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几帳面な旦那さん、がさつな奥さん

「…住吉区の倉庫の鍵の件、何かご存じないですか?」
「ちょっと聞いてないです…」

「いつもグラウンドゴルフ大会で使っていたパソコンがあるんですけど、パスワードご存じないですかね?」
「私にはわかりかねます…」

「先月の議会で提案されたイベント企画の書類があると思うんですけど」
「主人の活動にはノータッチだったので…何も聞いてないです。」

「奥さんね、本当に何も知らないの?少しくらいは旦那さんのこと知っててもらわないとこういう時に問題になるんですよ」
「ご主人がいない今、あなたが動いてもらわないと困るんですけどね」
「どうして確認しておかなかったんですか?ご家族なら知っていて当然でしょう?」

「すみません、私では…何もわからなくて」

 三月某日、私はとある民家の玄関先で、荒ぶる男性陣と困惑するご婦人を前に…戸惑っていた。憤る人々に矢継ぎ早に追及されているご婦人を目の前に、どう口を挟んだらいいものか頭をひねっている真っ最中である。

 ……下手にかばおうものなら、ますます怒りが増して取り返しがつかないことになりそうだ。とりあえず、事の次第を見守りつつ様子を伺い……よし、今がチャンスだ。

「あの…上野さんはいま、どんなご容体なんですか?」
「それが…まだ意識が戻らなくて」

 このお宅のご主人…上野さんは、積極的に町内会や市の活動に参加していた人物である。

 もともとは、小さな鉄加工工場を経営していた関係で町内会行事の設備関連の仕事を請け負っていた人なのだが、息子さんに家業をほぼほぼ任せるようになった五年程前から精力的に町内会に係わるようになり…、お祭り騒ぎ好きが高じてあらゆることに関与し始めたのだった。
 自由に時間が使えるようになったこともあり、様々な行事の際に先頭に立ちイベントを切り盛りし、毎週のようにあらゆる自治会に顔を出しては様々な問題を解決に導き、まとまらない意見を一つにし、小さな争いをにこやかな笑顔と切れのいい判断で納めてきたのだ。

 そんな町の何でも屋さんがいきなり倒れたのは、二月中旬のことである。地域の公園の除草作業中に倒れて緊急搬送され、今現在も入院中で…、おそらくもう戻っては来られないだろうというのが、町内および近隣住民の皆さんの見解だ。

 年度末の一番忙しい時期に、長く自治会に関わってきた人が…一番なんでも知っている人が何の前触れもなくいきなりいなくなってしまったため、あらゆる方面に影響が出てしまい、各所で混乱が起きている。
 やれ新しい役員選出ができない、新年度の準備ができていないがどうするんだ、老人会のメンバー表が見当たらない、新しく始めると言っていたSNS運用のスケジュールはどうなっている、パソコンのプログラムが動かせない、鍵のありかがわからない、音響システムの接続方法がわからない……。
 どれほど今まで、この町内会はたった一人にすべてを任せてきたのかと驚いた。誰も引き受けてくれないからと、やってくれる人にすべてを押し付けた結果が…今の大混乱を招いたと言っても過言ではない。

 私はここの町内会の人間ではないのだけれど、地区運動会やミニテニスでお世話になったり、仕事の関係で顔馴染みということもあり…訪問の同行を依頼されてここにやってきた。
 何でも、ご主人不在のご婦人宅に男性陣が連れ立って押しかけるのは圧迫感も有るし?第三者が立ち会うことで穏やかになる場面もあるだろうから?みたいな事を言われて、断り切れなかったのである。

「議事録と決算報告書、あと名簿がいるんです。四月までに出してもらわないと町内会の運営ができないんですよ。義男さんがね、すべて管理していたんです、絶対に持ってるはずなんです!」
「家のどこかにはあると思いますけど、私は関与してなくて…どこにあるのか見当もつかないし、探せないんです。…すみません、申し訳ないんですが、もう病院に行く時間なので…もしかしたら意識が戻るかもしれないので、今日はお引き取りいただけませんか」

