【読書メモ】ヴィゴツキーとウィリアム・ジェイムズ:『ヴィゴツキー小事典』(佐藤公治著)
本書では、ヴィゴツキーが学習過程において強調していることは、学習者の主体性であるとしています。他者からの指示・命令などによる受動的なものではなく、自らの能動的な作用であるということでしょう。では、何かができるようになるための練習というものをヴィゴツキーはどのように捉えていたのでしょうか。
練習の主体性
まずヴィゴツキーが否定的に捉えていたのは、他者から言われて行う反復練習です。
言われたことをただ遂行するのではなく、自らの意志を行為に入れ込むという作用が練習には含まれるべきであるとしています。自分自身で考えて練習を行うことによって、自身の行動を統御するというようにも言い換えられそうです。
練習から習慣へ
練習自体は日々の単発的な行動ですが、それを線として繋いでいくことにより習慣へと繋がっていきます。
情動的志向という言葉を使っているところが面白いですね。つまり、一回の行動は理性的な要素としての意志だけで行うことができるとしても、それを習慣へと昇華させていくためには情緒をも含めたものにしなければならないということなのでしょう。
ジェイムズの影響を受けたヴィゴツキー
主体的な練習によって習慣を自身で構築していくというヴィゴツキーの着想はどこから得られたのでしょうか。著者はウィリアム・ジェイムズの名前を挙げて、ジェイムズからの影響であるとしています。
実際、ジェイムズはアメリカ心理学の最初の書籍とでも呼ぶべき『心理学』の中で習慣を扱っています。私自身のまとめになりますが、ご関心のある方は以下をご笑覧ください。
ヴィゴツキーが生きた時代では、ソーンダイクをはじめとした機械的な反復学習が学習理論の主流でした。そうした状況下で、ジェイムズの思想に魅力を感じて練習および習慣について論じたのです。
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