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SNS時代における「表現のコモディティ化」

今回の文章は、この2年ほど色々書いてきた「SNS時代の表現」というテーマの、現状におけるまとめみたいな話になります。最初に要旨を書くと、たった一文でまとめられます。それはこういうことです。

SNSにおける情報伝達の超高速化によって引き起こされる「表現のコモディティ化」に、我々はどうやって抗うのか。

この場合のコモディティ化とは、「ある表現が瞬く間に代替可能品で溢れかえるようになること」を指します。つまりSNS時代、特に今後5Gが整備され、情報伝達がさらに加速化し、空間の距離や言語の壁もさらに低くなることが予見される2020年代においては、あらゆる領域における表現は、超高速のコモディティ化を念頭に置かざるを得なくなるということなんです。これが今回のまとめ。

SNS系の記事をまとめたマガジンも作ったので、よかったらそちらも。

さて、ここからは個別論になります。長くなりそうですが、よかったら正月休みの間にでも読んでみてください。

(まとめに追記 1月4日)
・表現が模倣されること自体はありふれたことですし、人間は模倣を通じて成長するものです。問題は「それが我々の認知が追いつかない速度で、システムの中で大量に溢れかえること」であり、それを「コモディティ化」と呼んでいます。

1.Whatの快楽

人が意識的に表現へと向かう最初の動機は、おそらく「目新しさ=whatに基づく刺激」だろうと考えています。これまで知らなかった場所だったり人物だったりの魅力を発見し、その素晴らしさや意義を伝えたいと願う気持ちが、人を表現に駆り立てる。あるいは戦争だったり事件だったりといった、「誰もまだ知らない事象=what」を伝えなきゃいけないという使命感という場合もあるでしょう。多くの状況が想定されますが、我々は「物事や現象」といった「what」を他者に伝えようとして、表現したくなるんじゃないかと思います。

情報インフラがまだ発展途上の時代においては、この「what」をただ伝えるだけでも、ある程度表現が成立し得たというのは、先日書いたこのnoteをご参照ください。

そう、情報流通の「遅さ」というのは、芸術においては意外と大事だったんです。例えば19世紀の文学を例にしてみます。19世紀は、文学が今の文学様式として成立する事になる大事な100年だったのですが、その根源を支えたのは文学マーケットの整備とそれに伴うリアリズム文学の隆盛になります。そのリアリズムなんですが、最初に花開いたのはもちろんヨーロッパです。例えばチャールズ・ディケンズが『オリバー・ツイスト』を書いたのは1830年代のことです。ところが、このリアリズムの流れが、大西洋を挟んだアメリカにやって来て形になるのは1860年代のマーク・トウェインのデビューを待たねばなりません。その間およそ30年。通信インフラの基盤はいまだに手紙で、交通インフラは蒸気機関車がようやく出るか出ないかの時代においては、ある文化の流れが伝達するのに30年もかかったわけです。(ちなみに日本はさらにその20年以上後、二葉亭四迷まで待つことになります)

こんな感じで、インフラが遅い時代においては、一つの表現や潮流は、長い命脈を保つことができる。少なくとも外部要因において表現の様式が脅かされる心配は、今ほどは大きくなかったわけです。

ところが、SNSが整備され、通信インフラも世界の隅々まで敷衍される現代においては、ある表現や手法や潮流が瞬く間に消費される世界がやってきました。上で引用した文章でも書きましたが、例えば誰もが同じ構図を思い出すであろう「清水寺の紅葉写真」を、今この状況でSNSに投稿することは、あらゆる意味において難しいんです。そのような困難な状況は清水寺のような著名な撮影地だけではなく、また写真のみに止まらず、広範な領域における「表現の主題」=whatが、一瞬にして消費し尽くされる時代が2010年代の後半に完成しました。2020年はさらにその傾向が加速します。

そんな中で表現をするためには、クリエイターはそのwhatを単なる題材としてではなく、ありふれた素材であったとしても「それをどのように見るのか=how」を突き詰める必要があるだろう、というのが最初に引用した文章で書いたことでした。それを僕は、マイケル・スタイプがかつて語った、「僕は電話帳を読むだけで人を泣かせることができる」という逸話を引用して説明しました。つまり「電話帳というありふれたwhat」を使っても、卓越した朗読という「表現力=how」があれば、それは表現として成立するということです。

