見出し画像

【海外の街を歩く】初めての海外旅行(第二章)

ワシントンD.C.滞在と時差ボケ

ワシントンD.C.滞在中、ジョージタウン大学近くのホテルに宿泊した。
ホテルは朝食付きで、毎朝、ビュッフェスタイルの食事を摂ってから観光に出掛けていた。
ビュッフェのメニューは、サラダ、ベーコン、ハム、ソーセージ、玉子、パン、フルーツとコーヒーなどだったが、観光の関係で昼食はいつも14時から15時ぐらいにしていたので、朝食はしっかり摂ることにしていた。

ワシントンD.C.の街中まではバスを使い移動していた。
ワシントンD.C.での観光のメインはスミソニアン博物館巡りだった。
16ある博物館を順番に巡る計画だった。
全部行けたかは忘れてしまったが…。たぶん、行けなかった博物館があると思う。

最初に入ったのは国立航空宇宙博物館
最も楽しみにしていた博物館。
展示物を嬉々として見入っていたが、徐々に集中力が切れてくるように…。
徐々に立っているのが辛くなってきた。
時差ボケで立ってられなくなったのだ。
しばらく、椅子に座り休んだりしてみたものの、どうにも眠く体が重い。
結局、旅行二日目は途中で見学を諦め、ホテルに帰って寝た。
これまでの経験だと私の場合はアメリカ、カナダに行く東回りだとほぼ毎回時差ボケになっている。

街角の風景

ワシントンD.C.の建物もあちこち見て回った。
ホワイトハウス国会議事堂ワシントン記念塔リンカーン記念堂アーリントン国立墓地などなど…。
歩いてみて感じたのは、ワシントンD.C.は政治の街だということ。
ナショナルモール周辺は、国政関連の建物が多く威厳を感じるとともに、落ち着いた印象を受けた場所だった。

ワシントンD.C.の通りを歩いていると、教員に引率された生徒の集団とよくすれ違った。
学期終了間際の校外学習だったのだろうか?
それと、2007年6月の初夏のワシントンD.C.は結構暑かった。Tシャツ姿の人をよく見かけた。

ナショナルモールとワシントン記念塔

ワシントンD.C.の鉄道駅、ユニオン駅周辺に関しては時間帯によって雰囲気がガラッと変わる街だった。
昼間、通りがかった際は特に何も感じたのだったが、夕刻通った時は雰囲気が変わり身の危険を感じた。
この辺りを彷徨っていては危険と察知してすぐ引き返した。
感覚的に分かるくらい、街の雰囲気の変化を感じた地域だった。

夕食はいつも苦戦

三日目の夕食は、ホテル近くのカジュアルなダイナーに寄り取ることにした。
二人だったので、サラダとラージサイズのピザを頼んだのだが、大間違いだった。
アメリカのラージサイズは私達の想像を超えていた。
出てきたサイズに驚いていると、店員から「ラージって言ったじゃないか」と言われ、「確かにそうなんだけど…」と思ったものの…。
結局、食べ切ることなく残した…。

四日目の夕食は街中のしっかりした感じのレストランに入ってみた。
ただし、英会話が苦手な者にとっては少々いづらいことを実感した場所だった。
メニューは当然だが全て英語。分かるのはカテゴリーまでで、料理自体はどんなものか全く見当がつかない。
注文からして大変…。

ようやく注文を済ませ、出てきた料理を食べ進めるが、店員に料理の感想を聞かれる。
「美味しいです」と答えていたが、言葉がすぐに出てこないのは辛いものだ。
台北やハノイ、上海などに出張した際には、日本語が通じるホテルに宿泊したが、海外で日本語が使える環境はホットする。

ホテル周辺を散策

五日目。
ニューヨークに移動するする日の午前中は、ホテル近くのジョージタウン大学のキャンパスを散策をしてみた。
大学のキャンパスは緑が多く、落ち着いた雰囲気だった。
こんな環境で学生生活を送れたらさぞ楽しいだろうなと思う半面、毎日の課題も多いと聞いているので、ついて行くのが精一杯なんだろうなとも思う。
更に、全て英語の環境になると…。
日本語で教育を受けられた幸せを感じる。

(参考)ワシントンD.C.の概要

ワシントンD.C.(District of Columbia)は、アメリカ合衆国の首都。
東海岸、メリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川河畔に位置する。
1790年7月16日、首都立地法により、新しい恒久的な首都がポトマック河畔に置かれることになり、ジョージ・ワシントン大統領により選定された。
1791年9月9日、連邦の首都はジョージ・ワシントンに敬意を表してワシントン市と命名されている。

人口:705,749人(2019年時点)
面積:177 km2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?