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「ちむどんどん」よりも酷い「舞いあがれ!」

朝ドラは東京制作(AK)にしろ、大阪制作(BK)にしろ、基本フォーマットは、主人公やヒロイン(同一人物であることが多い)が複数の土地を移り住みながら成長していくというストーリーのものがほとんどだ。おそらく、NHKと自治体がタイアップした地域おこしイベントのようなものになっているからこういう展開になっているのだろう。
また、多くの作品では主人公・ヒロインの幼少期(場合によっては生誕時)から中高年になる(場合によっては死去)までを描く、いわゆる大河ドラマ形式になっている(念のためために言っておくがNHKの時代ものドラマ枠という意味ではない)。

そのため、非常に多くの登場人物やも出てくることになる。

これをオリジナルのキャラクターやストーリーで展開するのは至難の業だ。
だから、朝ドラには実在の人物をモデルにした作品が多いのだと思う。
関連する自治体がロケに協力してくれるし、実話を基にしているから多少、強引なストーリー展開でも視聴者は“まぁ、(モデルとなった人物や出来事も)そうだったよね”と納得してくれるからね。
ただ、同じNHKの大河ドラマ(こちらは放送枠の話)では明治以降の話でも実名が出てくるのに、朝ドラでは幕末の話でも固有名詞が変更されているのはよく分からないポリシーだとは思うが。

そして、ここ最近のオリジナル作品を見ていると、主人公・ヒロインが土地を転々としながら成長していくというストーリーをイチから作ったキャラクターで展開するのは難しいんだなというのを実感する。

「舞いあがれ!」を含む直近の4作は全てオリジナル作品となっているが、どの作品も脚本が破綻しているんだよね…。

2017年の「ひよっこ」はオリジナル作品だが、これは非常に人気が高かった。それは、描かれた時代や場所が非常に限定的だったことによるものではないかと思う。2019年に放送された続編を除くと、作中での時間軸はたったの4年間しかない。主人公の生誕時も幼少期も中高年時代も死も描いていない。しかも、舞台となったのは基本、茨城と東京だけ。朝ドラとしては珍しい移動距離が短い作品だ。

一方、2018年の「半分、青い。」は主人公が40歳になるまでしか描いていないという点では通常の朝ドラより時間軸は短いかも知れないが、それでも「ひよっこ」の10倍もの年数を描いたこと、そして、岐阜と東京を行ったり来たりする展開にしたこともあり、非常に整合性の取れないストーリーになった面があったのではないだろうか。
クリエイティブ職に就いているもしくは就いていた者の栄光と挫折はよく描けていたけれど、それ以外の描写がいい加減だったからね。

つまり、オリジナルのキャラやストーリーで朝ドラを作るのは非常に難しいということだ。
それなのに4作続けてオリジナル作品になっている背景を推測すると、こんな感じなのかな?

実在の人物の破天荒な人生は現在のコンプライアンスやポリコレの視点では問題となることが多い。子どもが見られる時間帯に放送される朝に放送できるような人物はあらかた出尽くしてしまった。

ネット時代となり一般市民からの批判の声が直に関係者に届くようになってしまったこともあり、登場人物の問題行為を描くと遺族や自治体など関係先から人物描写などに注文をつけられるケースが増えた。それをいちいちクリアにしていたら、とてもではないがいつまで経っても脚本ができない。というか、聖人君子ばかりのストーリーでは面白くない。

そんなところか?

だから、あえてオリジナルものに挑戦したのだろう。とはいえ、制作陣も時系列通りに主人公が成長していくストーリー展開をオリジナルのキャラで描くことが難しいのは「半分、青い。」に対する評価で実感していたはずだ。

なので、2021年「おかえりモネ」では時系列を無視した脚本となり回想シーン(その多くは説明台詞)で問題となった出来事の原因を明かすという作劇が取られた。主人公の幼少期ですら回想シーンという扱いになった。しかし、後出しの回想シーンの連発はまともな感覚を持ったドラマファンからは酷評された。

