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7.サッカー指導者になるキッカケ|アクション|

娘達とタコ公園から帰ってくると途中、唐突に長女「ナマケモノ(動物の)って車、運転できないよね」と動物だから確かにねって思いまがら、真相を話してくれました。それは、最後に。

往復260kmを車で毎週末、通う生活がスタートしました。金曜日まで大学に通い、金曜日の夜に浦和へ向かってました。土曜日、日曜日とJrユース or ユースの練習か試合に帯同メインのアルバイトでした。色んな大会にも行けました。「日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会」では、埼玉県予選から関東大会(那須)、全国大会(J-Villege)も連れってもらえましたし、ジュビロカップも行きましたし、ユースでは「Jリーグユース選手権大会」のAwayも行くことができました。当時からアカデミーの選手達も個性豊かで、色んなタイプの性格を知ることができました。世代的には、原口元気くんが小学校6年生で、Jrユースの練習参加をしていました。他業務では、トップチームの遠征の荷物作りを手伝わせて頂けたりと、現場で関わる仕事の全てと言っていいほど経験できた。

“そんな”アルバイトを大学2年の終わりから3年生まで続けました。道中、眠気で危険な目にもあいそうになったりと、今思うと良く続いたなと。何度となく、音楽に助けられました。相当、音漏れしていたでしょう車外に笑。疲労より好奇心が凌駕していたんでしょう私の中で。しかし、記憶に残っていないんですよね断片的にしか、無我夢中っていうのは、こう言うことなんでしょうかね。ちなみに、宿泊はまたまた姉にお世話になってました、感謝しております。

大学4年になると、卒論の為の授業しかなく、大学に行くのも週1になりました。そして私がとった行動は、浦和へ引っ越しでした。両親に経緯を説明し、レッズに入れる保証もないのに移住しました。そうなっても往復260kmは週1回は変わりません。しかし、週5はグランドに関われるようになり、今と変わらない生活が始まりました。夏休みなると、月にアパートに帰るのが5日間なんていうことがありました。各カテゴリーをまたいで帯同、遠征→大会→練習→遠征...そして、アパートの押し入れには、カビが生えたとさ笑。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ナマケモノの真相は彼女いわく「動きが遅いから車を運転をしていて、人とかが飛び出しても止まれないよね」だそうです。そんなことを聞きながら、動く行動することの大切さを教えてもらいました。
あなたのキッカケになれば幸いです。
Have fun.



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