「六月一日は衣替えをするものだという古の教えを、私は母から教わったのですよ。」 取引先の人と雑談している時にこんなことを言われた。50代くらいに見える取引先の企業の部長さんだ。今日は六月一日。今月、私の会社と共同で開催するイベントの打ち合わせでカフェに来ている。と言っても対面ではなく、個室をとってzoomで話している。幸い、特に懸念すべき点もなく1時間だった会議の予定は15分で終わってしまった。沈黙でお互いに気まずくなるのも嫌だし、かといってzoomを切り上げると仕事に戻
「タチアオイが咲き始めたら梅雨の始まりなのよ。」と昔お世話になっていた農家のおかみさんが言っていた。「そして、上まで花が咲ききって最後の花が散ったら梅雨が終わるの」。このセリフは不思議と記憶に残っている。今でもタチアオイを見るたびにその時のことが想起される。 暑い夏の手前で、私とそのおかみさんは畑で桃の木の手入れをしていた。空に向かって伸びた桃の枝やそれについている葉に黒い油じみがついている。私たちはそれを丁寧に切り取って、腰に下げたビニール袋に入れていく。病気の一種なの
人が去っていくこともまた起こりうること。自分が相手のことを分かり切っているとつい思ってしまうのだ。 知らない視野があるのだということを、一人だとつい見逃してしまう。自分一人で努力すればいいのだとつい思ってしまう。見える範囲しか描画されていないから。 袋小路の中で、壁のシミの形を暗記するまで見つめて。動き回っていた範囲は結局3メートル。そんなことに知らぬ間になっている。 なので去る人は追う、少なくとも目では。自分の見ていなかった視野が広がるかもしれないから。
仕事をする上でぜんぜんメールやチャットが返ってこない上司がいる。忙しいのだろう、ちょっとつついてみる。「この間のメールの件いかがですか?」するとPCの画面を見ながら返事がひとつ。 「いいんじゃない」 これで「よし、いいのか!」と意気揚々となれないのは何故なのだろう。「そうですか」とひとこと言って席に戻る。 コミュニケーションの基本としてなんとなく呼びかけたら返事が返ってくるものというのが習慣として染み付いてしまっている。違和感を感じるのは自分が習慣に染まり過ぎている
悪いことが起こる勘はよくわかる。人には防衛本能がある。きっとそれが優れていた人たちの子孫が私なのだろう。 お金のこと、将来のこと、夢のこと、やりたいこと…。下手に道具が発達したせいで、予兆をいっぱいキャッチできるようになった。でも本能に従って悪いこと、怖いことを多めに。そこだけ妙に原始的。 胸が熱くなることも、飛び回りたくなることも、愛しくなることも同じくらいキャッチしたらいいのに。
もう5月が終わります。 5月病という言葉とは学生の頃におさらばしたつもりでしたが、どうも違ったようで…。今振り返ると5月に何をしていたかが全く思い出せません。 なんだかふわふわしたまま終わろうとしている5月。毎日書いていたnoteが記憶の錨になって、私の脳から流れ出ていくのを防いでくれるかと思っていましたが、そんなこともなく、その錨を手繰り寄せる気力もなく。私の脳は空白のまま5月が終わっていきます。 元来、あまり日々に楽しさを見出そうとか、充実した毎日を送りたいとかそ
やれやれ、やっと残り100ページ。 村上春樹さんのねじまき鳥クロニクルも3章の終盤まで読み進んできました。彼の小説を読むのははじめて。 タイトルは昔から知っていたので、図書館でふと思い立って探してみると書庫に保存されていました。司書さんに持ってきていただくと、分厚い。外れそうなページがあったり、色が黄ばんでいたりして歴史を感じる。発行年をみると、この本は自分よりも年上だった。そして同じような厚さの本が3冊、上・中・下巻の構成になっているという。ビビってとりあえず第1巻だ
意識してやらなければ現代人にとって声の大きさはほぼ囁き程度で足りてしまう。屋外で離れた場所にいる仲間に声をかけたり、獣を追い払ったりといった声の需要はほぼなくなってしまった。特定の人を除いて、声帯の「大声を出す」という機能を大いに活用する人はほぼいなくなってしまったのではないだろうか。 しかし、声帯も筋肉。今日、久々に歌を歌った時にそれを自覚した。使わなければ錆びついていく。生まれた時に、その当時の体のスペックでマックスまで活用した発声器官はすっかり縮こまってしまい錆びつ
