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【海外の街を歩く】ローマを歩く(その8)

最高裁判所

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」で写真を撮ってから、2時間程掛けてローマ市街を北上し、最高裁判所(Palazzo di Giustizia)までたどり着いた。
ローマの最高裁判所は1888年~1910年の間に建築され、1911年から開所された建物だそうだ。
まだ100年ほどしか経ってない建物で、我々の感覚からすると厳粛な雰囲気の建造物と感じるのだが、イタリア人の感覚では装飾が悪評で、「醜悪の建物(Palazzaccio)」という別名でローマの人たちに広く知られているそうだ。
テヴェレ川に架かるウンベルトI橋(Ponte Umberto I)を渡りながら建物を眺めたが、いかにも裁判所という感じがした。

最高裁判所

サンタンジェロ城

裁判所の前を左折し、サンタンジェロ城に向かった。
サンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)
は、ローマのテヴェレ川右岸にある城塞だ。
建設開始は紀元135年で、ローマ帝国の「五賢帝」のひとり、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、完成したのはハドリアヌス死後翌年の139年、第15代ローマ皇帝アントニヌス・ピウス治世だった。
以降、歴代の墓となり第20ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスまで埋葬されたが、ローマ帝国の崩壊後とともに軍事施設として使われるようになり、14世紀頃になるとローマ教皇の要塞や監獄として使われるようになったそうだ。
現在は国立サンタンジェロ博物館として公開され、古代から近代までの武器などを展示している。

下から見上げたサンタンジェロ城

城内を歩くことができ、階段を昇って行った。

サンタンジェロ城内の階段
サンタンジェロ城の内側
城から眺めたサンタンジェロ橋
城内の階段
城から見下ろしたサンタンジェロ橋

歴代教皇は城内の居室の改修に力を入れたそうで、その中でも教皇パウルス3世(在位:1542~1549)の居室「パウロの間」の「聖パウロとアレクサンドロス大王の生涯が対置して描かれたフレスコ画の連作は必見」なのだそうだが、そんなことも知らずになんとなく見学してしまった・・・。

パウロの間

サンタンジェロ城という城の名は、590年にローマでペストが大流行した際に、時のローマ教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来するそうだ。
その故事を記念して、テラスに大天使ミカエル像が設置されるようになった。現在の青銅製の像はPierre van Verschaffeltの制作によるもので、1753年に設置されたらしい。

大天使ミカエル像

サンタンジェロ城には、ヴァチカン宮殿とを結ぶ秘密の通路「パッセット・ディ・ボルゴ(Passetto di Borgo)」がある。
教皇が他国からの侵略から逃れるために幾度となく使われてきた秘密の通路だそうだ。
城の上からみると約700メートル離れたサン・ピエトロ大聖堂まで延びている通路が見えた。

パッセット・ディ・ボルゴ(Passetto di Borgo)
テラスからの眺め
サンタンジェロ城内


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