続く2021〜22年の「カムカムエヴリバディ」は全体の話は繋がってはいるが親娘3代が順に主人公・ヒロインになるというリレー形式にした。つまり、実質的には約半年で3本のドラマを放送する形にしたということだ。そういう構成なので作風も当然、途中で変わっている。しかし、1部「祖母編」の終盤、娘に“I HATE YOU”と言わせて、それがショックで娘を捨て行方不明になるという展開は批判もされた。
また、3部「孫娘編」の終盤に謎の老女が現れたが、誰が見てもその老女は1部の主人公・ヒロインであることは間違いないのに、それで話を引っ張る展開になったことにも批判の声は高かった。

そして、2022年放送の「ちむどんどん」は“ちむどんどん反省会”という言葉が新語・流行語大賞にノミネートされて酷評されるほどのでたらめなストーリーだった。
沖縄出身で料理を作るのも食べるのも好きな主人公が料理人になるために上京。銀座のイタリア料理店で仕事を得たが、何故か住まいは鶴見(言うまでもないが東京の地名ではない)の沖縄居酒屋の2階、しかも、イタリア料理店の仕事がない時はここを手伝っているという謎設定。
そして、独立し杉並に店を出すことになったが、その店は沖縄料理店。全くイタリア料理の修行をする必要がなかった。
と思ったら、この店をイタリア料理店時代の同僚に任せて自分は沖縄に帰ってしまい、そこで再び沖縄料理店をオープン。
上京する必要も、イタリア料理を学ぶ必要も全くない展開に呆れてしまった視聴者は多かったと思う。

でも、22〜23年放送の本作「舞いあがれ!」は「ちむどんどん」が傑作に思えるほど酷い展開となってしまった。

「ちむどんどん」は主人公がコロコロ、拠点を変えたし、途中でイタリア料理をかじったりはしたけれど、料理を作るのが好きな主人公という設定はずっと保たれていた。

ところが、「舞いあがれ!」ではそうしたことすら守られていなかった…。
まるで、数週間ごとに違うドラマになっているようだった。

バブルな頃にスタートした田原俊彦と野村宏伸のコンビによる「びんびん」シリーズは、どの作品でもこの2人が徳川龍之介と榎本英樹というキャラを演じていたが、その作品によって舞台はラジオ局だったり、学校だったりと設定が異なっていた。
「舞いあがれ!」もそんな感じに思えてしまうんだよね。福原遥演じる舞というキャラクターが登場するドラマが何作も立て続けに放送されたといったところだろうか。

でも、「びんびん」は間隔をあけて次の設定に移っていたから何とも思わなかったけれど、本作のように続けてやられると視聴者は混乱するよね。

ちなみに、「舞いあがれ!」を各チャプターごとに何とか編と呼ぶとするとこんなところだろうか。

演者が異なる子役時代を除くと

①なにわバードマン編
大学に入学し人力飛行機サークルに入部
→大学を中退
②航空学校編
航空学校に入学しパイロットの資格を取る
→リーマン・ショックの影響で就職を断念
③ネジ工場編
実家のネジ工場で働くことに
→父親の死後、経営が悪化するも投資家の兄の尽力で再建
→しかし、この兄はインサイダー取引の疑いで逮捕されてしまう。にもかかわらず、工場は何事もなかったかのように経営を続ける
④短歌編
幼なじみ(のちの夫)の貴司が短歌界のホープとなり、自分のやりたいことと出版社や世間が望むものとのギャップに悩むことに(舞が主人公でもない…)
⑤オープンファクトリー編
舞は実家工場の(自称?)エースとなり東大阪の周辺の町工場の経営にも色々と余計な口を出すようになり、工場の騒音に対する住民からの批判をかわすために住民から金を取ってオープンファクトリーと称したイベントで模型の飛行機を作らせる
⑥起業編
起業と言っても実家工場の子会社だし、顧客はオープンファクトリーと称したイベントで知り合った地元の工場ばかり
⑦空飛ぶクルマ編
そして、ラスト数週間となったところで突然、大阪万博のプロモーション・ビデオというかプロパガンダ的展開になり、舞はなにわバードマン時代の先輩らと大阪万博を目指して空飛ぶクルマの開発に関わることに

