障害児の研ぎ澄まされた感性一「教育の原点」に学ぶ

生きる意味を探し求めた青春時代
 『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の城明け渡しに立ち会った脇坂藩の筆頭家老の武家で生まれ育った厳格な祖父(カイゼル髭をたくわえ、180センチを超える長身の日本画家であり、小学校長・図書館長をしていた)と父(高校で古典を教え、自室を「敷島の間」と名付けて、毎日和歌日誌を書いていた)の教育一家に生まれ育った私は、中学時代から生きる意味について真剣に考えるようになり、高校時代の夏休みには部屋に閉じこもって西田幾多郎の『善の研究』を読みふけった。
 そんな私を心配して父は中学校2年の時に橋本佐内の『啓発録』を、高校2年時に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を机の上に置いた。どちらの書にも感銘を受けたが、自分自身を温かい眼で観ることがどうしてもできなかった。20歳の誕生日を契機として生まれ変わりたいと強く願って、自分を元気づける言葉をテープレコーダに吹き込んで、朝3時に流れるようにセットし、毎朝ひたすら肯定的な言葉のシャワーを浴びた。
 11月20日の誕生日の6か月前から始め、誕生日の当日、初めて悩んでいる自分をじっと温かい眼差しで見つめている存在と出会い開眼した。私の妻も私に劣らぬ求道者であった。妻の詩集『ありがとうの音色を響かせて』は求道の結晶であり、noteで紹介してきた妻の詩に一貫しているのは「求道」といえる。
 人生の意味を求め続け、いかに生きるべきか、に悩み大学卒業後の進路を決めかねていた時に出会った養護学校の先生の授業を半年見学させていただき、障害児教育こそが教育の原点であることに気づかされ、教育者の道を歩む決心をし、早大大学院で教育学を専攻し、高校の社会科教師になった。3年間の教師生活を経て米大学院留学後、明星大学専任講師に就任した。

障害児の川柳
 明星大学のゼミ合宿は滋賀県にある重度の障害者施設「止揚学園」を訪問し、障害者と共に食事をし、交流活動を行った。「雪が解けたら何になる?」という質問に対して、公立の小学生は「水になる」と答えたが、止揚学園の障害者は「春になる」と答えた。
 雨が降って来た時、ある障害児が外に出て「良い天気、有難う」と叫ぶと、先生が「雨が降ったら、悪い天気や」とたしなめた。するとその子か首を横に振って、水不足で雨が降ったから「良い天気や」と言った。
 以下の障害児の川柳や詩には、障害児の素晴らしい感性が秘められていて感動的である。

ろうそくは光わけあい身をけずる
雨降ってみんなの心よごしちゃう
時計さん長しん短しん別れちゃう
ながれ星親をさがして一人たび
浮き袋みんなの泳ぎ助けてる
もちさんはいつもたたかれ痛そうだ
コップさん水がはいってさむそうだ
かかしさん夜中もおきてねむたそう
れんらくせんみんなと別れてかなしそう
空見たら雲がおいでと言ってきた
風さんはきれいな歌をうたってる
北風はさみしがりやの風なんだ
菊の花心をきれいにしてくれる
かたつむりやさしい心をもっている
雨さんが静かにささやく春くるよ
わたり鳥いつまで旅をするのだろう
すいか割り割られるすいか痛そうだ
かねの音がそこらの雪と待ち合わせ
ゴキブリはみんなにきらわれかなしそう
鬼がすむ心を神に見すかされ
りんごさん木からはなれてさようなれ
秋になり虫さんたちとおわかれだ
芽をつめばしんでしまうと泣いている
心の芽ひとりひとりがみがいてく
ねむってる早く芽を出せ私の芽
雨あがりにじをながむるかたつむり
チューリップちょうちょさんとキスをする
くつの先いつも歩いてつかれてる
こいのぼりかぞくそろってたのしそう

小児マヒ児の詩

   ありがとう

母さん ありがとう
母さんがまもってくれた命
ありがとう 母さん

僕はいまたくさんのあたたかさを知りました
なにもできない 僕だけど
なんとなく幸せ

母さん 小児マヒにしてくれて
ありがとう

    俺の体は いい体

俺の体は 不思議な体
歩こうとしても歩けない
パンを食べようとしても 食べれない
不思議な不思議な体だよ
でも でも それが俺の体さ

俺の体は いい体
歩けなくても いい体
パンを食べられなくても いい体
まわりの優しい人たちと
楽しいおしゃべりできるから
まわりの人の優しさが
いっぱい いっぱい わかるから

      野草

野草は 何故 あんなに強いんだろう
雨に打たれようと 踏みつけれられようと
ただ 太陽の光をあびて 伸びてゆくだけ
名も知られることもなく
ただ だまって のびるだけ

    失わないで 青空

何気なく過ぎてしまうこと
あたりまえに過ぎてしまうこと
どれも途方もなく輝いて見えるのは
障害の子を持った幸せ
初めて私の顔を見て笑った日
初めて言葉を話した日
初めて水道の蛇口をひねった日
初めて一人で電車で出かけた日
みんな記念日
そなたびにウワーッと空に向かって叫びたくなる
頭の中から何かが沸き立ち
大きく大きく見えてくる
あたりまえのことなのに大きな声でみんなに伝えたくなる
あたりまえじゃないってすばらしいな
(椎名美智子詩集)

    無題

さあ涙をふいて
あなたが花におなりなさい
あなたの花を咲かせなさい
探しても探しても
あなたの望む花がないなら
自分がそれにおなりなさい

さあ涙をふいて
あなたが花におなりなさい
あなたの花を咲かせなさい
探しても探しても
あなたの望む花がないなら
自分がそれにおなりなさい
(『花』おぞねとしこ)

小児マヒ児と母の詩
 最後に、私が最も感動した小児マヒ児の子と母の詩を紹介したい。

ごめんなさいね お母さん
ごめんなさいね お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う 母さんの白いうなじに 僕は言う
僕さえ生まれなかったなら、母さんの白髪もなかったろうね
大きくなったこの僕を 背負って歩く悲しさも
かたわな子だね と振り返る 冷たい視線に泣くことも
僕さえ生まれなかったなら

私の息子よ 許してね
私の息子よ 許してね
この母さんを許しておくれ
お前が脳性麻痺と知った時
ああ ごめんなさいと泣きました
いっぱい いっぱい泣きました
いつまで経っても歩けない お前を背負って歩く時
肩に食い込む重さより 歩きたかろうねと、母心
重くはないと聞いている あなたの心が切なくて

ありがとう お母さん
ありがとう お母さん
お母さんがいる限り 僕は生きていくのです
脳性麻痺を生きて行く やさしさこそが大切で 悲しさこそが美しい
そんな人の生き方を教えてくれたお母さん
お母さん あなたがそこにいる限り

私の息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたの姿を見守ってお母さんは生きてゆく
悲しいまでの頑張りと
人を労わる微笑みの その笑顔で生きている
脳性小児麻痺の我が息子
そこにあなたがいる限り

母さん ありがとう
母さんが守ってくれた命
ありがとう 母さん
僕は今、たくさんの温かさを知りました
何もできない僕だけど なんとなく幸せ
母さん 小児麻痺にしてくれて ありがとう
 


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