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碁盤斬り

本作の監督である白石和彌は映画界のパワハラ・セクハラをなくすと豪語しているが、その当人が自作に出演した綾野剛の共演女優に対する性加害を黙認し、彼をかばうような発言をしているのは矛盾だし、欺瞞だし、偽善でしかない。

だから、今後、彼の監督した映画は見ないようにしようと思っていた。

同様に本作の主演俳優である草彅剛は奇行により逮捕された経歴があり、逮捕当時はジャニーズがこの事件を隠蔽するためにマスコミに“強要”した草彅メンバーという呼称がネタにされたほどだった。
しかし、ジャニーズの内紛でSMAPが解散し、彼が事務所を抜けることになった途端、アンチジャニーズを含めた世論が草彅マンセーに傾いていった。これには違和感しかなかった。

そんなわけで、白石・草彅コンビの映画なんて金を払って見に行きたくないというのが本音だった。

ところが、見に行かざるを得ない作品であることが判明した。それは、草彅メンバーの娘役として清原果耶が出ていることが分かったからだ。

見終えた感想としては、やはり、清原ちゃんが出ていなければこの映画を見ることはなかったなというものだった。



やっぱり、白石和彌って欺瞞、偽善だらけの監督だなと思う。何というか、リベラル・左翼のフリをしているネトウヨって感じかな。

不祥事を起こした者、特に政(まつりごと)や商いに関わるような権力を持った者の不祥事に対して、彼等だって仕方ないところがあるという本作で描かれた視点は政権を追及する立場であるリベラル・左翼の考えとは思えない。

まるで、モリカケサクラ、統一教会、裏金、増税メガネ。そんなことで追及なんてしなくてもいいじゃないか。それより、建設的な対案を出せと決まり文句のように主張するネトウヨのような思想だ。

それから、前半と後半のつながりが悪すぎる。勿論、これは(読んではいないが)原作のストーリー展開を追っただけのものなのかも知れないが。

でも、中盤で唐突に主人公の妻の死の理由が明かされ、主人公が妻を死に追いやった者を征伐するための復讐の旅に出てしまうのは唐突な展開だと思う。また、主人公と年齢や立場を超えて、囲碁で結びついた商人から盗っ人扱いされる展開をこの復讐の旅とほぼ並行して描いているせいで話の進み方が雑になってしまっている。

ことごとく、惜しい作品だなと思った。

草彅剛の後半の演技はいつもの彼の出演作品と比べて明らかに雰囲気の違うものを楽しむことができた。これは、草彅メンバーの好き嫌いに関係なく評価すべきだと思う。

そう言えば、囲碁と言えば、中学の時、放課後のいわゆる部活動とは別に授業としと行う全員強制参加のクラブの時間というのがあって、何故か、囲碁部に入っていた。
まぁ、担任が顧問だったので教室を移動しなくていいし、体操着に着替えたり、道具を用意したりという手間がなくて楽だという理由で選んだだけなんだけれどね。
でも、そのおかげで趙治勲という囲碁棋士の存在を知ることができたんだけれどね。

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