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文章苦手な人がまず心がける約10個の事柄

最近写真家やクリエイターの方に「文章どうやって書いたらいいですか」とか、「人前で話すときのコツありますか」とか質問を受けることがあります。その都度、「いや、俺は本当は文章苦手やねん」とか「極度の人見知りで本当は人前で話すのは嫌なんだよ」とか言ってるんですが、あんまり信じてもらえないです。なんかやたら書いたり、話したりしてるし、教員という仕事柄もあって、文章系のことが得意だと思われがちなのかもしれません。でも、本当に文章書くのも話すのも苦手で、逆にいうと、それだけマジで苦手意識があって、人見知りで、コミュニケーションがつらいからこそ、なんとか「文章」と「話し言葉」がうまくなるように努力したのは確かといえば確かで、それが今に繋がってるような気がします。

とはいえ、元は適正ゼロの人間だからこそ、確かに見えているものってのはあるかもしれません。今日は人間の言語コミュニケーションのうちの「書き言葉」、すなわち「文章のコツ」みたいなものを、苦手な人向きに書いておこうかなという記事です。専門的な部分は専門的なライティング(writing)の先生にお任せして、「苦手な人」向きに「これだけは押さえとこ」ってことを書いておきます。

ちょっと前にも「文章の書き方」のノート書きました。あの時は「長い文章を読んでもらう」がテーマでした。

今回はより基本の方の話です。文章を書ける、話ができるという需要は最近特にクリエイターには必要になってきている資質なので、多少は役に立つかもしれませんよ。てことで、ここから各論。

・基本編

1.難しいことを言おうとしない

一番大事なこと書きますね。難しいこと言おうとしない。これだけでも意識すると、かなり文章がすんなり行きます。どういうわけか、人間は文章を書くときは、襟を正しちゃう性質があるみたいで、「なんかちゃんとしたこと書かなきゃいけない」みたいな気持ちになるようです。普段使わないような言葉遣いだったり、普段読んでない本のようの書き出しをしたり。特によくあるのは、身の丈に合わない専門用語や難しい漢字を使ってみたり。

そうじゃなくて、自分の体と心にちかい単語を選んで文章を作ってください。いい文章ってのは、「声が響いているような文章」のことを指すんですが、そういう文章ってのは、その人に近い単語からしか生まれない。そしてその単語をじっと大事に扱って、手触りを確認して、適切に置いてやるだけで、素晴らしい文章が出来上がります。例えば最近知ったとても若い学生さんのnoteですが、これなんて凄まじいです。

難しい単語なんて何一つないのに、感情や光景が立ち上がってくるような文章。とてもとても「言葉」と仲がいいことがわかりますし、その言葉を大事にしているのが伝わってくる。ずっと読んでいたいなあと思わせるってすごいことです。

2.一文の長さを「音のリズム」として捉える

これも大事。一文がすごく短いのだけ書いちゃう人、長いのだけ書いちゃう人。これ、どっちもあんまりよくないです。文章は最終的に相手に「声」として響かせなきゃ届かないです。だって、文章ってのはただの記号ですからね、記号に意味を持たせるのは、いつだって人間の肉と骨で、そこから発せられた「声」こそが大事なんです。

で、ちょっと想像してみてください。「おはよう」「うん」「ありがとう」「ご飯」「寝る」と、一単語だけで話してる人がいたら、ちょっとロボットみたいですよね。逆に、ずっと長い長い、切れ目のない文章をずっと話している人がいたら、徐々にこっちの意識が飛んじゃいそうになりますよね。

いいコミュニケーションって、受け答えのリズムがいいじゃないですか。時々長い話をして、受け手は相槌を打って、でもその後は受け手の方が何かを思い出してちょっと自分の話をして、みたいな感じで長短が一定しないんです。で、それこそが人間の「声」で発される言葉のはず。一文の長さを音のリズムとして意識して出力することが、あなたの文章を「声」に近づけます。

