「道徳とウェルビーイング」の関係の解明を目指して一ウェルビーイングカードを使った道徳授業

●「ウェルビーイング教育研究会」の目的 

 日本家庭教育学会と日本道徳教育学会の幹部が中心となって開催してきた「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」の研究成果を踏まえて、新たにモラロジー道徳教育財団道徳科学研究所の共同研究として、「ウェルビーイング教育研究会」(代表は筆者)を開催することになった。
 同研究会の目的は、GDPという経済指標を超えた国民全体の幸福の新たな指標づくりを目指す、SDGsからウェルビーイング・SWGsへの国際動向・国内動向を踏まえ、心理学・幸福学・脳科学等の科学的知見に基づくウェルビーイング理論を整理するとともに、日本人の文化的幸福観を踏まえて、廣池千九郎博士の「人類の安心・平和・幸福」論と関連づけた、道徳教育・家庭教育を中心とした「日本発のウェルビーイング教育」理論とその発信の在り方について研究し、とりわけ「道徳とウェルビーイングの関係」の解明を目指している。
 先日発表された我が国の第4次教育振興基本計画の二大基本方針は「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」に集約され、学習指導要領と教科書の改訂が行われる。同基本計画について審議した中央教育審議会をリードした京都大学大学院の内田由紀子教授は「文化的幸福」「集団的幸福」という日本独自の幸福尺度である「日本社会に根差したウェルビーイング」を提唱している。
 また、同大学院の廣井良典教授は「鎮守の森・自然エネルギーコミュニテイ構想」や「地球倫理」等について研究されているが、「地球倫理」とは、地球上の各地域に存在する思想や宗教、自然観や世界観などの多様性と共通性に注目し、尊重する思想である。
 第1回研究会は両教授と共同研究をされている田中朋清石清水八幡宮権宮司をお招きし、「鎮守の森に内在する普遍的哲学を活用した国際教育改革と平和構築に向けて」協議したが、今後は両教授並びに「幸福学」の第一人者である前野隆司氏(来年4月に開学する武蔵野大学ウェルビーイング学部長に就任予定で、ウェルビーイング教育研究会での講演も了承されている)との協議を深め、11月24日に東大大学院の鄭雄一教授から「仲間をつくる道徳」について、さらに、中山理麗澤大学特別教授から廣池千九郎博士の「人類の安心・平和・幸福」とウェルビーイングとの関係について、来年2月16日には、NTTコミュニケーション科学基礎研究所の渡邊淳司上席特別研究員から「道徳教育とウェルビイング一ウェルビーイングカードを使った道徳実践」について講演していただく予定である。

●ウェルビーイングカードを使った道徳の授業

 NTTコミュニケーション科学基礎研究所では、自身や周囲の人々のウェルビーイングの要因に意識を向け、それを可視化・共有するためのツールとして、「わたしたちのウェルビーイングカード」の研究に取り組んでいる。
 このカードには、ウェルビーイングの要因となるキーワードが1つずつ記載され、それらは、次のような「I(わたし)」「WE(わたしたち)」「SOCIETY(みんな)」「UNIVERSE(あらゆるもの)」の4つのカテゴリーに分類されている。

Ⅰ 熱中、挑戦、達成、成長、自分で決める、希望、自分らしさ、心の平
  穏、日常
WE 友情、価値観の理解、愛、憧れ・尊敬、応援・推し、認め合う、信頼、
   感謝、祝福
SOCIETY 思いやり、協調、多様性、決まりを守る、社会貢献
UNIVERSE 生命・自然、縁、平和

 自身のウェルビーイングの要因について、いきなり聞かれても言葉にするのは難しいが、これらの中から自分にとって大切なことを選択することが自己開示のきっかけとなり、そこから自己理解や他者理解が促進される。
 また、この4つの要因のカテゴリーは、道徳の学習指導要領における4つの内容項目、すなわち、A:主として自分自身に関すること、B:主として人との関わりに関すること、C:主として集団や社会との関わりに関すること、D:主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること、とも重なっている。
 もともとこのカードは、ウェルビーイングの要因を介したコミュニケーションツールとしてつくられ、そのカテゴリーも主に心理学の観点から分類されたものであるが、道徳教育における内容項目の分類とも親和性がある。そこで、このカードを道徳の授業で使用する試みが始まったのである。
 具体的には、NTTの同研究所と東京都市大学坂倉杏介研究室との共同研究の中で、昨年の9月・10月に、カードを使った道徳実践を世田谷区立尾山台中学校の3年生を対象に行った。
 まず授業の冒頭において、生徒たちがカードに慣れるために、「今、自分が大事に思っていること」をカード一覧から一枚選び、それを選んだ理由とともに3~5の班で共有した。表示されたカード一覧から一枚を選択すると、そのカードを拡大したり、自由に配置したりできる仕組みとなっていた。
 教材は『手品師』(江橋照雄著)を使用し、まず先生が内容を読み聞かせ、生徒に「この時に主人公である手品師はどんな気持ちだったか?」などの手品師の気持ちに関する2つの発問をし、その答えを踏まえた上で、「あなたが手品師の立場だったら、どんな行動をとったか?」と問いかけた。
 生徒は、自分が取る行動と、その時大事にしたい要因をカードから2枚選び、理由と共にタブレットに入力して提出した。それから、行動と選んだカード、その理由を共有し、議論・発表を行った。
 例えば、以下のように、先生のタイミングの良い問いかけに合わせて発表が行われた。

先生:Aさんは「大劇場に行って、あとで男の子に報告する」という行動をとるという。その時選んだカードは1枚目が「希望」。なぜ?
生徒A:成功した後、男の子に自分が成長したことを伝え、男の子に生きる勇気や自信を持つことを伝えたい。
先生:なるほど。次の1枚は「挑戦」ですね。
生徒A:挑戦し続けることが大事だということを伝えたい。

 別の生徒は行動として、「男の子には置き手紙をして大劇場に行く」ということを選び、「達成」と「思いやり」を選ぶなど。同じ大劇場へ行くという行動をとったとしても、様々な視点のカードが選ばれた。この道徳の授業について、渡邊淳司氏は次のように述べている。

<今回の実践では、道徳の授業で「わたしたちのウェルビーイングカード」を利用することが、生徒が自分や他者のウェルビーイングについて考えるきっかけとなり、さらには、主人公の立場に立って考える際の一つの手がかりになったと考えられる。実際、生徒からの感想には、「班の中でも意見が分かれた。色々な人の考え方を尊重していけたらいいなと思いました」という意見もあった。このような道徳教育での実践が、学校内の授業時間以外の取り組みや、生徒たちが家族やコミュニティのなかで”わたしたち”のウェルビーイングを実現していくきっかけになればと思う>


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