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作家の顔は知りたくないし俳優のプライベートは知りたくない

これは単に「どう思う?」と聞かれて答えたとしても、本当のところどう思っているのか分からない類の問題だと思う。


自覚している以上に見た目や印象に左右されやすい

「作品と作り手の人格は切り分ける」ということを日頃気をつけている。
具体例を挙げると、好きな映画があったとして、主演俳優のスキャンダルが後に報じられたとしてもその映画の価値は変わらないよね、という話。
俳優の演技は素晴らしかったし、映画を観て感動した事実は変わらない。
俳優のスキャンダルはそれらを否定するものではない、でしょ?
人気がある人ほどスキャンダルなニュースは多いので、よくある話だと思う。

あと注意しているのが作家の顔写真。
特に小説家はメディアに積極的に出ている人は少ないので、好きな作家でも顔を知らないことが多い。
最近の小説には著者の写真はないことが多い(と思う)が、昔の作品を見るとカバーに顔写真が載っていることがある。。
そこでいろいろ思ってしまっても、作品の感想には関係ないと意識している。容姿が整っていても好みでなくてもイメージと全然違っても、、それは関係ない。
これは作家以外にも声優やアーティストなど、普段顔出ししていない人に対して気をつけていること。

考えすぎかしら。
でも私は毎回こんな面倒なことを考えてしまう。
つまりそういう風に気をつけていないと、あっという間に印象が変わってしまうから。

不合理なのも人間らしくていい

なんでわざわざこんなことを考えているのかというと、この考えを整理するまではブレブレだったから。
好きな俳優がスキャンダルを起こしたら印象が悪くなり、出演していた作品を観なくなった。
好きな作家やアーティストの個人的な発言が過激すぎてショックを受けると、好きだった作品にまで苦手意識を感じてしまった。
反射的に思ってしまうため仕方がないことだとは思うが、毎回モヤモヤする。

だって好きな作品や好きな人は、すべてを肯定したくなるじゃない。
自動でエフェクトをかけて、本人の容姿も性格も、見たこともないプライベートも素敵に見えてしまう。すべてが理想に見える魔法があるのよ(自作自演)。
だからネガティブな情報が入ると、高まりすぎた理想が一気にくだけてしまう。結果的に必要以上に悪い印象を受けて、すべてを遠ざけるようになる。

でもこれに気づいてからは、ニュースやプライベート、写真など、作品以外の情報を評価に加えないように気をつけるようになった。
気をつけていたとしても反射的に感情が沸き起こることはあるけれど、「これはこの情報に対しての感情ですよー」と整理するようにしている。
効果が100%とは言い切れないけど、だいぶ緩和できるようになったと思う。
良い情報で過度に評価が上がるのもおかしいし(熱中しているときはこうなるけどね)、悪い情報で不必要に下げるのも嫌なのよね。

でも人間ってそうらしいよ(←漠然)。
採用の場面でも容姿や身なりが良い人の方が能力値が高く見えるらしい。
見た目で判断されるのは仕方のないことだから、まあそういう自分も受け入れている。
自分、ちゃんと人間してるなって思う。

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