました。選手の数も少なかったので、3年生の時から6年生の試合に出ていました笑。その少年団に、当時では珍しくお父さん指導者ではなく、指導に来てくれる方がいて、プレーも一緒にしてくれていました。そんな環境で、6年生まで過ごし、その頃なんだかJリーグっていうサッカーのリーグができるらしいと…。

中学1年、「Jリーグ開幕」と「ドーハの悲劇」を経験して、プロサッカー選手なろって本気で思ったかな。中2の時に某JクラブJrユースをハシゴ受験したり、自分の中で最高にプロサッカー選手になりたいって思ってた時期だったなと。中3になり、受験となりました。この時もいろんな高校の練習会に参加させてもらったり、サッカーで高校に行こうと挑戦してましたね。で、三浦知良さんがブラジル留学してたっていう情報も入るわけですよ、本当にサッカー三昧でしたから…能天気にブラジル行きたいってなっちゃうんですよね中学生は笑。高校1年生の夏休みにブラジル留学をしている高校を見つけちゃうんですよ。そして、受験→合格して有頂天な私。そんな私を待ち受けていました"現実"が。それは、次回にします。

振り返ってみると「サッカーをしなさい」や「強要」のような言葉をかけられたことは、一切なかったですね。しっかり背中を支えてもらっているような感覚でした。そして高校での"出会い"が、プロサッカー指導者になるキッカケですね。間違いなく、あの高校に行かなかったら今の自分はないです。

最後まで、読んで頂いてありがとうございました。
キッカケになれば幸いです。

Have fun.

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