 結局、何一つ問題解決の糸口がつかめないまま、タイムリミットが来てしまった。……ただでさえ旦那さんが倒れて大変な事になっているのに、こんな見ず知らずの不躾なジジイどもに囲まれて…奥さんが気の毒だとしか思えない。

「あの、もしかしたらうちの旦那が議事録とか持ってるかもしれないです、なんか春のゴミ拾い大会の打ち合わせついでに参加してたからもらっていそう?確認してみるので、奥様のご都合もあるし、今日はここまでにしましょうよ」

 頭の固い自分の都合しか考えられないじいさんたちを丸め込み、上野さんのお宅を後にする。

 …向かう先は公民館、鍵が見つからない倉庫について別の役員たちがああでもないこうでもないと策を練っていると思われる。いつもサクッと決定を下していた人物がいないので、いつまでたっても話がまとまらないのだ。出掛けにもかなりもめていて出発が遅れてしまい、結果として上野さん宅の訪問が遅くなってしまったという悪循環が起きている。

「…これではらちがあかんなあ。一体どうなっておるんだ。部屋の中にあるものが探せないなんてありえんだろう」
「普通旦那が何をしてるかなんて知ってて当然なんじゃないのか?ああいった人が奥さんだと困るねぇ…」
「会議に出ないなら管理ぐらいきちんとしてもらわんと。ガサツでいいかげんな人はこれだから」

 ……今まで一度も町内会のイベントに出てこなかった奥さんが、旦那のしていた活動を応援していてフルサポートしていたなどありえないと思うのだが。なんで旦那が町内会で活躍していてすべての事を把握していたからといって、奥さんも知ってて当然という流れになっているんだ。このじいさんどもの奥さんは、すべてを知っているとでも?…独身者ばかりなのかな。
 やけに奥さんに対して厳しい意見が多くて…気分がよろしくない。

「でも、奥さんが出てきた事なんて今まで一度もなかったんでしょう?…それは難しいんじゃないですかね。私だって旦那の活動ややってること、全部知らないですもん」
「いやいや・・・鍵を預かっている人が無責任すぎるよ、普通は万一に備えて情報共有しておくんじゃないの?」

 責任をたった一人に押し付けていた人たちがよく言うよ……。隣町の町内会の、あまりにも無責任な他人任せの姿勢と自己中心的発言に…正直ドン引きだ。こんなんでよく運営できてるな……。

「…家族でも把握しきれないと思いますよ。だって上野さん、やってることが多すぎましたし…」

「だからこそ、家族で分担しなきゃいけなかったんだと思うよ。息子さんもいるのに見たことないし、ちょっと協調性がないお宅だね」
「全然出てこないんだよね、非協力的というか…でもまあ、あの奥さんじゃ出てきたところで、何もできなかったと思うけど」
「かなりずさんな人だからね。あの玄関のごみの山はないわ…廊下も半分くらいモノで埋まってたし」
「やっぱりガサツな嫁なんかもらうもんじゃなかったんだよ。いつも上野さんが愚痴ってたの、今頃になってしみじみと…ああ、もっと親身になって聞いてやればよかった。後悔先に立たずってね…」

 何でも、几帳面できれい好きな上野さんではあったが、その奥さんは真逆の人で…、ゴミを片付けることもせず、自堕落な毎日を送っているのだそうだ。
 引き出しの中はぐちゃぐちゃ、整理整頓の習慣がなく、ゴミを出そうともしない怠け者の嫁で、部屋の中には食い散らかしたお弁当のゴミやペットボトルが散乱していて足の踏み場もないと…自分が掃除をすればいいのだが町内会が忙しくてなかなか手が回らずゴミ屋敷になっている、とても家に上がってもらえない、庭もゴミだらけでみすぼらしい事になっていてお恥ずかしいと常日頃頭を下げていたんだそうで。

