渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用い…

渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用いた学習、実践の省察のための対話など。著書『なってみる学び』(藤原由香里と共著、時事通信出版局)、『授業づくりの考え方』(くろしお出版)ほか。

マガジン

  • 本のレビューやそこから考えたこと。好意的に取りあげたものも批判的に取りあげたものも。

  • 教職大学院での研究指導

    教職大学院で行っている研究指導の様子を紹介しながら、実践研究のあり方・進め方などの話を書きます。

最近の記事

「授業を見て学ぶ」とはどういうことか

「授業を見て学ぶ」ということのイメージが、多くの現職院生と私とでは異なるのかも、ということにふと思い至る。 多くの現職院生の場合、模範的な授業から自分が見習うべき点を見つける、というイメージ。 私の場合、授業について考えるための手がかりを得る、というイメージ。 模範的な授業から見習うべき点を見つけるイメージの場合、模範的な授業に出会うことなんてそうそうないので(そもそも「模範的な授業」とはなんぞや、という問題はさておき)、たいてい、「ここがダメ」「これができてない」が意識に

    • 何をその姿から学ぶか 〜大村はま『新編 教えるということ』

      今日6月2日は大村はまの誕生日(1906年6月2日生、2005年4月17日98歳で没)ということで、某所で使うため『新編 教えるということ』(筑摩書房、1996年)を久しぶりに手に取ったついでにパラパラ眺めていたのだが、この本、熱烈な愛好者らと共に読み継がれてきただけあって、本当に吸引力がある。と同時にあらためてその先進性に気付かされる。 以下のような、一斉一律授業スタイルへの批判。 単なる形態としての一斉一律の否定ではなく、「劣等感や優越感は自分の成長を本気でみつめるこ

      • 中井悠加さんによる、詩創作教育のスー・ディモク先生の追悼文

        先週末、鹿児島で開かれた全国大学国語教育学会に参加したときに知ったこと。 詩創作の教育で世界をリードした、そしてこの学会の公開講座などでもワークショップをご担当いただいたスー・ディモク(Sue Dymoke)先生が、昨年6月に亡くなっていたらしい。 私はディモク先生のワークショップには出たことがないのだけれど、ちょうどコロナ禍真っ最中で学会もオンラインだった、当時の一連の詩創作の公開講座のことはよく覚えている。 ↓ 公開講座「詩を書くことは教えられるのか」のブックレット

        • 「流行り言葉全部盛り」の研究紀要でいいの?

          附属小など「研究熱心」とされる学校の研究紀要や指導案集で時々出会うのが、行政文書やら学者の本やらに出てくる教育界のホットなワードがやたらに散りばめられた文章だ。 いろいろ勉強されていてすごいなあとは思うけれど、実際に授業を見たり話を聞いたりしていると、なんかいろんな流行り言葉を盛り込むことがゴールになってないか、何を大事にして実践を積み重ねていくかがはっきりせず、かえって散漫な取り組み、見た目はすごそうだけれども実は中身はポソポソな状態…に陥ってはいないか、と思うことがある

        「授業を見て学ぶ」とはどういうことか

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        • 32本
        • 教職大学院での研究指導
          9本

        記事

          「研究指導」へのイメージのずれ

          入学してきてまだ間もない院生が研究計画を発表する。ある院生の発表、中学社会・歴史分野の授業で「全員参加の授業をつくる」ことをテーマにしたい、一般的なグループ活動の進め方に課題を感じており、相互教授法に注目したい、というもの。ちゃんと自分なりに調べて作業は進めてきている。 大学教員(私)とその院生とのやりとり。 教員:「全員参加」がゴール? それなら、「参加しないと処刑しますよ」と強制力を働かせるのが手っ取り早いんじゃない? それとは何が違う? 「全員参加」によって何を目指

          「研究指導」へのイメージのずれ

          公開研究発表会での「流行り」を考える

          一昔前までの小中学校公開研での「流行り」だった一つの類型は、一斉授業で子どもが次々にしっかりと発言して進んでいくような授業だった。 もちろんそのなかには、発言が絡み合い思考が深まり「練り上げ」が生じるものもあったわけだが、一方で、見かけはたしかに「立派に」発言しているのだけれど、お互いの発言聞いてないやん、バラバラに言いっ放しなだけやん、教師もそれを立ち止まらせるどころかむしろ煽って授業の「見栄え」のために利用してるだけやん、みたいなものもあった。 「◯◯さんと同じで」みた

          公開研究発表会での「流行り」を考える

          他人の目を気にしないで書くということ 〜澤田英輔『君の物語が君らしく』

          澤田英輔『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』岩波書店、2024年 現在は軽井沢風越学園、以前は筑波大学附属駒場中高(筑駒)におられた澤田英輔さん。筑駒でライティングワークショップやリーディングワークショップをやっておられたときから何度か実践の様子を見に行かせていただいてきた。「あすこまっ!」ブログのあすこまさんとしても知られる。 そのあすこまさんが、副題にある通り、ライティング、昔の言い方で言えば「作文」について、10代の読者に向けて語った本。 さすがあす

          他人の目を気にしないで書くということ 〜澤田英輔『君の物語が君らしく』

          的を外した振り返りの観点ほど、タチの悪いものはない

          先日、私が主宰する学びの空間研究会(空間研)EAST例会にて、小6国語の物語文教材、安東みきえの「さなぎたちの教室」を扱った。東京書籍の教科書にこの春から掲載された新教材で、友人の小学校教師が「全然授業がうまくいかなかった~」ともちこんでくれたものだ。 空間研でのこの教材を使っての活動試行は毎度のごとく面白かったのだが、今回取りあげるのはその活動そのものではない。それを通して見えてきた、この教材につけられた手引きがもつ問題だ。 この教材では、「朗読で表現しよう」というタイト