全部異なるドラマのようだ…。というか、デタラメな展開だ。

やっぱり、働き方改革と感染症対策の両方に対応しながら半年間にわたって放送される大河的展開のドラマを作るというのは無理なのかな。

朝ドラというのは基本、全26週放送で構成されている(放送期間中に年末年始を迎えるBK作品は曜日の配置によっては25週となることもある)。

しかし、コロナ禍に入って最初の作品「エール」で撮影中断および放送休止期間があったことから、しばらくの間、朝ドラの放送期間は春や秋の改編に合わせてスタートしない変則的な形を取っていた。

「エール」は全24週計120話(放送休止期間除く)
「おちょやん」は全23週計115話(年末年始で丸々1週間の休止あり)
「おかえりモネ」は全24週計120話
「カムカムエヴリバディ」は全23週計112話(年末最終週はエピソード数か通常より少ない)
「ちむどんどん」は全25週計125話

と通常より少ない放送期間、エピソード数で構成されていた。

なので、「舞いあがれ!」は2019年放送の「なつぞら」以来久々に全26週間構成で放送された作品となった(同作に続く「スカーレット 」は年末年始で丸々1週間休止となったため全25週構成)。
ちなみに、「舞いあがれ!」は年末最終週と年始の最初の週が年末年始編成の影響で通常より1週間あたりのエピソード数が少なくなっているので(「エール」以降の作品の基本は5)トータルでは全126話。

「モネ」、「カムカム」、「ちむ」とここ最近のオリジナルストーリーの朝ドラはどれも展開に無理があったのが、それはエピソード数を減らしたことでさらにおかしな展開になった面もあったように思える。

そして、その章によって違うドラマに見えてしまうような展開になる最大の要因はセットにあるのではないかと思う。

子役時代、なにわバードマン編、航空学校編はロケ撮影のシーンが多かった。子役時代なんか、主人公の住む東大阪の街並みですら多くのシーンがロケ撮影されていた。勿論、子役時代後半の五島編は五島ロケだった。

ところが、ネジ工場編以降はセット撮影ばかりになってしまった。
というか、元々、朝ドラはセット撮影中心なんだから、セットで撮影すること自体は否定しない。

問題なのは、特定のセットばかりが多様されていたことだ。

オープンファクトリーの説明会が何故か、主人公の実家工場で行われるし、主人公と幼なじみの披露宴も、主人公の幼なじみ(♀)と婚約者の親との顔合わせも主人公たちが出入りしている(かつてバイトもしていた)ラグビーカフェで行われる。主人公が航空学校時代の同級生にふられるのも、インサイダー騒動で心労がピークに達した主人公の兄が倒れるのも、幼なじみ(主人公の夫)が子ども相手に短歌教室を開くのも近所の公園だ。本来なら、そのストーリーに合わせたセットを作るべきなのに、なんでもかんでも特定のセットを流用するからおかしな話になってしまうんだよね。

子役時代から航空学校編にかけてのロケで予算を使い切ってしまい新たなセットを作る余裕がないのか、働き方改革、もしくは感染症対策の影響で新しいセットを作ると残業時間超過になるからできないのかは知らないが、もう少しどうにかならなかったものかと思う。

というか、大河ドラマではロケができなくても、CG合成などでロケしたような映像に仕立てあげているし、「ちむ」だって明らかに使い回しとは分かるけれど、違うセットに見せるような努力をしていたのだから、そう考えると、金も時間もないと見るべきなんだろうね。

本作の数少ないほめられる点は山下美月(乃木坂46)の演技だと思う。演じたキャラの言動にはおかしな所は時々あったが…。たとえば、仕事が続かず自分にこれまで金銭的苦労をかけてきた上に結婚までダメにしてしまった父親を何故か許しているところとかおかしいけれどね。

とりあえず、本作で安定した演技を見せていたのはその美月と主人公の兄役の横山裕(関ジャニ∞)だけだった。
つまり、好演していたのはアイドルだけということか…。まぁ、このクソ脚本に忠実な演技をしていたら、どんな名優でも大根役者になるけれどね。アイドルは多忙なため瞬発的な演技をせざるを得ないから好演になったという感じかな?

