【読書メモ】宗教的なるもの:『ウィリアム・ジェイムズのことば』(岸本智典編著)
第三章のタイトルは「宗教的なるもの」であって、宗教そのものを扱ってはいません。この違いは重要です。というのも、特定の宗教を持たない私のような人間が多い現代の日本社会において宗教は心理的に遠い存在になりがちですが、宗教「的」となると間口が広がる感じがします。実際、私は読んでいて興味深い部分が多いように思いました。
ほろりとする気持ち
では「宗教的」とはどのように捉えれば良いのでしょうか。著者はそのキーワードとして感動的な出来事や作品に出会って思わず感じる「ほろりとする気持ち」を挙げています。
こうした宗教的なるものに接してほろりとする気持ちの効用として、短期的な意味での受容の気持ちの拡大や、中長期的には私たちの価値観が変容するということにも繋がることが考えられるのです。だからこそ、良い芸術作品や素晴らしい景色に出会うことの重要性が言われているのかもしれませんね。
宗教の考察
ジェイムズの宗教に対する考察は独特です。
事実や経験を徹底的に重視するという点にはジェイムズのプラグマティズムを想起せずにはいられません。プラグマティズムの哲学者であり体現者としてのジェイムズの論調ですね。
自己啓発ではない処世術!?
著者によれば、宗教的なるものを認めることは、私たちの世界に絶対的な悪は存在しないということであるとジェイムズは述べているようです。その現代にも活きる効用について以下のように解説しています。
ここでジェイムズが否定的に捉えていることは、自己啓発書などがいう心構えによって全てのことを肯定的に捉えられるという世界観です。捉え方を一朝一夕で変えることはできず、そうしたことができない自分自身を責めてしまい、結果的に何も変わらない、ということが自己啓発書を読むと起こりがちです。
ジェイムズは現実に目を向けます。心構えによって変えられるものもあるという認識にとどめ、その上で少しずつネガティヴなことに対処するという経験を積み重ねることで、対処のしかたを開発する、というアプローチを提唱しているのではないでしょうか。
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