          的を外した振り返りの観点ほど、タチの悪いものはない

          教師の働きぶりを「評価」できるのか 〜リンダ・ダーリング-ハモンド『教師に正しい評価を』

          リンダ・ダーリング-ハモンド著、無藤隆監訳『教師に正しい評価を』新曜社、2024年 ダーリング-ハモンドの著作は、これまで、『パワフル・ラーニング』『よい教師をすべての教室へ』を読んできた。『パワフル・ラーニング』は翻訳本が出る前に何かで知って原著で読んだ。とても面白くて一気に読んだ(ダーリング-ハモンドの英語は読みやすい)。 そのダーリング-ハモンドが、教師が力量を伸ばし学校のなかで力を発揮していくには、教師に対するどんな評価システムが必要かを述べた本。 さすがはダーリ

          教師の働きぶりを「評価」できるのか 〜リンダ・ダーリング-ハモンド『教師に正しい評価を』

          研究を進めるうえで教師が/アーティストが文献を読むということ

          実践者(教師)当人が行う実践研究において、文献読解をどのように位置づけるか。 教職大学院で現職院生を指導していて難しさを感じるのが、文献の読みにかかわること。 院生らが教職大学院の課題研究のために文献を読んだり引用したりする際、つまみ食い的に自分の都合がよいものだけ引っ張ってきたり、その文献の文脈をふまえず的外れな切り取り方をしたり、単なる箔付け(こんなえらい人も言っている、的な)のために用いたりすることがしばしばある。また、文献の読み合わせを行うときでも、文章の字面に対し

          研究を進めるうえで教師が/アーティストが文献を読むということ

          ゲーマーの反省会とリフレクション

          昨年度末の教職大学院の授業で院生らに、自身らの学びの振り返りに加えて大学院説明会や広報媒体などでも使うのを想定して、「総合Pでの学びの実際」を書いてもらったのだが、興味深いものが多い。彼らがどんなふうに院での学びを受け止めてどんなふうに役立てているのかが、そこからうかがえる。 例えば次のもの(あまりに面白かったので、私のSNSでの利用許諾も本人から得た)。 院で身につけてきた省察(リフレクション)の深め方、そのための対話の仕方を、趣味のeスポーツ観戦のほうにも援用している

          ゲーマーの反省会とリフレクション

          本人の思いを超えるもの

          以前、研究者仲間が、休日にサイクリングに行ってお店で武蔵野うどんを食べた話をSNSに投稿していた。 「土手の菜の花が満開ですばらしかった」とのことで、青空と菜の花畑の上下の青と黄の対比が美しい写真と共に。 それがちょうど2022年4月。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1か月半ほど経ったときのことだ。 英語教育が専門でさまざまな国出身の留学生の授業も担当されてきたその先生のこと。 きっとこれは、直接言葉には出さない形で、今の国際情勢への批判と平和への希求を込められたのだろ

          本人の思いを超えるもの

          教師自身が心を動かし、頭を働かせること ~鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』

          鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』東洋館出版社、2024年 学校現場を退職されて10年になる鈴木惠子先生が、自らの実践を語る。 読んでいて懐かしい感じがする本。 20年以上前、私が院生だった頃、学校の先生方の実践記録をよく読んだし、実践報告をよく聞かせてもらった。そこで、教育実践そのもののよさ、また、出来事を捉える先生方のまなざしの素敵さに触れ、以降、実践と近い領域での研究活動を続けてきた。そうした気持ちを思い出す。 子どもの姿を面白がる。 教材に対して教師自身が心を動

          教師自身が心を動かし、頭を働かせること ~鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』

          デザイナーとは何をする人なのか 〜ドン・ノーマン『より良い世界のためのデザイン』

          認知科学者でもあり技術者・デザイナーでもあるドナルド・ノーマンの最新刊。 ドン・ノーマン 著、安村通晃・伊賀聡一郎・岡本明 訳『より良い世界のためのデザイン』新曜社、2023年 超有名な『誰のためのデザイン?』(2018年のセンター入試国語の出題文でも言及されていた)以降のノーマンの考えの発展をまとめたもの。ユーザーにとって使いやすいという「人間中心」だけでなく、人類や生態系全体も視野に入れる「人間性中心」のデザインのアプローチを解説する。 直近の本(原著は2023年の刊

          デザイナーとは何をする人なのか 〜ドン・ノーマン『より良い世界のためのデザイン』

          ネット社会がもつ暴力性 ~宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』

          宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』講談社、2023年 開成中で国語科の神田邦彦先生が行った、ネット中傷をテーマとする授業実践を、毎日新聞記者の宇多川氏が描く。スマイリーキクチ氏の『突然、僕は殺人犯にされた』をメイン教材に、人間の欲求やら正義に関する議論も入れ込みながら行われた授業だ。 授業の様子だけでなく、授業後の生徒3人らとの対話、生徒が論じた文章も収録されている。生徒に思考させる良質の授業実践の姿が浮かびあがる。 …といった紹介を書こうと思っていたら、

          ネット社会がもつ暴力性 ~宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』

          歯切れの悪さによってこそ語れるもの 〜大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』

          大学の同僚・大村龍太郎さんの初の単著が出た(ちなみに私とは同い年)。 大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』明治図書、2023年 世の中には、「スパッと言い切る」系の教育書があふれている。 一方、本書はそれらと比べると、歯切れが悪い。 例えば、学習計画を各自で立ててそれを共有し合ううえでのクラウドの有用性を述べたうえで、 として、そうした子どもについても、「私の計画が参考になるならどうぞ」という子と同様に尊重されるべきと説く。 また、紙かデジタルか

          歯切れの悪さによってこそ語れるもの 〜大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』