 公民館につくまでの間、女のくせに掃除もできないなんてだの、嫁が旦那をたてなくてどうするだの、出来の悪い人間はこれだからダメなんだだの…もうさ、これただの悪口大会なんじゃないの。よくもまあ、初対面の人をこうも悪く言えるものだ。
 というか…微妙にわりかしかなり相当ガサツ傾向にある私、わりとかなりいたたまれない気持ちになるんですけれども…。

「奥さんもね、旦那さんのこともっとサポートしてあげたほうがいいよ?うちの町内会みたいになると厄介だからね!」

「はは・・・そうですかね」

 色々と思うところは有るものの、下手にいじって問題を起こすのもばかばかしい。適当に相槌を打って、適当な言い訳をして、忌々しい人々にサクッと別れを告げ、公民館の駐車場に停めておいた車に乗り込んだ。


 週末、親の塗り薬をもらうために皮膚科に行くと、思いがけず待合室に上野さんの奥さんの姿を見つけた。ものすごい偶然だなと思いながら、声をかけるかどうか、少し迷う。
 たまたま空いているいすが奥さんの横しかなかったので…座るついでに声をかけてみることにした。

「…あの、上野さんの奥さん、ですよね」
「……ええと、すみません、どなただったかしら」

「水曜に和田さんと飯島さん、あと誰だったかな…数人の男性と一緒に訪問させていただいた・・・」
「ああ!!あのときの!ごめんなさいねえ、すっかり記憶力が落ちてしまって」

 土曜という事でいつもより人が多く、なかなか呼ばれないため、奥さんといろいろと話をしながら待つことにした。

 ……ひょっとしたら何か聞けるかも?
 たいがい私もこう、おせっかいというか…ほっといたらこっちにも被害がきそうというか。

「あのあと私、主人の部屋に入って色々探してみたのだけれど…本当に、どこに何があるのかわからなくてねえ」

 …探そうとしてくれる程度には、気を使ってくれる人みたいだ。
 ジジイたちにさんざん悪口を言われるような人には…見えない気がする。

「見たこともないものを探すのって大変ですよね」
「そうねえ、でも…まず部屋に入ることが難しくて。息子とお嫁さんがね、いい機会だから全部捨てろって言ってくれているのだけれど」

 …息子さん夫婦は…町内会が嫌いなのかな?
 機密事項もあるだろうし…捨てちゃうのは、ちょっと、やり過ぎなんじゃ?

「え…捨てちゃうのはちょっとヤバいかもですね、鍵とかは作り直すのも大変だし…」
「あ、ううん、違うんです、町内会のものではなくて…私物?主人はね、ホント捨てないヒトで困っていたの。部屋中にモノが散乱していて、足のふみ場もない状態で」

 ……。
 なんか、違和感のようなものが……。

「あの、上野さんって…几帳面な人なんじゃないんですか?いつも進んで整理整頓してたし、サクサク不用品回収してて…、ゴミの分別とかにもうるさくて…細かくて、私、いつもネットの畳み方がぐちゃぐちゃだって怒られてましたし」
「あら…ごめんなさいね?…お父さんはねえ、几帳面じゃなくて…自分ルールを押し付ける人なのよ。畳み方にはうるさかったでしょう?すみませんでした、あの人はねえ……」

 溢れ出る、ため息混じりのグチ、グチ、グチ、グチ……。
 よほど腹に溜め込んだモノがあったらしい。

 上野さんは…ずいぶん……、厄介なタイプだったようだ。

 いわゆる、外面が良い…良すぎる人で、他人に気を使い事細かにサポートをする一方で自宅ではかなり好き放題、やりたい放題、自分勝手に家族を振り回していたらしい。

 例えば、花見に行けば真っ先にゴミの片づけを申し出て気持ち良く持ち帰ってくれていたのだが、そのゴミの処理はすべて奥さんにやらせていたそうだ。
 例えば、ベルマーク集めをしたあと時間内に終わらなかった仕分け作業を引き受けてくれたのだが、すべて奥さんに丸投げしていたそうだ。
 例えば、壊れた備品の処分に困っていたら快く引き受けてくれたのだが、すべて部屋に置きっぱなしになっているそうだ。
 例えば、廃品回収が雨で中止になった時すでに出されているものを集めてくれたのだが、全て家のガレージに突っ込んでそのままになっているそうだ。

