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SNS時代の表現

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SNS時代の表現について書いた自分の文章を集めたマガジンです。
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#雑記

2020年代に表現するということ(あるいはマイケル・スタイプの電話帳)

1. マイケル・スタイプの電話帳昨日こんなツイートをふと書きつけました。 伝説として知っているだけで、本当にマイケル・スタイプが言ったのかどうかわかりません。インタビューだったか対談だったか、そんな中で言った言葉らしいのですが、googleで調べてみても出典を見つけることはできませんでした。まあでも、マイケル・スタイプなら確かに電話帳読んだだけでも人を泣かせることができるかもしれないと思わせる声をしているのは確かです。 今聞いても全然古く聞こえない。これもう30年近い前の

SNSでの誹謗中傷に、僕らはどういう態度を取ればいいのか

1.まずは結論若い人が一方的に誹謗中傷を受け、それを周囲の力のある大人や組織が適切な対処を取らず、最終的には自ら命を絶つという事件が、この記事を書いている前日にありました。 それ以降、昨日から暗澹とした気分でいます。その後たくさんの著名人や専門家のコメントや批判の文章を見ていたのですが、自分の中でこの流れにどういうふうな態度を取ればいいのか、見えて来ませんでした。もちろん、倫理的な問題点は明白かつ議論の余地のないものです。SNSで行われた誹謗中傷は、言葉による殺人というべき

SNSのセンチメントに巻き込まれないために

先日SNSについて書いた文章を割と多くの方に読んでいただきました。ありがとうございます。 それで思ったんですが、やっぱり我々はSNSからはなかなか逃げられないんだなと。みんななにかSNSの良さだったり悪さだったり、可能性だったり居心地の悪さだったりを考えようとしているのは、それがもはや生活から切り離せないということを意味していて、そうであるならば、SNSについて考えるのはある意味では「現代の生き方」そのものを考えることに通じるんじゃないかという気がしてきました。知らんけど(

SNSはなぜ「疲れる」のか

気づけば秋風吹く10月。8月ころ「今年の夏はたくさん文章書くぞー!」と意気込んだものの、仕事に追われ、花火に追われ、期末テストと採点に追われ、気がつけば新学期再開で再び仕事に追われ。フリーランス兼大学教員というのは、よほど上手く回さない限りやっぱりどこか無理があるんだなと実感している今日このごろです。 空いている時間も無いことはなかったのだけど、その空き時間はだいたいリオレウスを延々狩ったり、メタスラの剣を手に入れるために歩き回ったり、深夜枠でワンス・アポン・ア・タイム・イ

僕らの世界には、すでに「オフライン」など存在しない(あるいは、「マトリックス」は今でも「幸福な悪夢」なのだろうか)

1999年といえば、ちょうど大作映画の谷間にひっそりとウォシャウスキー兄弟(いや、今や姉妹でしたか)の「マトリックス」第一作目が公開された年です。時代は世紀末。7の月に恐怖の大王アンゴルモアが地球にやって来るとか来ないとかで、世間は大盛り上がり。ちょうどフィンチャー最高の傑作「ファイトクラブ」が公開された年でもあります(確かそうでしたよね)。そんな喧しく不穏な最中、当時はまだ無名だった監督作品ということもあって、「マトリックス」の公開前にはあまり大きな宣伝キャンペーンはなかっ

すべての「何かを作ろうとしている人たち」に

文学研究者という職業なのか趣味なのか分からないような作業に従事し始めたのは博士課程に在籍してた頃のことでした。その時僕は20代の後半になったばかりで、研究とは何か新しいものを見つけるための作業だと思っていました。 30代に入った頃、ふと大きな虚脱感に襲われました。村上春樹がかつて、『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、雑文書きの仕事を「文化的雪かき」というふうに表現していて、研究者として「さあこれから」という30代の頭のころ、その表現を思い出したのです。自分の人生は盛大な「言葉

好きなものを好きというときに気をつけていること(あるいはヘイトの取扱に関して)

本日クリスマス、もれなく働いております。昨日のクリスマスイブも祝日ですが働いておりました。最近の大学は祝日は大体授業日に割り当てられてるんですよね。というわけで、世間のクリスマス気分を横目に見つつ、うだうだ授業をやってると、「なんだよ、All I want for Christmas is youじゃねえですよ、ほしいの休日だよべらんめえ」とか、ちょっとだけ愚痴も言いたくなります。今日がっつり働いている多くの人が、どこかで「まったくよー」とこぼすのは、それはまあしゃーないと思

「その間」という考え方

2011年ころから写真をやり始めたとき、自分がここまで写真にハマってしまうとはあまり考えていなくて、それというのも、中学生のときに修学旅行の写真を家に持ち帰ったら、母に「ほんとに写真下手だねえ」と言われたのを気にして、それ以後の人生でずっと写真から逃げてたからなんです。何気ない一言で人生ってずいぶん影響受けるんだなというのも思いますが、ある意味ではそうやって写真から遠ざけられていたからこそ、2011年頃のデジタル一眼レフブームが来たとき、その可能性に一瞬で魅せられたのかもしれ

人間は物語なしでは生きられない(あるいはインフルエンサーとはどの様な「影響力」を行使するのか)

最初に概要を二段落でいいます。2018年現在、19世紀末に一度は死を宣告されたはずの「物語」が、再び大きな意味を持つ時代に入りつつあります。この場合の「物語」は「起承転結」を持ったいわゆるプロットとは少し違います。勿論それも含むのですが、この文章で言及する「物語」とは、「言語が多層に流通する空間」のことを指していると考えてください。「物語空間」とでも言うべきものです。 そう、大事なこととは、世界は基本的に「物語」の流通で動いているということなんです。かつて物語とは大きな宗教

メディアとしての写真が「媒介」するもの

3時間目開始まであと19分。で書けるテーマでは本来ないので、エッセンスだけ短く行きますね。 12月7日に関西大学で講演の予定なんですが(一般公開なので、お時間あればぜひ!)、その一つの目的は、写真を撮る学生さんたちに対して「写真」というものの属性を、今一度考えてもらうきっかけを作れればと思ってるんですね。というのも、いまさらマクルーハンを持ち出すまでもなく、写真という表現はある種の「メッセージ」を伝えるコンテンツでありながら、この世界の実相を媒介して伝える「メディア」的特性

写真家の立場でみる「多様性」について(あるいは、懐かしき「白と金」と「青と黒」のドレスへ捧げるオード)

数年前の話ですが、広範囲に話題になったので覚えておられるかもしれない「白と金」「青と黒」の色のドレスの話です。以下にその時起こったことがまとめられている記事がありましたので、ご存知無い方はご参照ください。 ちなみに僕はこのトップ画像のワンピースは「白と金」に見えます。初めて見た瞬間、これは「青と黒に見える人が結構いるだろうな」と直感的に思いました。一応写真を仕事にしている立場上、この写真のからくりというか、なぜ「白金に見える人」と「青黒に見える人」の違いが出るのかよくわかっ

みんなが「専門家」でありみんなが「表現者」である時代に、専門家や表現者になるということ

このノートを書いてるのは、日本対ベルギーの試合が終わった日の火曜日のお昼休みの時間です。素晴らしい試合でした。何より、圧倒的にフィジカルの強い相手に対して、あそこまで勇猛果敢に前へ前へと向かった姿に感動しました。おそらく日本の子どもたち(だけではなく、大人もまた)は大きな勇気をもらったことだろうなと思います。 そんな今回のワールドカップを、時折ツイッターでブツブツいいながら手元のタブレットで見ているわけですが、そのスタイルはなんとも楽しいものでした。普段は単に写真をアップす