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夜に明かりを見上げてもホッとできないこの気持ち

昨夜はなかなか寝られず気がついたら3時。そこからようやく就寝。起きたのは5時台。当然また寝て次に起きたら6時台。そこからまた寝て8時に目覚ましで起こされてさらに寝て。9時過ぎに娘がやってきて起こされて食事の支度。娘の朝食はお茶漬け。私は食欲がないので朝食はなし。眠い。昼過ぎに喋り続ける娘に声をかけてニラ味噌ラーメンを用意。ようやく食欲が出てきた私と一人分を分けて。スープを適当に味付けて増量。ニラも玉子もたっぷり。食後に風呂に入るか聞くと入ると言うの急いで沸かし直し。様々な理由で風呂に入れない時は昼風呂は有効。風呂の後のアイス、今日はふたつ食べた娘。風呂に入って表情が明るくなりました。よかったよかった。

それにしても眠い。

今日は少し遠くまで電車で出るつもりが眠さに負けて予定変更。家でダラダラと家事。連休後半は普段できない仕事を片付けようかという気持ちもあるものの眠くて何をする気も沸かず。ひたすら眠い。

6時を過ぎてから買い物へ。ついでにグルっと散歩。今日はほぼ歩いていなかったので五千歩を目標に。

人気の少ない夜の近所を歩いていると、仕事で飲んで飲み過ぎて終電で帰っていた日々を思い出します。乗り継ぎの都合でいつもの路線とは別の路線を使っていつもより遠い駅に着いてバスは無いのでタクシーか、そうでもなければ徒歩か。終電がなくて延々と歩きというのも多かったなあ。深夜の遠足。大学の学生寮での「逍遥」という行事を思い出します。海岸での酒盛りのあとに寮まで確か16キロぐらいを歩いて帰るという深夜の催し。「逍遥」は集団で歩いているから迷うことはありませんが、泥酔してひとりで深夜の徒歩ではよく道に迷いました。迷う度に(元)妻に電話して「どこだかわからない」と伝えて怒られるわけです。まだスマホを使う前の話です。あまりに遅くなると(元)妻はドアをロックして寝てると脅しをかけてきます。ドアロックはやめてよお。言うだけでロックアウトされたことはありません。やさしいな(元)妻。そうして深夜に酔いも回って定まらない視線で近所にたどり着き、自宅マンションの明かりを見上げるとホッとするのです。ようやく帰ってきたという安堵。(元)妻がいるという安心。今でもはっきりと思い出します。

今日もなるべく普段は通らない道を歩きます。暗い道で何度も角を曲がると方向感覚もあやしくなってきます。途中、いい感じに迷った感。本当に近所なのかどうかと疑念を感じるほどに。スマホの地図を見てしまえば位置も方向もすぐにわかるのに、あえてそうはしません。なぜなら迷いたいから。

とうとう、ついに、私は帰ってきました。真夜中のコンビニの駐車場がガラガラなのが、どうしようもないほどに深夜感。見上げるマンションの暖色系の廊下灯に心がホッと暖まる。

何か違うな。

あったかくないよ?

とにかく何かが違います。どうにも心があたたまりません。

家には娘がいるはずです。でも、それってどうなのか。娘は私を待っているわけではありません。(元)妻のように腹を立てていることもありません。なぜなら私に関心はないからです。わたしにだけではなく娘は全てに関心がありません。

無人だなと私は思いました。ひとり暮らしをしていた頃にやはり飲んで遅く帰って思うのはひとりということ。

それも違うな。あの頃でも家に帰るとホッとしたからな。

今はどうかというと、家には娘がいても誰もいないのと一緒です。無人。もしかすると無人よりも悪いかも。なぜなら家に誰もいなくても帰ってくればホッとはします。ですが、今は家に帰ってもホッとしないのです。

そうなんだよ。自宅マンションの明かりを見上げてもホッとしないんだよ。

今日、気がつきました。

気がつかなくてもよかったのになあ。

むしろ気がつくべきじゃなかったんじゃないかなあ。

気がつくべきじゃなかったんだよ。

いただいたサポートは娘との暮らしに使わせていただきます。ありがとうございます。