 奥さんを悪者に仕立て上げ、自分のすばらしさを吹聴していたらしい……。身内下げ、自分上げ、他人に好印象を与えるため?大げさに演出していたと思われる。

「私が何かいうと、本当に嫌な顔をするの。俺に指図するなってね。私がモノを動かすと手が付けられないくらい機嫌が悪くなってねえ。置いてある場所が変わるとわからなくなるんだって。家中のあちらこちらに物があふれてしまってね、ちゃんとわかるようにケースに入れるって言っても全然話を聞いてくれないのよ。私が整頓しようかって提案もしたんだけど、引き出しを開けていうのよ。『こんなに引き出しの中がぐちゃぐちゃになってるくせに偉そうなこというな!』ってね。モノを出しっぱなしにしてしまいもしない人がよ?なんかね、机の中はきちんと間仕切り?してわかりやすくしてないと許せないみたいで。お前なんかに町内会の細かいことが管理できるわけないだろうって怒るから、私は本当に一切ノータッチでねえ…」

 そういえば、公民館のデスクの引き出しの中がやけにすかすかしていて、几帳面に仕切りがしてあったことを思い出す。いつだったか…会議中に机の上のプリントを一つにまとめたら、順番に並べてあったのにと怒られた事を思い出す。細かくなったチョークを小さなケースに入れたら、モノがあると邪魔になると言って捨てられたことを思い出す。

「とりあえず家に上がれるようにして、お父さんの部屋に入っていただいて…、色々探してもらおうと思っているんです。今息子とお嫁さんが掃除をしてくれてるから、来週中には何とかなるかな?」

「上野さーん!!お待たせしましたー!!」

「あ、はーい!!…じゃ、またね、お話を聞いてくれてありがとう」

 にっこりと笑って立ち上がった奥さんは、少し晴れやかな表情をしていた。
 そうだなあ…、あれだけ不満を吐けばスッキリもするだろう。

 ……あとはあれかなあ、上野さんが入院してて、うるさい事言われないから…気が楽な部分もあるのかも?日常的にかなりストレスをぶつけられてたみたいだから、ホッとしてるんだろうなあ。

 ……来週、上野さんの部屋に入った町内会の皆さんは、何を思うのだろうか。

 またしてもおかしな思い込みを発動させて奥さんのせいにするのか、上野さんの本性を知るのか。
 たぶんだけど、奥さんの事を悪者にするような…気がする。サポートがないからこうなったんだとか、もっと手伝えなかったのかとか。ジジイはすぐに徒党を組んで、とんでもないところに敵を作っては謎の理論で攻撃しまくるんだよ……。
 まさか私にまで火の粉が飛んでこないでしょうね。……考えすぎか。

「岩本さーん!お待たせしましたー!!」

「あ、はい、はーい!!」

 ようやく呼ばれた私は、処方箋を受け取って、調剤薬局に向かい。

 実家に行って、薬を渡し。


 ごくごく普通に、毎日を過ごしていたのだが。


 ……二週間後。

 文具や景品、変色した洗剤に、市の指定ゴミ袋切り替え前に使われていた半透明ポリ袋、謎の鍵束にどうやって中身を調べたらいいのかわからないフロッピーディスク……、旦那が大量の荷物を持ち帰って来て、驚くことに、なろうとは。
 クソみたいな隣町の町内会のジジイどもが、自分たちの不手際をあちらこちらにばらまいては悪評を轟かせるようになろうとは。

 あまりにも目に余るとのことで、近々町内会が合併する話が持ち上がっていることを知ろうとは。

 ……まったく予想だにしていないのであった。

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