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【師匠・弟子・修業】の言葉の意味について

「師匠」「弟子」「修業」という言葉にどのようなイメージをお持ちですか?

“特定の人につかえて、無償で奉仕すること”
と考えている方もいらっしゃるでしょう。

しかし言葉の意味を分解していくと、そうではないようです。

この記事を読み、人からなにかを教わることに少しでも前向きになっていただけると幸いです。

※記事を書くきっかけはとある私のtweetです。

師匠とは?

師匠(ししょう):学問・技術・遊芸を教える人。

出典:Oxford Languages and Google

話題のChatGPTでの回答

おおよそ同じ答えが返ってきました。

対義語の「弟子」について。

弟子:先生から教えを受ける人。門人。門弟。また、職人の親方や技芸の師匠について修業する者。

出典:Oxford Languages and Google

言葉を解釈すると師匠は1人とも限らないし、雇用契約が必要ということではなさそうです。

師匠にあたる人は身近なところでいうと、

  • 学校の先生

  • 職場の上司

  • セミナーの講師

などでしょうか。


師弟関係=奉仕する側と奉仕される側ではない


「師匠」「弟子」の言葉の意味からすると

師弟関係と丁稚奉公はイコールではなさそうです。

(補足)

丁稚(でっち):職人・商人の家に年季奉公(ねんきぼうこう)をする少年。

出典:Oxford Languages and Google

奉公(ぼうこう):主人に仕えること。他人に召し使われて勤めること。

出典:Oxford Languages and Google


私の周りでは師弟関係と丁稚奉公は同じだと考えている人が多い印象です。

ちなみに私が柔道整復師の免許取得後に就職した接骨院の院長は

  • しばかれるのが当たり前

  • 住み込みで働いて給料は安くて当然

  • 師匠のいうことには服従しないといけない

という経験をした人で、自分が苦労したことを部下に押し付ける人でした。


こちらの記事を読ませてあげて、大いに反省してほしいものです…

っと、冗談はこれくらいに。

師匠は無駄にスパルタである必要はない

以上の経験から

師匠=きびしくてえらそう 修業=特定の誰かの奴隷になる

という偏見を持つようになりました。

当時の私は免許を取得したばかりで技術も知識も持ち合わせていなかったし、院長が厳しくしたのは仕方がないと思います。

しかし弟子の成長を心底願うなら、相手の立場になり委縮したり意欲を失うコミュニケーションは控えるべきだと考えます。

(補足)

修業:学術・技芸を習い修めること。

出典:Oxford Languages and Google

修行:一切の欲望を断って心身を鍛練・浄化する宗教的行為。

出典:Oxford Languages and Google

⇧一般的に“修行”と言われる言葉の意味は“修業”だと思います。
(余談です…)

修業は山登りと同じと考える


少なからず、私のように修業=苦行ととらえてしまっている方もおられるのではないでしょうか。

だとしたら、物事に取り組む意欲が薄れるし質問をすることにも躊躇してしまいますよね。

しかし、「師匠」「弟子」「修業」という言葉の意味を辞書のとおりに受け取ると

  • 師匠は成長するきっかけを与えてくれる人

  • 弟子は己の至らない点を見つめ、能力を高めるために指導を願う

  • 修行は成長するために必要なトレーニング

と前向きに変換できるのではないでしょうか。

技術や知識を得る過程で大変なこともあるでしょうが、せっかくなら楽しんで成長できたら良いですよね。


最後までごらんいただきありがとうございました。

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