2.howの野心

このことは、2010年代から20年代にかけて写真をやってきた多くの若いフォトグラファーを見ていれば、確かにそういう流れがあったことを理解できます。僕自身の経験を話すならば、それは花火撮影の変化になります。当初は「花火という美しいもの=what」を撮ることだけで感動していました。こんなふうに。

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懐かしい写真です、8年前。ところが単にwhatの持つ魅力だけでは、自分の感じた全体の感動を伝えることは不可能だと感じ、ある時からこんな撮影に変化していきます。それが次の写真です。

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この時はまだこの撮影手法自体、誰かの撮影の模倣でした。すでにこの場所からの撮影は当時多くの写真家に試みられていたからです。ただ、この時僕には「花火を遠くから撮るということは、花火撮影の可能性を拡張できるかもしれない」と感じられました。その詳細は、この記事に書きました。

花火という被写体=whatを、どの距離から見れば、よりその花火の特性を表すことができるのかという試み=howを展開した「超望遠花火撮影」がこの4年間で試みたことの1つです。例えば下の写真は、20キロ離れた地点から撮影したものです。

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ここまで範囲を拡張すると、一緒に写る街はミニチュアのようになり、さらには海を挟んだ対岸の街まで射程に収められることが判明しました。この花火は三重県の津の花火で、対岸は知多半島、つまり愛知県の光です。巨大な花火はこんな風に全ての街をミニチュア化する可能性を秘めていて、花火を単なる花火撮影以上の、「地理の特性」を表現しうるものへと拡張できると思って、本当に興奮したものです。

これはおそらく、飛行機撮影にも同じことが言えます。当初着陸してくる飛行機それ自体をとっていました。こんな写真や

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こういう写真です。

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ですが、ある時にふとした偶然で離陸する飛行機の撮影へと切り替えます。これもまた、それまでとは違う表現=howを採用することで、飛行機というwhatを別の見方で見ようとする試みに他なりません。こういう写真です。

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この写真がどうやって生まれたのかの顛末は、本にもまとめました。

もう2年前の本ですが、よかったら。今回の話とも根っこのところでは繋がっている本です。

こうした「新たなものの見方=howの探求」が、時には合流することがあります。それが下の写真、超望遠花火と離陸飛行機とのコラボレーションです(実はこれ離陸ではなく、着陸した飛行機がタラップに帰る時に、待機で止まったのを狙ったんですが)。

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こんな風にして「新たなhow」を求め続けた理由は、whatの魅力だけに取り憑かれた初期の衝動だけでは、表現が行き詰まってしまうSNS時代の、「目新しさ=what消費の速さ」という状況に対応して出てきたものでした。

3.コロンブスの卵

ここまでは前回書いた文章とたいして違わない話なんですが、今回続けたいのはここからです。「新たなhow=異なる表現」がある程度社会で受け入れられた時、素晴らしいことが起こります。そのhowが作り出した表現の分野そのものが、新たなwhatの領域を作り出すからです。例えば今インスタグラムで「#伊丹空港」で調べてみてください。数枚に一回は、千里川の土手で撮影された離陸する飛行機の写真が出てくると思います。こんな感じに。

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離陸する飛行機の長秒露光を狙う写真は、今ではそれ自体「what」として、新たな表現領域として機能するまでに至ったということで、これはつまり、世界に新しいレイヤーを加えたことに他なりません。

強力な魅力のあるhowは、そもそものwhatの持っていた魅力を拡張し、そこから分離し、新たなwhatを作り出してしまうという、コロンブスの卵のような逆転を生み出します。同じことは花火でも言えます。今では超望遠花火も、「一つの被写体=what」として選択肢に入るほど、誰もが知っている表現になりました。

さて、それ自体は素晴らしいことではあります。そう、これ自体は悪いことでもなんでもありません。世界を見る視点が増えるということは、その分世界が多様になったことを示すからです。

