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やばい と 心の彩り

数年前から、若者向けのキャリア面談と言うかカウンセリングのような雑談をする機会ができて10代から20代前半の方とお話することがあるのですが、ちょっと前に面談した若者が発する「やばい」という表現にすごい違和感を感じました

曰く、「友達の成績がやばいんですけど・・・同じ大学に行こうって言ってて・・・」

ことさら「最近の若者は」なんて言うつもりはさらさらないのですが、さすがにこれには参りました

文脈から読み取ろうとしても悪い意味と良い意味両方でも取れるし、口調も淡々としてて発言した彼が何を言わんとしているのか、全く分かりませんでした

今から思えば、私の中で相手の話が汲み取れないことへの焦りがあったのでしょう
なので、つい早めの口調で

今のは、
友達が同じ大学に行こうとしているが、私の志望校には成績が低くて行けそうにない、か、
友達が同じ大学に行こうとしているが、私の志望校よりレベルが高くて申し訳ない、か、
友達が同じ大学に行こうとしているが、彼の志望校が私の成績では入れないほど高い、か、
友達が同じ大学に行こうとしているが、彼の志望校が私にはレベルが低すぎて行きたくない
この内どれかに当てはまるのかな?

と、尋ねたら小さな声で「うざっ」とつぶやかれてしまいました

まぁ、この一言は言わんとしていることは理解できましたから、「面倒くさい説明でごめんね」と謝りましたが、残念ながらこの方とは最後まで上手くコミュニケーションが取れませんでした 反省しきりです

また本人は否定していたのですが、面談中、なんか無表情というか無機質な目がすごく印象的でした

面談中は、緊張しているのかな、とか、つまらないのかな、とか思ったのですが、それもちょっと違うのかなと

ひょっとしたら、自分の感情を上手く表現できないのではないか?
もっと言えば、自分の感情が上手く認識できていないのではないか?
と、深読み(?)してしまいました

例えば、「青色」といえばどなたでも「あんな色」とイメージできるでしょうが、同じ青系統の色でも、縹色(はなだいろ)とか瑠璃色(るりいろ)と言われても、その色をイメージできる人は少ないのではないでしょうか?

それと同じで、色んな感情を「やばい」の一言で済ませてしまうと、単に「凄い」と思ったのか「すごく嬉しい」と感じたのか「嬉しいけど大変だ」と感じたのか、自分の感情のニュアンスが掴みづらくなってしまうのでは?と思ったのです

人はストレスを感じたとき、その感情を愚痴ることで吐き出すとストレスを軽減できるといいます
しかし、自分の感情を上手く言語化できない、または認識できていないと当然愚痴ることもできずストレスを軽減することも難しいのでは?と考えたのです

なので最近は、面談の際にクライエントの発する感情表現に対して、「もう少し具体的にどんな感じですか?」「それはこんな気持ちですか?」と色んな場面でできるだけ質問するように心がけています

最初は不審がってそれでも不承不承続けて行くと、段々と「そうなんです」とか「ちょっと違う」とか、「そうじゃなくて」と反応してくれる中で、クライエントが自身の感情の襞に気づいてくれるケースも増えてきました

ですから、普段から「やばい」や「だるい」「うざい」をよく使っているという方に向けて、

この言葉を使ったあとで良いので、心のなかで「違う言葉にするとどう言えば良い?」、と自問自答してみてください

でなければ、「やばいくらい◯◯」とか「◯◯でだるい(うざい)」等、◯◯にどんな言葉がしっくり来るか確かめてみてください

つまらない日常や代わり映えしない毎日が、少しは彩り豊かな景色になると思いますよ

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