お金が足りない。 お金が足りなければ焦りが生まれる。 焦りがあると疲れる。 疲れると落ち込む。 落ち込むと自信がなくなる。 自信がなくなると無気力になる。 無気力になると仕事ができなくなる。 仕事ができなくなるとお金が足りなくなる。 なんだか全てお金が足りなくなることに結びついていくような考え方になりがちなのです。すなわち疲れているのです。 あと、そんな時はどこか体調が悪いのです。たとえば歯が痛いとか。 あと、気圧が低いとか。 きっと天気みたいにし
学校で勉強したことなど社会に出てからは使わないというのはよく聞く話である。実際に私もそうで、使っているのは文章を記述する国語の知識と部活で培った体力くらいだ。 今日、久しぶりに最小二乗法を使った。といっても集めたデータを散布図としてexcelのグラフにプロットして二次関数の近似曲線を引くだけだが。自分で計算することなく、瞬時に美しいグラフが出来上がる。まあ、正確性とか信頼できるものかとかは非常に疑わしいが、それっぽい線が数式付きで出力できるということにおいてはexcelで
大人になってから、家族と話すということを滅多にしてこなかった気がする。生活する場所も変わり、周りの人間関係も異なり、仕事も異なり。身の回りにいる赤の他人よりも他人になっていた。会うのは正月だけ、連絡はLINEのテキストメッセージだけ、そんな関係性。 病気やら介護やらがきっかけで会話することになっていくのだろうなとはなんとなく思っていたが、どうやらそのようだ。そういったイベントは悪い面が目立つが、決してそればかりではない。今までの人生、時間経過の中でこっそり蓄積してきたポイ
ハガキや封筒のお値段がまた上がるそうですね。日常的にそれらの通信手段を使うことはほぼなくなった現代ですが、この寂しさはなんなのだろうかなと自分でも不思議です。 私は子供の頃からメールがあり、LINEがあり、通信手段に紙を使うことはとっくにナンセンスになった時代を生きています。そんな私でも祖父母と連絡を取り合うためには手紙を使います。祖父母は戦争が終わった直後あたりに生まれた世代です。人によってはスマートフォンを使いこないしていてもおかしくない世代ですが、彼らはスマホどころ
人の家の庭はジロジロ見るものではないとは思うが、やはり目がいってしまう。暖かくなってあちこちの庭でバラが咲き始めた。花は咲いているだけで目を惹く。 名前はわからないけれどあんな花も育てたいなとか、こんな色のバラがあるのかとか…。妄想するだけだけれど、庭があったらいいだろうなとか、さし木で増やしたいなとか、あのフェンスだったらここに結びつけてツルを這わせるなとか。人の庭は試食コーナーのようだ、自分が育ててみたい植物のifを見せてくれる。 花は咲いているときに目を奪うが、自
季節外れの昨日の天気と違って、今日は穏やかな日曜日だった。気温は22℃。人が最も快適に過ごせる気温である。半袖を着ていれば汗はかかないし、昼寝をするにはもってこいの暖かさだ。室内の日の当たらない場所に居るとほんのり涼しくて、目を閉じて手足を投げ出せばすぐに寝ることができる。ただし、今日は歯が痛い。 バラの花が美しい時期だ。街を歩いていると庭木や街路樹としてバラが多く使われていることに気がつく。先日までの暑さと、アスファルトの照り返しでで少し早めに咲いたそれは、背伸びをする
眠れない夜というものは誰にでもあるのではないでしょうか。現にいま午前4時、私は眠れない夜を過ごしています。 昨日の夕方、虫歯の治療をした歯が痛くて眠れないのです。治療の時にしていた麻酔と昨日の夜に飲んだ痛み止めのリレーが切れた夜中の3時。眠りが浅くなっていたのか、新聞配達のバイクの音で私は目を覚ました。それから歯の痛みを思い出してから今に至ります。朝まで眠っていられたらどんなに楽だったろうと考えるのですが、考えている時点で眠りと覚醒の中間地帯を抜け出して私の頭は目覚めてい
平日の勤務が終わった。1週間お疲れ様。 今週も様々な出会いと別れがあった。私は仕事をする上で一体何人の人と出会っていたのだろう。数えきれないほどたくさんの人と関わっていた気がする。そう考えると幸せな仕事なのかもしれない。でも人との出会いは喜びも多いがストレスも多い。週末に入りかかった私は、マイペースに自分の思うままに過ごしたいと思っているので、やはり人と会いすぎているのかもしれない。それは絶対数の問題でもないし、他の人と遭遇数を比較すべきものでもない。自分の体調と、お天気