行動生態学の視点から「人間の道徳性」を探究する

 令和元年からモラロジー道徳教育財団の「道徳サロン」に拙稿を連載してきたが、同連載の担当責任者である浜島部長からnote連載を勧められ、5月7日から「毎週,800~1000字の短文連載」を書くと宣言して開始した本連載であるが、ほぼ毎日のハイペースで4000字前後の長文連載になり、8カ月が過ぎようとしている。半年の連載で、「道徳サロン」連載146を超えているので、10倍のスピードに加速された計算になる。まさに「継続は力」なり。
 この8か月間、さまざまなテーマについて論じてきたが、6年前に明星大学から道徳教育の専門大学院として初めて認可された麗澤大学大学院に移り、新たに道徳教育研究がライフワークに加わり、毎年2回開催される日本道徳教育学会で研究発表を重ね、学術論文も3本書き、最近は、東大大学院の「道徳感情数理工学」講座の光吉俊二特任准教授や鄭雄一教授らの「数理工学」の視点からの道徳論に注目し、ウェルビーイングや幸福学と関連させながら、本連載でも考察を重ねてきた。
 早稲田大学の学部時代には実存哲学や宗教哲学、大学院では教育哲学、米大学院では心理学を学び、玉川大学大学院では臨床教育学を教えてきたが、こうした学問的バックグラウンドをベースに、道徳教育について包括的な視点からの理論構築を「感知融合の道徳教育」をテーマに研究しているが、「数理工学」に加えて、本稿では「行動生態学」の科学的知見に基づく道徳論について紹介したい。

●「道徳性」とは何か?
 行動生態学の視点から、総合研究大学院大学の長谷川眞理子教授は『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)第7章において、「人間の道徳性」について、以下の5つの柱で論じている。
⑴ 道徳性とは何か?
⑵ 道徳性の至近要因
⑶ 道徳性の発達要因
⑷ 道徳性の究極要因
⑸ 道徳性の系統進化
 まず「道徳」という規範について、長谷川は「やっていいことといけないこととの区別であり、人間として褒められることと褒められないこととの区別」であると説明した上で、すべての文化や社会に共通して抽出できる本質が道徳性であり、自分の欲することを目指す行動が、他者の欲求や利益を妨げる時、どのようにして自己を抑制するかが問われていると指摘する。
  道徳が問題になるのは、個人対個人または集団の自他の利益が対立する葛藤状況においてであり、道徳は自己抑制とそれに伴う他者に対する共感、思いやりを要求する、と長谷川は指摘する。

●道徳性の至近要因
 道徳的行動が起こる至近要因は一体何か?それは、いま自分が置かれている状況が道徳的な葛藤をもたらすものだということを認識することと、それに対して、「~してはいけない」「~するべきである」と感じること、すなわち「道徳感情」を感じることである。
 道徳的な行為をとった時に感じる「快」の方が、自分の欲求を満たした時に感じる「快」よりも大きいと感じなければ、道徳的行為は選択されない。最終的にそのように行動選択をさせるきっかけとなるものは、しつけや教育の効果なのかもしれない。その結果、褒められることが「快」であり、叱られることが「不快」であることから、人間は「快」を選択するようになる。
 道徳的行動が選択される至近要因は、道徳的な葛藤状況であることを理解した上で「道徳感情」が働くことであり、その結果、自分の他の欲求が抑制されることになる。それは、道徳的行動をとった時に感じる「快」の方が、自分の欲求を満たしたときに感じる「快」よりも大きいと感じられるからで、そのような行動選択は教育と経験によって作られていくと言える。