3.文末でテンポを整える

上のやつの派生というか、より注目するところなんですが、日本語って実は「文末」が厄介なんです。気を抜くと「です、まず」とか「である」とかが連発で終わっていく。英語は最後が名詞だったり副詞だったりするんで、表現のバリエーションが多岐に渡るんですが、日本語はラストが述語になるんで、気を抜くと文末が似通ってくる。だから、デスマスばかりで終わりそうになったら、例えば名詞で終えたり、疑問にしてみたり、同意を求めたり、とにかく色々。現在形をうまく使うってのも大事です。どのようにするにせよ、文末が単調になると、文章を読むのがキツくなります。文末気をつける、これ大事。

4.結論は先に言っちゃう

日本語は構造上、センテンスレベルでも最後に結論が来るようになっています。これがテクストレベルでも日本語の「結末の遅さ」に至る根本原因の一つなんですが、だからこそ意識的に結論を最初に言っちゃうのがいいです。英語のテクストだと、書き出しの具体例の後、抽象度を引っ張り上げて結末を言うってのが結構民間レベルでも徹底されてますが、日本語はどうしてもダラダラしがち。とはいえ、これはまあ、エッセイみたいな「結論のない文章」には当てはまらないので、時と場合によりますけどね。

5.文章の最後に「ここまで長い文章を読んでくださってうんたらかんたら」言わない

これは「ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございます」だけの話ではなくて、あらゆる「紋切り型」(定型表現のことです)を排除すると言う意識を指します。1でいった「難しいことを言わない」と根っこのところで共通するんですが、本当に思ってもいない言葉や、ただの埋め草のような表現を使っちゃった瞬間、文章から「あなたの声」が消えます。文章を書き、世に放つと言うことは、意図的に自ら「出る杭」になるようなものなので、自らその杭の高さを下げる必要はないんですね。文章くらい、右に倣えの日本式平均趣味はやめちゃいましょう。

文章は形式の塊です。守らなきゃいけないことやルールだらけ。だからこそ、本当にありがとうって思ってるなら、別の言い方でいったほうが良い。

てか全ての紋切り型の表現なんて、袈裟斬りで切って落とした方がいいんですよ、知らんけど。「知らんけど」、あえて使いましたよ。これもそろそろ見飽きた感じがするので避けた方が良い表現かもしれません。でも、後で抜群に上手く使ってる例もあるんで、一概に言えないところもあるんですけどね。

6.責任を引き受けつつ、ヘイトは買わない

文章を書くと言うことは、「文責を担う」ってことです。フェイクが溢れかえる今の時代、そしてAIが文章を生成するようになる次の時代においては、これがめちゃくちゃ大事。世の中に自分の言葉を放つと言うことは、世の中に対して出る杭になると言うことで、自分という「杭」を出せば、その出方が目立てば誰かが叩くのが日本という社会です。いや、日本だけではないです、どこの世界だって似たようなもんです。でもそれを恐れて、誰が書いたかもわからんような文章を書いても意味がないんですよね。自分の書いた文章の結末を引き受ける意思を維持して文章書いてください。

一方、もう一つ大事なのは、余計なヘイトは買わないってことなんです。今書いた通り、出る杭はぶっ叩くのが世の習い。特に文章ってのは、情報の塊なんで、何かが誰かの気に触る可能性がある。もちろん、時には地雷原のようなテーマを勇気を持って突き進まなきゃいけない時もありますが、そういう時だって、可能な限り用心して地雷を踏まないようにしないといけないです。余計なヘイトを買わないためにはどうしたらいいのか。それが次。

7.単なる思い込みを事実や真理のように言わない

これです。人間の世界は、認知によって歪んでいます。よほど丁寧に裏取りでもしない限り、自分の言っていることは「思い込みである」という認識を持っている方がいいです。そして他者が言っていることもまた、事実でも真理でもない。よくても「思い込み」、悪い場合は意図的なフェイクです。

