ドタバタ京都旅行記1.〜平等院と伏見桃山陵
京都の神社仏閣や庭園は、煌びやかで豪華で華やかなところが多い。それらはかつて、京の都に住む平安貴族が財と贅を尽くし、芸術の極みを目指して造ったものだから。
そのお貴族様の贅の極みに預かろうと、私は妹と2人、極楽浄土を模した「宇治平等院」へと向かった。
▼もう召されてもいい。そんな平等院鳳凰堂
あいにく朝から曇り空。雨が降り出しそうな天候のせいか人もまばら。それでも池に映り込む鳳凰堂は美しい。
平等院鳳凰堂は1053年に時の関白、藤原頼道によって建立された。崇高な芸術センスと職人技で、千年も前にこれほどの建造物と仏教芸術、壮麗な庭が生み出されたのだ。
それを現在まで補修しながら、どう考えたって庭師だけでも莫大な予算をかけて守り抜いている。私はそこにも惹かれるのだ。
「遺す」「伝える」というのは大変なこと。「遺す」ためには、気概も予算も技の伝承も不可欠だ。それが息づいている京都は本当に素晴らしいと思う。
鳳凰堂の中に入ると阿弥陀様の金箔もやや煤け、周りの柱やなんかも歴史的重厚感たっぷりの茶褐色。いわゆる古きありがたき雰囲気ってやつ。
でもここは極楽浄土を模して造られたはずだ。当時はもっと極彩色のキラキラピカピカハデハデだっただろう。「わびさび」の精神なんてこの時代にあるはずもない。撮影不可だったため、パンフレットの写真で雰囲気をお伝えしたい。
▼CGで、極彩色を再現した当時の鳳凰堂
ミュージアムショップに、当時の鳳凰堂を再現したCG写真集があった。
↑上の写真は、私たちが見ることができる現存している堂内。
そして下の写真↓は、千年前、建立当時の色彩や文様を再現したCG写真。
まるで本物のように見えるが、すべてCG。
貴族達が思い描いた極楽浄土は、こんなに絢爛で美しい色彩だったという。
平安時代、特に貴族は短命だったと言われている。勢力争いだけでなく、栄養の偏りによる病死はよくあった。頼道の父・道長も、日本最古の糖尿病患者だったと伝えられている。きっと来世に救いを求める気持ちは大きかったのだろう。
CG再現された仏様の写真集を見ていると、これなら召されてもいいなあなんて思えてしまう。そんな風に心酔できる美術と信仰だったんだろうなと思う。
▼明治天皇伏見桃山陵でウォーキング
平等院の帰り、妹から「ここ行くよ」と半ばむりやり連れて行かれた伏見桃山陵。いわゆる明治天皇のお墓だ。
静かで厳かな山に入り、ゆるやかな傾斜を上る絶好の散歩コースになっている。
この階段、かなり急勾配の230段……。上りきれば天皇陵だ。
階段を使わなくてもぐるっと迂回して、緩やかな山路を上るコースが用意されている。しかもマイナスイオン大放出、森林浴が楽しめるなんてちょっとウキウキ。
山路コースはウグイスのさえずりがけたたましかった。美声攻撃も度が過ぎると笑っちゃう。それだけ鳴けば可愛いメスも寄ってくるよ。
頂上の明治天皇伏見桃山稜。歴代の天皇が眠られている。南北155、東西127メートルの巨大な陵に圧倒される。
天皇陵が見下ろしているのは、山の裾野に広がる京都市街。
迂回コースを往復しただけなのに、このウォーキングはかなり疲れた。
妹が伏見桃山陵の散歩コースを選んだ理由はコレ↓
昼食で食べた皿うどんだ。横に妹のiPhone SEを置いてみたけど、イマイチこのボリューム感が伝わらないのが残念。大食い選手権並みの量で、かなりやられた。
単品でもこれなのに、ランチセットはこのサイズよりやや小さなちゃんぽんに、おっきな唐揚げの入った重箱のお弁当、そして餃子の3点セット。絶対に無理!!!
JR宇治駅ロータリーを渡ったところの中華料理屋だ。名前は見てない。量が魅力の店に違いなく、満腹狙いの大型男性客で埋まっている。
なぜこの店に入ってしまったかは、いまだに謎。
腹ごなしの運動が目的だった、伏見桃山陵ウォーキング。
なのにこの日の歩数、9,841歩……。
移動は車だから大して歩いてない。腹ごなしできてない証拠に、夕飯は食べられなかった。
「明日は観光しながら本格的な運動メニュー考えてるから」
妹よ、なんで運動なんかを合体させる……。
予告通り、明日はホントにどえらい目に遭うことになる。