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カウンセリングの 力(チカラ)

私にとって、カウンセリングの要諦は傾聴と言われるものです

もっとも私を含む多くのカウンセラーにとっても傾聴は基礎であり、なかなか到達できない目標でもあると思います

今更ここで傾聴とは、などという講釈をするつもりは毛頭ありませんが、一つの体験談として私が信じている「カウンセリングの持つチカラ」というものについて語りたいと思います

以前、ボランティアとしてカウンセリングをしていた時、一人のクライエントが訪れました
20代の方で、頭が90度近くうなだれた姿勢、地味で整っているとはとても言えない身だしなみ、喋るたびについて出るため息、そして主訴は「とにかく話を聞いてほしい」とのことでした
そこで、何時ものようにインテーク(クライエントの現状確認)面談を行いました

途切れ途切れの喋り方で、バラバラに乱れた文脈がない話等から、すぐに「この方は明らかに何か患っている」と感じて通院か処方の実際を確認すると、毎月一回通院していて、精神障害者手帳も持っているとのこと

そこで、プライバシー保護の観点から病名までは聞き出しませんでしたが、
私の行うカウンセリングで病状が悪化する危険を避けなければならないこと
私が臨床心理士ではなく、ボランティアの産業カウンセラーであること
紙に私の行うカウンセリングの内容を書き記すので、カウンセリングを求めるのであれば、次回の通院の際に持参して医師の了解と条件を文書でもらってくること
と、かなり厳しい注文を紙に書いて、クライエントに渡して説明し、そのときは一旦帰ってもらいました

一週間後、そのクライエントがクリニックの封筒を持参して「やはり話を聞いてほしい」と、やって来た時には条件をクリアして来たことに驚き、そこまでしてカウンセリングを求めているクライエントの心情に、正直心配してしまいました

医師からの返信だと言われて開封して読むと、
そのクライエントが統合失調症の消耗期にあたること
治療方針は抗精神病薬を中心としたもので、心理療法は行っていないこと
本人の希望もあり、絶対傾聴だけならカウンセリングを許可すること
と記されていました

絶対傾聴とはなんぞや?とは思いましたが、まぁ傾聴以外は禁忌だと勝手に解釈し、それよりも今のクライエントの心情を慮ると断るという選択肢はありませんでした

そうして、とりあえず始め、結果としては心底苦労する羽目となった4年間に亘るカウンセリングがスタートしたのです

皆さんはご存知ないかもしれませんが、統合失調症の症状として「思考障害」というものがあります

これは、思考にまとまりがなくなり、そのままとりとめなくバラバラに発言してしまう、というものです

これは体験的には、感情の混乱が理性よりも優位となるため、一つの文脈の中に沢山の感情が織り込まれたり、瞬間ゝの感情を表現するためバラバラの文脈で説明しようとしているのではないかと思います

最初、クライエントが散文のように思い浮かんだことを次から次へと脈略なく話し続ける(御本人は筋が通っていると感じている様子)ため、こちらも混乱してなかなかクライエントの話を受け取ることが出来ませんでした

しかし聴き込んでいるうちに、「こんなにバラバラな思いを常に抱え続けているのは相当辛いだろう」と思い、一つ一つの文脈を順番通りに要約してクライエントに返したうえで、文脈をメモに整理しながら、つい「こんなに沢山の事を考え続けるのは辛くないですか?私ならこんなに色々な思いが次から次へと湧き上がってくるだけでもすごく辛く感じると思うのですが」と返してしまいました

これは医師からの条件である「絶対傾聴」から逸脱している(?)とも思ったのですが、それでも「つい」口から出てしまったのです 初回からやらかしたかな?とドキドキしたのを覚えています

しかしクライエントは、「あぁ、やっと分かってくれるカウンセラーさんに出会えた」と泣いて喜んでくれました

そしてこのクライエントを苦しめているもう一つの症状が、「妄想」と「幻聴」でした

これは先の思考障害より度合いが酷く4年間断続的に続いていましたが、「(客観的に観ると)非常に現実離れした状況が、(本人の中では現実として)自身を蝕んでくる」という信念に取り憑かれている状態です

曰く、「常に誰かに盗撮されていて、私の容姿や考えを蔑む声が聞こえる」とか、「道を歩いていても突然罵倒される」とか、果ては「お風呂まで覗かれるので電気を消して真っ暗の中お風呂に入らなければならない」とか、「私の思っていることをすっぱ抜かれて、テレビから悪しざまに罵られた」・・・等ゝ

最初のうちは「思考障害」とこの「妄想」や「幻聴」がゴッチャになって、バラバラの文脈で語りかけてくるクライエントに対して、私は当然のことながら「ナンノコッチャ??」状態で、只々相槌を打つしか出来ませんでした

しかし、半年過ぎた頃から「思考障害」が軽減化してきたこともあり、ようやくこのナイトメア的な話題にも慣れてきて、改めてカウンセラーとしての視点でお話を聴けるようになっていきました

最初の頃は、クライエントの話す事柄が妄想か現実かが気になっていたのですが、慣れるにつれてそういう問題ではなくて、あくまでもクライエントが現実として四六時中盗撮、あるいは盗聴されているといった、常に緊張状態を強いられおり、常に恐怖を感じ、毎日が苦痛の連続である、という実感にこそ問題があることに気づけたのです

どうしても発言の内容に振り回されてしまいがちになりましたが、よくよく考えると本人が訴えたいのは恐怖や不安や苦痛なのです それをどこまで聴き取れるか

そこに気づけたので、「私はそんな経験もないし、今も周りに隠しカメラや盗聴器が見当たらないので、今このときも盗撮されているとは、私には認識できません だから平気なんです しかし、貴方が四六時中盗撮や盗聴されていると実感しているなら、そんなに怖いことはないし、緊張の連続ですっかり疲弊してしまうのは当たり前ですよ」と素直な姿勢でカウンセリングを行うことができるようになっていきました

その後も、それこそ色々なバリエーションの幻想的なお話を伺いながら、その時のクライエントの気持ち「だけ」に寄り添うように心がけて聴き続けていると、1年を過ぎたあたりから私の顔を見て話せるようになり、時々笑顔を見せてくれるようにもなったのです

そして一番嬉しかったことは、最終的には「妄想」や「幻聴」が病気のせいで起こることで、こんな病気になってしまった私が悪いせいではないんですよね、と私に伝えてくれたことでした

つまり、眼の前のクライエントが、私に語りかけてくれた物語を、自身の使った言葉で改めて耳から聴くことで自らを振り返り、自分自身と妄想・幻聴を含めた事柄とを区別できるようになり、少しづつ自分の力だけで自分を信じられるようになる様を観せてくれたのです

何度も言うようですが、私は産業カウンセラーであり、専門的なことは分かりません

でもこれが、カウンセリングの力(チカラ)だと、私は信じています


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