でもそういう、いわばフィクションだらけの世界の中で、「自分が話していることは自分の作り出したフィクション、思い込みである」という留保を心に保っている人の言う言葉は、一定以上の「確らしさ」が付与されます。逆に、まるで自分が言っていることが絶対的に正しい事実や真理であるように書かれている文章は、その時点でほとんど読む必要がないものになってきます。もちろん、専門家が身命を賭して書いているような文章は別ですけどね。

・応用編

8.ロマンとユーモアを忘れない

ここからは応用編です。上に書いたようなことをつまみ食いしながら、後はただひたすら書くと言う行為を続けていれば、いずれ文章は上手くなるんですが、ある一定書けるようになったら意識してほしいのは「ロマンとユーモア」です。人はパンのみにて生きるにあらず。ジョークだけでは生きられませんが、ジョークなしでは生きたくないってのが人間です。だからこそ、文章に「ロマン」や「ユーモア」があると、急に文章に温度が宿ります。

最初に「文章で大事なのは声を響かせることだ」みたいなことを書きましたね。そのさらに応用です。文章にロマンやユーモアがあると、その文章に、その人の人間としての温かみのようなものが宿ります。この部分のぶっちぎりの例はやっぱり岸田奈美ですね。

この文章にはロマンとユーモア、そしていわゆる「ペーソス」が詰まっていて、そりゃこれで一気に有名になるのもわかるよって文章なんですが、ここにはもう一つ大事な要素があります。項目を変えましょう。

9.引用と比喩

岸田奈美の文章は真似して書けるものではないのですが、彼女の文章のすごいところは、この熱量をちゃんと「読み物」として構造化してるってことで、その構造化に役に立っているのは、夥しい量の引用と比喩によって、読み手を強引なまでに「自分のコンテクスト」に引っ張って来る「世界観を作る技術」です。軽く引用するだけでも

ニコラスケイジを、そういう刑事だと思っていた母
童話「マッチポンプ売りの少女」って感じ。
稲葉浩志が生まれなかったら「ギリギリchop」という歌は、良太がしたためていたと思う。

ニコラスケイジ、マッチ売りの少女、稲葉浩志と、引用方向も世代もバラッバラ。でもこうやって自分のテクストを引用や比喩によって「外側」に接続することで、その文化圏に属している人たちの理解と共感をグッと自分に引きつけることができる。

ここまでいくと、最後の落としで「知らんけど」が出てきても、全然今度は大丈夫なんです。めちゃくちゃ熱量のこもった文章を最後みんなが知ってる紋切り型の表現を持ってきて、綺麗に落としちゃう。水戸黄門テクニックですね、ややもすると散らかりそうな内容を、みんなが安心できるところにたった一言で落ち着けている。名人芸です。

これは多分理屈でやってるわけじゃないんです、おそらく生まれた頃からずっと、濃密なコミュニケーションの中で生きてきた「言葉の空間」の中で体得された野生の技術、平たく言えば「関西人的コミュニケーションの文章的完全版」だろうと思うんですが、なんにせよすごいことには変わりないです。ここまでのことをやれとは言わないんですが、ユーモアとロマン、そして引用と比喩というのは、文章に声と体温をもたらします。意識するといいですよ。

・最も大事なこと

10.あなたの個性を出すことが、つまり、いい文章を書くということ。

長々と書いたんですが、大事なことは結局一つで「あなたの文章に声を響かせること」が、いい文章を書くことそのものです。上に書いたことの全ては、文章の没個性化に対抗するために、長年僕がずっと心掛けてきたことでした。全部やる必要なんてないし、むしろそんなこと考えて文章なんて書けないんです。逆に、自分の過去の文章を読み直してみると、上で書いたような「ダメなこと」を結構自分でもやらかしています。でもそのやらかしを「やらかし」と捉える過程で、上のような「心構え」が徐々に作られてきました。

てことで、皆さんも何か使えるところがあったら使ってみてくださいね。

「ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございました。」

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