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水深ゼロメートルから

本作は「アルプススタンドのはしの方」同様、高校の演劇部が上演するために作った戯曲を映画化したものだ。

商業演劇とは異なり金も人員もさけないので、セットや書割をいくつも作れないし、出演できる役者の数も限られてしまう。大抵の場合、男子部員は少ないから男の登場人物も減らさざるを得ない。だから、高校演劇はワンシチュエーション的な内容のものが多くなってしまう。

そして、こうしたワンシチュエーション演劇を映画やドラマ、アニメといった映像メディアの作品にするのは非常に難しい。
演劇作品の観客は想像をフルに働かせて鑑賞するから、50歳の役者が高校生を演じていても、男優が女子高校生を演じていても気にならないし、セットも書割も作られていない舞台で展開するエピソードだって、役者の台詞や効果音などで理解することができる。

でも、これを映画やドラマなどでやったら、ただの低予算のしょぼい作品にしか思われない。
かといって、原作戯曲で描かれた全てのエピソードの舞台となる場所をきちんと、ロケやセットで撮影したら、オリジナルの良さが削がれてしまう。

だから、そうした映画化しにくい題材を見事に映画としてアップデートしつつ、オリジナルの良さも保っていた映画版「アルプススタンドのはしの方」は高い評価を得たのだ。

同作はほぼ全てのシーンが高校野球の試合が開催されている甲子園球場の観客席(アルプススタンド)で展開される(どう見ても甲子園に見えないのはご愛嬌ということで…)。観客席以外の場面は球場の通路でのエピソードなどごくわずかな箇所のみだ。

試合展開は登場人物たちの会話などで描写されるだけで、グラウンドの様子も選手の姿も一切映し出されない。

しかし、観客は何故かその試合の様子がきちんと映像として流されているような錯覚に陥り、試合展開や選手の動向に一喜一憂してしまう。

これは、演出・演技・脚本・編集といった映画の基本的なパートがしっかりとしていたから、観客席や通路などごくわずかなロケーションでしか撮影されていない作品でも映画としての臨場感を味わうことができたのだと思う。



本作も大雑把に言えばそうしたタイプの作品だ。

野球部の動向が主要キャラたちの話題になっているところも同じ構図だ。
おそらく、演劇部とか帰宅部のようなグループに所属する生徒はスクールカーストでは下層にあたり、野球部や吹奏楽部のような県大会や全国大会への出場を目指す部活動に所属している生徒は上位ということなのだろう。本作の主要キャラの1人は水泳部所属でその水泳部は男子部員がインターハイに出るような強豪ではあるが、彼女自身は出場できなかったので、立ち位置的には演劇部とか帰宅部に近い存在なのかな?

そう考えると、学校の部活動運営における野球部や吹奏楽部優遇の姿勢が他の部活動、特に演劇部のような陰キャ扱いされるような部の生徒からすると腹の立つ存在ってことなのだろう。だから、「アルプススタンド」にしろ、本作にしろ、野球部中心に進む学校運営に腹を立てる生徒たちの怒りが炸裂していたのだろう。



ただ、「アルプススタンド」との決定的な違いがある。それは、同作では全く映らなかった野球部員が登場していることだ。

もっとも、野球部全体はロングショットで練習風景が映し出されただけだし、主要キャラたちの話題に上った人気野球部員は後ろ姿のみの登場だし、主要キャラたちがたむろする水のはっていないプールにやってくる野球部員は顔は映ってはいるが、名前も明かされていない。唯一、きちんと顔も名前も明かされた上できちんとした台詞があるのは女子マネージャーだけだ。

とはいえ、野球部員の様子も映し出されているし、主要キャラたちがたむろする場所以外のロケーションも提示されているのは「アルプススタンド」との決定的な違いだ。



ただ、途中まではツッコミどころ満載にしか思えなかったストーリー展開や設定の理由が解明される終盤は爽快だった。

そもそも、夏休みに入って間もない頃なのに、何故、校内のプールに水がはられていないのか。しかも、水泳部の男子部員がインターハイに出場するような強豪校なのにというのは誰もが抱く違和感だろう。

また、野球部員が練習するたびに水をはっていないプールが砂だらけになるような状態なのであれば、水をはっていたとしても水面もプール底も砂だらけでとてもではないが泳げる状態ではないと思う。野球部が練習していない普段の体育の授業の時は良くても放課後の部活動の時間なんてとてもではないがプールは使えない。

プールの現状に関しては、終盤に改装する直前であるという事実が明かされるが、おそらく推察するに野球部が飛ばしてくる砂のせいで劣化が進んでいたのだろう。プールサイドの排水溝のサビが提示されるシーンはその伏線なのかも知れない。

そして、何よりも爽快なのが、いかにもミニシアター系邦画によくある青春映画のように見せておきながら、日本の男女同権が進まない理由を明確に提示するクライマックスだ。

ポスターやチラシを見ると主要キャラの女子生徒は4人いるように見えるが、実際はこのうちの3人がメイン扱いと言っていいと思う。

その3人がそれぞれの立場、思想で女性差別について語る終盤は興味深かった。

⚫︎一般的には男がやるとされているようなことをこなす能力があるのに、“女のくせに”と思われるから恥ずかしくてやりにくい
⚫︎自分の専門分野で競争をした際に今はその分野を専門にしていない男に負けて悔しいという思いからアンチ男的な発想になる
⚫︎どうせ、男と同じ立場に立てないのに、フェミ的な思想を主張する人たちが騒ぐせいで余計やりにくくなっている。せっかく、女は化粧だなんだで可愛くなれるしきれいになれるんだから、そのことによっていい思いもできるわけだし、そうした恩恵を受けて生活した方が楽しい

一聴すると言っていることはバラバラのようにも思えるが、実は3者とも、所詮、世の中から男女差別はなくならないってことを言っているんだよね。

そして、その男女差別を助長しているのは女性の方だというニュアンスも込められている。

権利を守るために女子生徒に生理の状況を詳しく伝えろと主張している女教師は誰よりも女子生徒の自由を奪っていたが、それは分かりやすい例だと思う。

おそらく、この作品の舞台となった学校の水泳部が男子だけインターハイに行けたのも、野球部の飛ばしてくる砂に悩まされない恵まれた環境で練習できたからなのではないかという気がして仕方ない。

典型的な低予算のミニシアター系青春映画のように見えるが、まさか、ここまで進まない男女同権問題に踏み込んだ作品だとは思わなかった。

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