親心と孝心が通い合う「親守詩」大会復活に寄せて

    幼い頃、母がいつも口ずさんでいた子守唄を聴きながら育ちました。その母が年老いて病み生死の淵を彷徨う臨終の場面に立ち会いました。我が子の存在を認知できなくなった母に何を語りかければよいのか。ただ一言、「産んでくれて有難う。育ててくれて有難う」の感謝の言葉しかありませんでした。この思いから「親守詩」は生まれました。東日本大震災から見事な復興を遂げた気仙沼市の青年会議所の親守詩大会で、私が審査委員長賞に選んだのは、「病床の母に聴かせる子守唄」でした。この思いが「親守詩」の原点といえます。

●親心と孝心の代表作は山上憶良と吉田松陰
「子守唄」に対して、「親守詩」を提唱したのは、定型詩や連歌、エッセイなど多様な表現形式によって親子の情を深めたいと思ったからです。親心と親の恩に感謝して子が親を想う孝心の代表作は、山上憶良の「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」(万葉集)と吉田松陰の「親思ふ こころにまさる 親心 けふの音づれ 何と聞くらむ」という和歌といえます。
子供への愛情を「子宝」と表す親心を表現したこの山上憶良の和歌は、万葉集に収められており、斎藤茂吉はこれを第一等の詩と高く評価し、自身も「死に近き母に添寝のしんしんと遠田の蛙天に聞ゆる」と詠み、茂吉の歌集『赤光(しゃっこう)』の冒頭に、母親の死を追悼する連作「死にたまふ母」が収められています。原始古代からつながる日本人の感性を鋭く深く和歌で表現したのが齋藤茂吉でした。死んでいく母を遠田の蛙たちも歎き、悼んでいると感じたのでしょう。人間の生命と自然との関わりを直観的に捉え、自然のなかに帰っていこうとしている母への思いがみごとに表現されています。
 古来より日本人は五七五七七という不易な型に美しい日本人の心を凝縮して和歌に詠み、百人一首のように「詠む」ことによって、凝縮冷凍された大和心を解凍し、美しい日本人の心のダイナミズムを再現してきました。
親守詩はこのような日本人の精神的伝統の一つである「敷島の道」を現代に蘇らせる文化的意義を有するものであり、さらにエッセイなどを通して親子の情や絆を深めることが、家族よりも個人を優先してきた戦後の日本人の意識転換を促し、美しい日本人の心を取り戻す契機となることを念願しています。
SDGs(持続可能な開発目標)やウェルビーイングを日本発の「常若・志道和幸」教育として世界に発信する共同研究が日本感性教育学会や日本道徳教育学会で高樫塾の教員有志によって発表されています。その中核は「敷島の道」としての和歌を通して伊勢神宮に象徴される「常若」思想と「志を立て、道を求め、和を成して、幸せを実感」させる教育です。

●「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を目指す親守詩
 日本古来の「敷島の道」が「親守詩」という新たな装いで、令和5年度からの「第4期教育振興計画」の基本理念として明記された「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」のモデルとなる「常若・志道和幸」教育として、世界に日本の文化を発信する役割を果たすことを願っております。
阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震は、家族よりも個人を優先してきた戦後の日本人に意識転換を促し、家族の絆のぬくもりの中にこそ幸福があることに気付かせてくれました。明治維新、敗戦に次ぐ第三の国難を機に、「高度幸福化社会」への転換が求められています。
ユニセフのイノチェンティ研究所の「子供の幸福度調査」によれば、子供の幸福はお金ではなく、人間関係、家族のぬくもり、温かさの中にあることが明らかになっています。親守詩はこのような日本人の精神的伝統を蘇らせるものであり、親が子を想う親心と親の恩に感謝して子が親を想う孝心という親子の情・絆を深めることによって、「高度幸福度社会」「日本型ウェルビーイング」の実現を目指すものです。
少子高齢化という「国難」を克服するためは、結婚や子育て、家族を形成することに夢や希望を持てるライフデザイン教育としての「親になるための学び」が時代の要請です。
「人づくり革命」の基になったノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のヘックマン教授によれば、人生を成功に導く自己肯定感などの「非認知スキル」は「家庭環境によって左右される」といいます。少子高齢化という「国難」を克服するためには、この「親になるための学び」「非認知スキル」が重要です。その核になるのが親子の絆であり、親子の絆を深める親守詩の価値をこうした観点から再認識する必要があるでしょう
世界的な文明評論家であるトインビーやとトフラーは、文明の危機の本質は外部からの危機ではなく、内部からの家庭や家族の崩壊の危機にあると喝破しました。中曽根政権下の臨時教育審議会の岡本道雄会長が、京都大学の哲学者・田中美知太郎氏に21世紀の教育改革の基本理念についてアドバイスを求めたところ、「親孝行」が基本と言われました。

●胎内記憶を詠んだ幼児母子の親守詩
親が子を想う「親心」と子が親を想う「孝心」の心のキャッチボールが「親守詩」ですが、高知県の5歳児の親子が「おかあさん おなかのなかは せまかった まっていました ひろいせかいで」と詠みました。
このような胎内記憶をめぐる親子の作品が親守詩として展示されている高知県の平成学園を視察しましたが、「子供は親を選んで生まれてくる」ことを池川明氏が長野県諏訪市や塩尻市で3600組の親子のアンケート調査結果(2~3割の幼児には、胎内記憶、誕生記憶がある)に基づいて立証し、多くの著書で幼児の具体的な記憶の内容を紹介しており、出生前診断により障害児の中絶が9割を超える現状に警告を発しています。幼児の応募作品にも注目が集まりました。
かつて沖縄県八重山地区では教科書採択で激しく対立しましたが、親守詩の取組では見事に一致団結し、イデオロギー対立の壁を打ち破りました。とりわけ被災地に親守詩が広がっています。昭和天皇の昭和21年の歌会始の御製の「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」に詠まれている「雄々しさ」の伝統精神で国難に対処し、震災などの多くの困難を乗り越えてきました。明治以降は天皇によって元号が変わる「一世一元」となりましたが、江戸以前(平安以降)には災害に際して元号を改めて国民の心を一新しリセットする「災異改元」という歴史がありました。災異とは非常の災害、天災地変のことです。

●10万を超えた全国の応募作品
これまで全国各地で教育委員会後援の親守詩大会が開催され、内閣府・文部科学省・総務省後援の全国大会も5回にわたって盛大に開催され、全国大会の受賞作品は共催団体である毎日新聞が毎年1面全体の紙面を割いて大々的に掲載されてきました。全国の応募作品は10万作品を超え、埼玉県大会には上田知事が毎回出席されました。明治31年に幡羅高等小学校が保護者に配っていた「家庭心得」も全国に知れ渡り、埼玉県教育委員会が作成した『家庭用彩の国の道徳』も家庭と学校が連携した道徳教育のモデルになっています。
諸般の事情により中断を余儀なくされましたが、このたび親学推進協会元理事の杉本哲也氏の呼びかけに応えて高知親学の大野香葉美平成学園園長が事務局を引き受けていただき、第6回親守詩全国大会が3月3日に高知で開催される運びとなりました。本大会のためにご尽力いただいた皆様に心から御礼を申し上げます。

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