●道徳性の発達要因
 次に、道徳的な行動がどのようにして発達するのかという問題に移ろう。道徳的行動が選択されるためには、いま自分が置かれている状況が道徳的葛藤状況であるということをまず理解しなければならない。その上で、この二つの対立する感情がどのように発達していくのかを検討することが、道徳的行動の発達要因になる。
 道徳は、他者の利益と自分の利益の葛藤から起こることなので、他人の心の状態を類推する脳の機能である「心の理論」と共感、自己抑制の発達が重要なポイントになる。人間以外にはない他者の心を理解する「心の理論」という脳の働きは、赤ん坊のころから4,5歳位までの間に順を追って発達する。
 道徳的な判断に従った時の「快」は、親をはじめとする大人、他人からの称賛に起因するものである。従って、親をはじめとする他の大人からの称賛を得るという社会的な「快」が、非常に大きいものと感じられなければ、そちらの行動を選択するようにはならない。
 道徳的行動が選択されるためには、「罪の意識」「恥」といったネガティブな感情が大事であると長谷川は強調する。これは非常に強力な感情なので、個人的な欲望の達成を抑制するのに十分な働きをするからである。罪の意識とは、他者を傷つけたことに対する後悔の感情である。
 「心の理論」だけでは、他者への共感、思いやりの感情には行き着かない。自分が他者の立場になった時のことを想像して、他者の喜びを自分の喜びとし、他者の痛みを自分の痛みとする「共感」のメカニズムは、いつから一体どのようにして発達するのであろうか?
 自意識、自己認識の発達とともに、これらがどのようににして「道徳感情」となっていくのか。この「道徳感情」の発達要因を究明することが重要であり、親をはじめとして自分が大切だと思う人々との、密接な愛着の感情の発達が基盤になっていると考えられる。

●道徳性の究極要因
 ところで、人間が道徳的な振る舞いをすることにはどんな機能があるから進化してきたのであろうか。道徳を導く基盤になっているもの、自己抑制、共感、他者理解などは、生物学的に進化してきた性質であると長谷川は指摘する。
 なぜなら、これらはどんな人間にも普遍的に見られ、脳の機能として知られており、個体の利益が他の個体の利益と衝突し、何らかの調整を行わなければならないという状況は、社会生活を営む動物には必ず生じるものだからである。
 「互恵的利他行動」が進化するには、非協力者を検知し、そういう個体に対しては利他行動をしてやらないことが必要となる。その後、非血縁者間における協力行動が進化できるかどうかの分析は、「囚人のジレンマ」という名で知られている状況設定のもとで研究されてきた。その結果、同一個体間で繰り返し交渉が起こる時には、協力行動が進化することが判明した。
 人間の社会的な感情は、「互恵的利他行動」で双方が協力を選択するように仕向ける原動力になっている。大阪大学大学院の研究グループが実施した5,6歳の幼児を対象に行った調査でも、「互恵的利他行動」に共感した幼児は利他行動をするようになることが実証されている。

●道徳性の系統進化
 人間に最も近縁な霊長類であるチンパンジーには「心の理論」が萌芽的にあるが、チンパンジーを観察してきたオランダの研究者であるフランス・ドゥ・ヴァ―ルによれば、チンパンジーは苦痛を感じている他個体に対して、優しく愛撫するような行動を見せることがよくあるという。
 長谷川自身もタンザニアの野生チンパンジーについて研究し、赤ん坊をおなかに抱いて歩いていた母親が、何かの拍子に赤ん坊の頭を木にぶつけてしまい、赤ん坊が泣き声を上げた時、母親は赤ん坊の頭を何度も舐めながら、自分自身もキーキーと泣いた姿を目撃したという。
 これらの研究から、道徳性の基盤である「社会性」「他者理解」「共感」などは、人間になって初めて出現したものではなく、恒常的な群れ生活をして脳が発達した霊長類において、少しずつ培われてきたものであることが分かる。「道徳性」を生み出す基盤となる「道徳感情」のいくつかは、私たちが霊長類の祖先から受け継いだものと言える。
 それでは、人間の「道徳性」を生み出すために、他の霊長類には見られない、人間固有の性質は一体何か?それは、より強力な「自己」の概念、自意識と、抽象化の能力である、と長谷川は指摘している。
 道徳性には自省の力が必要不可欠であり、自己抑制が求められるが、そのためには、自己認識がしっかりとしていなければならない。また、行為や規範を一般化し、抽象化することによって規範が内在化され、社会と自分と他者との関係が認識される。チンパンジーと人間の脳容量の違いには、この自己認識や抽象化のレベルの違いが含まれている。
 人間はなぜ、こんなに脳が大きくなり、このような抽象化の能力を身に付けたのかは、人類学の大きな謎であり、まだ解かれていない。人間の道徳性の基盤には、この人間固有の能力が横たわっており、他の動物における行動の進化のメカニズムだけでは解けないものがあるのではないか。
 


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