南京事件「16枚の写真」の検証一「世界の記憶」登録主要文書のデタラメ

●中国が「世界の記憶」に登録した主要資料
 中国はユネスコ「世界の記憶」に登録した「南京大虐殺」資料について推敲に推敲を重ねたと強調し、以下の主要11項目を公表した。
⑴    金陵女子文理学院の学生寮監督、程瑞芳の日記
⑵    マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
⑶    南京市民が死の危険を冒して保存した、旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦等の写真16枚
⑷    呉旋が南京臨時参議会に提出した旧日本軍の暴行写真
⑸    戦犯谷寿夫に対する南京軍事法廷の判決文正本
⑹    米国人、ベイツの南京軍事法廷での証言
⑺    南京大虐殺の生存者、李秀英の法廷証言
⑻    臨時参議会の敵人罪行調査委員会調査表
⑼    南京事件法廷が調査した犯罪の証拠
⑽    南京大虐殺についての市民の上申書
⑾    外国人日記「占領南京一目撃者の記述」(中国国営新華社通信より)

この11項目は、次のように⑴南京裁判の証拠、と⑵それ以外のものに大別できる。
⑴    南京裁判の証拠とされた資料・判決文など
<資料3>旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦の写真16枚
<資料4>旧日本軍の暴行写真
<資料5・6・7>谷寿夫裁判の判決文、法廷証言、米国人の法廷証言など
<資料8・9・10>同裁判などのために収集された調査資料
⑵    裁判に直接関係しない日記や目撃記録
<資料1>難民を受け入れた金陵女子学院の程瑞芳の日記
<資料2>マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
<資料3>南京残留外国人の日記や報告

 この資料の問題点については、4月28日付けnote拙稿で詳述したので参照されたい。

●日本の「南京大虐殺」論学者たちの南京訪問
 「南京大虐殺」論を主張する日本の学者たちが最初に南京を訪問したのは、南京大虐殺記念館が開館する1年前の1984年であった。南京事件50周年に当たる1987年に第2次調査を行っており、メンバーは洞富雄(元早大)を顧問、藤原彰(元一橋大)を団長にして、笠原十九司(宇都宮大)、吉田裕(一橋大)、江口圭一(愛知大)、由井正臣(早大)、君島和彦(東京学芸大)、吉見義明(中央大)等に加えて、本多勝一(朝日新聞社)と和多田進(晩聲社)等も参加し、本多には中国国際貿易研究所の通訳が随行し、中国側に指名して連絡してあった38名の証言者のヒアリングを行い、「幾本ものマイクが突き出された東史郎氏の周りには大きな人だかりとなって、東氏の50年前の思いで話に耳をそばだてた」が,この東史郎氏の「南京大虐殺」証言の嘘は裁判の敗訴によって判明し、長年南京大虐殺記念館に掲げられていた東氏の写真も撤去されているという。
 これらの「南京大虐殺」を主張する学者たちに、何度も公開討論を申し入れたが、拒否された。秦郁彦氏らの「中間派」も含めた討論を提案したが、彼らは逃げ回り、学術的検証の議論を避けてきた。
 ちなみに、私の恩師である児玉三夫明星大学学長の秘書であった方が東氏が属していた部隊の上司で、東氏が南京大虐殺があったと証言している日付の日記とはまったく異なる内容が書かれた同日付の日記を見せて下さり、彼の著書『わが南京プラトーン』が事実無根のトンデモ本であることを明示された。
 東氏の証言ビデオはカリフォルニア州のマグロウヒル社の歴史教科書を採択している高校の授業で生徒たちにセットで見せることがカリキュラム化しており、これが在米日系人子弟へのいじめの原因の一つになったことは、これまでに『正論』等の月刊誌や歴史認識問題研究会の学術研究誌『歴史認識問題研究』等で詳細に論じてきた。

●16枚の写真の徹底検証
 中国が「南京大虐殺」の証拠と主張する16枚の写真は、洞富雄・藤原彰/本多勝一編『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社)、中国で出版された『侵華日軍南京大虐殺暴行照片集』『世界遺産名録:南京大虐殺档案』第3冊、映画『南京1937』などに収録されているが、そのデタラメぶりは。東中野修道・小林進・福永慎次郎『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)に詳述されているので参照されたい。

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