ただ、この時、物事は再び表現者、クリエイターにとって悩ましい問題が起こります。それは、「あらゆるwhatは一瞬で消費され尽くす」という、SNS時代に逃れることのできない法則に、この「新しいhowが作り出すコロンブスの卵としてのwhat」も瞬く間に回収されるからです。そう、これこそが「表現のコモディティ化」という事態であり、2020年代のクリエイターが避けては通れない最大の問題の一つです。

4.コモディティ化の地獄

コモディティというのは、分野によって色々とその意味が変わる用語なんですが、その核心の意味はこれです。wikiから引用しました。

コモディティ(commodity)とは、経済学において、完全または実質的な代替可能性を持つ経済的価値またはサービスである。誰がそれらを生産したのかに関係なく、市場はその商品価値を同等かほぼ同じとして扱う[1]。鉄鉱石、砂糖、米や小麦といった穀物など、大半のコモディティは原材料、根幹資源、農作物、鉱業生産品であるが、中には化学品やコンピュータメモリなど大量生産された製品もある。(Wikipedia「コモディティ」より"https://ja.wikipedia.org/wiki/コモディティ")

そもそもは経済学の用語であり、化石燃料や穀物や食料のような、世の中に流通する商品の事を指すんですが、その商品という単語がマーチャンダイズやプロダクトといった他の「商品」に当てられる単語と「コモディティ」では、着目している点が違います。「コモディティ」とは、ある商品が「代替可能である」という側面が強調されます。つまり、誰が作ったとしても、基本的にはそれらの個々の商品は特別な意味を持たず、他のものと交換してしまっても商品として成立するような品のことを指します。

情報インフラが整っていない時は、これらコモディティと呼ばれるものは、大量生産される商品に限られて適用される用語になりましたが、情報自体が大量に拡散され、そして表現が一瞬で消費される世の中になると、クリエイターによる表現さえもが「コモディティ」として成立しうることが、証明されてしまいました。

今では伊丹空港の離陸写真も、超望遠花火も、あるいは「清水寺の夜景紅葉写真」も「忠霊塔の横の富士山写真」も「富士山の前の鳥居の写真」も「瑠璃光院の紅葉リフレクション」も「岐阜城の満月写真」も、どれもこれも最初に撮ったオリジネーターのことを誰も知らなくても、その模倣された写真が山のように生み出され、そのどれかが例えばどこかの広告に使われたり、何かの写真賞をとったりします。

表現のために必要な技術や手法が簡単に真似できる写真という領域においては、写真表現自体のそもそものオリジナル性はSNS上で一瞬で剥ぎ取られ、被写体であるwhatのみならず、表現技法であるhowも含めて一瞬でコモディティ=代替可能な商品として流通するようになってしまいます。そしてこのことは、写真のみならず、今後AIと5Gが整備されていく20年代の世界においては、どの表現領域にも起こっていくことが予見されます。どのような難しい技術も技法も、簡単にAIによって模倣されうる形に整えられ、それが5Gやさらにそれ以降の高速ネット網によって、全人類に瞬く間に消費される時代が来ます。

こうした外的要因だけではなく、我々自身が、その「コモディティ」に執着してしまうことも、表現の難しさを形成します。例えば僕に関して言えば、それがもう表現として難しいと分かっていても、時に飛行機の離陸写真をとってしまうことがあります。それは「期待の地平」が成立してしまっているからです。世界がどれだけその表現をコモディティ化していったとしても、ある程度一定数の人が、クリエイターの代表的な表現を「その人のもの」として記憶してくれている。それは、クリエイターに対して求める「期待の地平」を形成し、時にクリエイターを助け、時にクリエイターを縛ります。「夜景の飛行機写真を撮って欲しい!」と言って頂けるのは、やはり嬉しいものですし、なんとか期待に応えたいと思う、これは自然なことです。

でもこの「期待の地平」に安住しないことで、表現者は自己自身が自分の劣化コピーになることを避けられうるということを、Radioheadというバンドを見ていると気付かされます。

彼らは初期にCreepという曲で大ヒットしましたが、のちのその曲はほとんとライブでやらなくなりました。下の記事はそのCreepを久しぶりにやったという記事なんですが、それがニュースになるほど、RadioheadはCreepを避けていたのです。

それどころか、元はギター要素の強いハードロックぽかった彼らの音楽は、今ではどちらかというとエレクトロニカやテクノの要素が強い、かなり先鋭的な音楽へと変貌しています。

