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有り触れた未来


一番強い言葉はなんだろう。


私は言葉が好きだし、役者も言葉に頼っている仕事。
みんな、なんて大層なことは言えないけれど、せめて両手に収まるくらいの身近な人に、力を与えられる言葉はなんだろうと考える。



悲しむ人がいると分かっていても、死んでしまうんだよな。


そんな話に触れる度、思いは言葉にしないと伝わらないとは言うけれど、「ありがとう」も「またね」も「好きだよ」も、きっとその人を救うことは出来なかったんだろうなと思う。


私の場合、言葉の無力さを感じるのが、自死のニュースだった。




「ありふれた」は漢字で「有り触れた」と書くことを初めて知った。


ありきたりで、平凡で、取るに足らない「ありふれた」が、実際はそこに有り、触れられる状態だということ。
漢字で書くと、その印象はだいぶ変わるような気がする。





商業の世界で長年走ってきた山本透監督。
経歴の如何に関わらず、役者を大事にしてくれる、私も何度もご一緒させていただいている監督。


そんな山本監督がコロナ禍、身の回りで立て続けに起こる役者の自死をきっかけに撮影したのが、映画『有り、触れた、未来』。


いつか、を待っていてはその間にも同じことが起こるから。これまでの商業の手順は踏まず、初めての自主映画でその完成を急いだ。


そして、スタッフ陣は第一戦で活躍されている方ばかりだけど、プロデューサーチームとしてお金集めから動き出したのは、山本監督の周りにいる役者たち。
微力だけど、私もその一部に携わってきた。






企画から2年。
その映画が、3/10からいよいよ全国公開になる。


様々な物語があって、メッセージがあって、セリフがあるけど、「頭で考えるより感じるのが映画だ」と思わせてくれる作品だと私は思っている。

生きないといけないな、じゃなくて
生きるんだよな、と身体がうなずくような

言葉は無力でもいいのかもしれない、と思えた。





そして、ロケ地宮城県での先行上映。


撮影時にはあったお店がなくなっていたり、何もなかった所に新しい建物が立っていたり、たった2年でも街は変わっていた。


誰かにとって、ありふれていた瞬間が残っているのも映画だね。

1人でも多くの方の生きるエネルギーになりますように!