まぁ、でも本作が酷評され、「ちむどんどん」より酷いという意見が出てきたことは良いことだとは思うかな。

東京・首都圏・関東が嫌いな関西圏の人や地方民はAK作品というだけで酷評し、BKというだけで絶賛する傾向が強かったからね。

放送開始時間が現在の午前8時になって以降で最も視聴率が高かったのは2015年の「あさが来た」だが、これは自分もそうだが、「ゲゲゲの女房」や「あまちゃん」にも興味を持たなかった層が朝ドラ界隈に入ってきたということを意味するのだと思う。

自分基準で話してしまい申し訳ないが、同作以降の朝ドラのAK作品で世間一般的に評判が良かったのは「ひよっこ」だけだ。これは、通常のAK朝ドラのように主人公が地方から上京するという形を取らず、茨城から東京という同じ関東圏で話を進めていたこと、つまり、上京=東京至上主義を描いていなかったから地方民にも受けが良かったのではないかと思われる。

一方で、BK作品は「べっぴんさん」のように暗いと言われたり、「わろてんか 」や「おちょやん」のような関西ノリは関東民にとって見ていてつらいと言われたりすることもあったが、映画やドラマを真剣に見るタイプの人からはクソ脚本と思われることもあった「カムカムエヴリバディ」ですら大絶賛されていた。

でも、本作はメインのシナリオライターである桑原亮子の信者的なファン以外からは否定的な意見が多かった。

AK、BKという色眼鏡なく作品を純粋に批評できるようにしたという意味では本作は画期的な作品と言っていいのでは?

というか、桑原信者が桑原を偉大な存在にしたいためにストーリー展開や台詞でおかしなところがあれば、それは桑原担当でないエピソードを担当した脚本家が話をおかしくしたせいだと言ったりするし、桑原担当週でもおかしなことがあるとそれは演出のせいにしたりして、桑原は何も悪くないってするから、余計、まともなドラマファンはこの作品に嫌悪感を抱くようになるんだよね。

「ちむどんどん」は誰もがツッコミながら見られたけれど、「舞いあがれ!」はツッコミどころだらけなのに信者がツッコむ人に対して攻撃してくるから結局、「ちむどんどん」のようにネットの話題にもならないんだよね。

それにしても、本作もそうだし、アカデミー作品賞受賞作である「エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス」もそうだし、「シン・仮面ライダー」もそうだけれど、“つまらない”という感想を抱いた人に対して、“お前に行間を読む力がないからだ”とか“お前に知識がないからだ”とか“老害だからだ”とか言って攻撃してくるのはなんとかならないのか?

というか、映画やドラマを見ている人ほど、本作にしろ、「エブエブ」にしろ、「シン・仮面ライダー」にしろ、否定的な意見が多いような気がする。絶賛している方が逆に偏った知識しか持っていないのではって思う。

そして思う。桑原って良いところの嬢ちゃんで甘やかされて育ってきたから、結局、何も知らないんだろうねと。しかも、障害もあるから批判しにくい雰囲気もある。それに加えて、たまたま評判になった担当作品で盲信的なファンもついてしまった。

そういう中身のない脚本家に、女性活躍推進、航空、町工場、起業、投資家などをテーマに書かせるのは無理があったんだよね。結局、それなりのリアリティがあったのって、彼女が関わっている短歌絡みのパートだけだったしね。でも、このドラマから短歌絡みのパートを全部カットしても話は成立するんだよね。

つまり、本作が「ちむどんどん」を下回るクソドラマになった戦犯は桑原だということ。
「ちむどんどん」はカルト作品になり、流行語大賞候補になっただけ、まだマシってことかな。話題にはなったからね。

「舞いあがれ!」で一番話題になった台詞って、“ジュリエットアルファゼロワンタンゴチャーリー”だと思うが、これって桑原でない他のライターが担当した航空学校編でよく出てきたフレーズだしね。

やっぱり、桑原には朝ドラの脚本を書く力はなかったんだと思う。

それにしても、幼なじみの3人組(舞、貴司、久留美)が家族になるって気持ち悪い展開だね(舞と貴司は夫婦に、久留美は兄の妻に)。しかも、舞の娘と、五島時代の幼なじみみたいな存在の一太の息子もいい感じっぽいから、描かれてはいなかったけれど、一太まで身内になる可能性があるわけでしょ。本当、これのどこが桑原信者の言うところの繊細な脚本なんだ?

結局、第1話で出てきた飛行機を操縦する舞らしき女性パイロットってなんだったんだろうか?死んだはずの舞の父親もいたし、その先の展開を何も考えていなかったんだろうね。


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