これは、Radioheadの中心人物であるトム・ヨークが、我々リスナーの「期待の地平」を、次々に意図的に壊していったからに他なりません。その「期待の地平」に安住し、例えば第二のCreepを作り続けていれば、ミュージシャンとしては安定したヒットを飛ばす中堅バンドになりえたのかもしれませんが、それは彼にとっては呪いだったわけです。どれだけ「Creepをやってくれ!」とファンに言われても、彼は例えばKid Aのような曲を作り、リスナーの期待を裏切り続けることによって、新しい表現を追い求めました。たとえファンにそっぽを向かれ、ミュージシャンとしての地位を失うことになろうとも、自分たちが「自分自身の劣化コピー」になることを、彼らはおそらく我慢できなかった。つまりコモディティ化を拒否したんですね。これは内的な側面におけるコモディティ化への抵抗の例です。

こんな風にして、20年代というのは、おそらくは表現者にとっては外的要因においても内的要因においても、「コモディティ化」というのは、より強烈な圧となって、クリエイターの前に立ち塞がることになるでしょう。それを乗り越えるのは容易なことではありませんが、道はないではないんです。

5.その先にあるもの

例えばヒカキンさんを例に出してみましょう。ヒカキンさんのように、ある巨大な枠組みのやメディアの代表的参照枠になって仕舞えば、コモディティもクソも無くなってしまいます。コモディティというのは「代替可能性」なわけですが、個人の個性自体が表現になり、そしてその個性が巨大なメディア自体とくっついている場合においては、代替すること自体が不可能になります。ただ、これは本当にしんどいことだと思うし、多分目指してなれるものではない。

ではもう他には道はないのか。いや、あるんです。例えば僕は、写真家の濱田英明さんのあり方は、20年代の写真家にとってはある一つの指標になるだろうなと考えています。この文章は好きすぎて、何度読んだかわかりません。

濱田さんの写真がコモディティになり得ないのは、それは表現手法ではなく、表現のありようそのものが表現となっているからです。難しい言い方をしていますが、簡単に言えば、「色味や主題を真似たところで、到底その人の表現にはならない」ことが明白だからです。その理由は、濱田さんの写真は、彼が被写体との間に取り結ぶ「関係性の距離感」自体が表現になり得ているからです。距離感のような目に見えない、数値化できないものが表現の主題になっていて、しかもそれが多くの人に了解されるものとなっている時、表現は決してコモディティにはならないんです。

僕はそれを実は「物語」と呼んでいます。もちろん「距離感」だけではありませんよ。表現したいwhatがあって、そのwhatとどんな風に向き合うのかを突き詰めた先に、how化できない視線として「物語」が存在するんです。そしてそれを見つけるのはものすごく難しいし、how化できないということは、それを作る本人でさえ、毎回「表現の苦しみ」に直面することにほかならないんですが、少なくともその過程を経て生まれる表現は、決して他の人には代替できない独自の表現として成立します。20年代以後のクリエイターが目指す一つの道は、この「自分だけの物語をどう表現に落とし込むのか」というところに尽きるんだと思うんです。

というわけで、結論は極めて当たり前になったんですが、これまで曖昧模糊としていた問題点が、自分としては結構スッキリした気持ちです。読んでくださった方はどうだったでしょう。何はともあれ、ここまでこの長い文章を読んでくれてありがとうございます。

2010年代から積み残してきた宿題をようやく形にできました。僕の2020年代、ようやく開始できそうです。

(追記 2021年1月10日)
記事の続きを書きました。ここまでの話が「システム論」だとすると、続きの文章は、そのシステムに巻き込まれた時、我々人間の認知に何が起こるのかということを書いてます。よかったら合わせて読んでみてください。

(追記 2021年1月11日)
SNSと表現の関係について本格的に考え始めたきっかけは、多分2年前に写真仲間たちと出した本だったと思ってます。この時僕はSNSを「呪いの魔法の杖」に喩えました。ドラクエで言うなら「もろはのつるぎ」みたいなもの。破壊的な攻撃力と、その反動の自傷効果的な。良かったらこちらもぜひ合わせて読んでみてください。


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