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渡米53日目 デイビッドは快く何度も車体の下に潜り込んだ

「Thank you so much. This is for your family!」

朝9時45分に迎えにきてくれることになったコーチのブラッドさんのクルマを待ちながら、長男が手に持ったお菓子を渡す際のフレーズをマンションの前で練習していた。

「でもパパ、僕、英語が話せないよ」

昨日、そう話していた次男だったが、それも練習だよと周りが背中を押してくれて、今日はブラッドさんの車に乗り、彼の同級生のお子さんと一緒に試合に向かうことになったのだ。少し不安げな次男をブラッドさんが笑顔で迎えにきてくれて、その姿を見送るとすぐに僕は部屋に戻り、今度は妻と一緒にマンションの前でデイビッドを待つことにした。

「明日は僕の小さい車で二人を迎えに行くから、狭いけどごめんね」

そう話していたデイビッドだったが、実際にはステーションワゴンタイプの立派な車に乗ってやってきた。

「あれ、デイビッドさんじゃない?」
「いやあんな立派な車じゃないと思うよ」

僕の予想をかいて、とてもナイスな車で笑顔でやってきたデイビッドは、実は今日のために自分のガールフレンドに頼んで、このクルマを借りてくれたのだという。

その後、午前中2軒のディーラーを訪ね、昨日からデイビッドが目星をつけてくれていたトヨタのプリウスやヤリスなど一台一台を確認した。その度に、車の車体の下にさっと潜り込み、フレームがどの程度錆び付いているを目視し、ボンネットを開けてエンジンの状態などを確認してくれる。その手際の良さに感動し、感謝の気持ちを禁じ得なかった。

実際にクルマを試乗させてもらえることになり、鍵を借りて街中に出て、今後、実際にクルマを運転する妻もアメリカで初めてクルマを運転した。その慣れない運転を見て、デイビッドは、ドライバーズスクールに通うことを薦めてくれた。

「正直言って、車の登録のことも国際免許でできるのか、僕にはわからないし、車の運転にも慣れていないのもあるから、いろんなことの準備が整ってからクルマを買いに来た方がいいかもしれないね。その時はまた付き合うから」

午前中、2軒のディーラーの下見を終えて、僕たちはまだ予算内でこれといった車に出会うこともできていなかった。ひとまず日系のディーラーに電話して、登録に必要な書類を確認し、そこには問題がないことを確認した。

「ひとまずどこかでお礼にランチをしながら、作戦会議をしよう」

デイビッドにそうと持ちかけると、相好を崩して喜んでくれた。近所のクーリッジコーナーでランチをしながら、デイビッドがフェイスブックでプリウスを売っている人を見つけてくれて、運よくすぐに連絡が取れて、ボストン北部に向かうことなった。

閑静な住宅街にたどり着くと、プリウスのオーナーである落ち着いた雰囲気の老夫婦が庭先にいて、僕たちは早速クルマを見せてもらうことになった。青い車体のプリウスは2008年製ながらもとても大事に手入れがされていることが一目で分かった。デイビッドがまた手際良く車体の下に潜り込み、クルマのフレームの具合を確認してくれた。そしてお父さんのカールさんの運転で近くの住宅街を走り、妻にも運転を交代してくれた。

実は僕たちは東京を出る直前に同じく6年近く乗ったプリウスを手放したばかりだった。バックをする際に映し出されるバックモニターもちゃんと機能していて、クルマ全体の状態もよく、また走行距離も10万マイル前後とさっきまで中古車センターで見てきたどの車よりも走行距離が短めで、僕たちはすっかりこのプリウスが気に入ってしまった。

「もし買うなら、失礼がない程度に僕が価格交渉するよ」

デイビッドがカールさんに直接交渉し、8000ドル近かったプリウスを7500ドルまで値切ってくれた。あいにくすぐに支払える現金がなかったため、僕たちは手元にあった900ドルをデボジットとして支払い、残りの金額の支払い方について相談することになった。

裏庭に奥様のトゥリーナさんが椅子を出してくれて僕たちを招いてくれた。夫のカールさんはMITの出身で長年エンジニアとして働いていて、夫婦共働きのため、車は妻のトゥリーナさんが8年間乗っていたのだという。

僕たち夫婦が子ども達ふたりを連れて家族で東京からやってきたことを話すと、様々な思い出が詰まっているので、新車を買ったものの手放しがたく、できれば、子育て中のファミリーに譲って大事に乗ってもらいたいと考えていたのだと心のうちを語ってくれた。

僕たちが世間話をしている間にも、デイビッドが先々のクルマの登録に必要になることに気を配って、売買契約書のコピーをネットで見つけてきてくれて、900ドルを支払ったことを示す書類を作成してくれた。きっと彼のこのこの手際の良さは世界一ではないだろうか。残りの6600ドルを来週中に支払うことにして、あとはクルマをどうやって僕たちのマンションまで運ぶかの話になった。僕に視野の病気がありクルマの運転ができず、妻も運転が不慣れでとても複雑な高速道路を運転して家まで持ち帰れるとは思えない。思案にくれる僕にトゥリーナさんが尋ねた。

「その目の病気の名前は?」
「Retinitis Pigmentosa(網膜色素変性症)です」
「その病気のことなら、よく知っています」
「え、どういうことですか」
「実は私の母も、網膜色素変性症でした」

きっとほとんどの人が聞き慣れないであろうその病名を伝えると、トゥリーナさんはそう言った。彼女も遺伝の可能性を調べるために定期的にずっと検査を受けてきたのだという。そして、なんと、クルマを後日、ご夫婦でマンションまで運転して運んできてくださることになった。その破格の申し出に僕たちはやはり感謝の思いを禁じ得なかった。

「いや、本当に今日はありがとう!デイビッドがいなければ、絶対に今日あのプリウスに出会うことはできなかった」
「うん、いい買い物ができて、本当によかった。俺たちはラッキーだった」
「それにしてもデイビッドはとても用意周到で、その手際の良さに本当に感心する。それは生まれつきなの?それともどこかで後天的に身につけたものなの?」
「うーん、それは面白い質問だね。よくわからないけど、きっととても心配性なんだと思う。だから注意深く、準備をすればするほど僕は安心するんだよね」

それは映画作りにとっても不可欠な能力だ。撮影前の9割は準備に尽きる。僕はどちらかというと、自分の直感に頼りがちなタイプだから、尚更その大切さを痛感する。そして、デイビッドのような素晴らしい仲間と、これから異所に映画を撮るのが楽しみでならない。

「今日はデイビッドからたくさん学ばせてもらったよ。それにデイビッドは本当に我が家の恩人だよ」
「いやいや、もう朝からずっと褒め言葉のシャワーを浴びてるからもういいよ。大丈夫!!」

そう言って笑いながら僕たちはデイビッドの運転で帰路についた。まだこれからクルマの登録など手続きが残っているが、ようやく車が我が家にやってくる。妻もとても嬉しそうで、僕もその姿を見て心から嬉しく思った。

2023年10月14日(土)

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