ウェルビーイングと感性工学

  「ウェルビーイングと感性研究会」の前身であるポジティブ・コンピューティング研究会の設立提案が行われた2019年3月時点ではウェルビーイングという言葉はほとんど知られていなかったが、2020年前後の数年で急激にこの言葉が広がった。

●ウェルビーイングの決定因子
    ポジティブ心理学を広げたセリグマンは、ウェルビーイングの要素として、ポジティブ感情、没頭、関係性、意義、達成の5因子を挙げたが、拙稿で取り上げてきた東大大学院の「道徳感情数理工学」などの感性工学的視点からのウェルビーイングの決定因子の研究によれば、⑴自己、⑵社会的、⑶超越的に3分類される。
 ⑴の因子には、ポジティブ感情、動機付け&没頭、自己への気づき、マインドフルネス、心理的抵抗力・回復力、⑵の因子には、感謝と共感、⑶の因子には思いやりと利他行動が含まれている。この自己、社会的、超越的に3分類されたウェルビーイングの向上を目指す感性工学技術に関する研究は多数ある。

●ウェルビーイングへの感性工学的アプローチ
 萩野晃大「ポジティブ・コンピューティングとは一ウェルビーイング支援のための感性工学」(『感性工学』18⑵、2020)によれば、ウェルビーイングのための感性工学の技術として、⑴個人が自分の状態を知る支援と、⑵行動モデルや行動理論を利用して個人の行動の変革を促す支援が必要である。
 「自己」のための感性工学技術の具体例として、石原真紀夫らは、自分の行う善行をほめられることで承認欲求が満たされ、他者貢献感とともに充実した幸福感が得られるのではないかと考え、携帯端末を用いた「感謝の可視化システム」を開発した。
 これは、善い行いをしている人の地点を地図上で指定し、その地点に送信された感謝を受け取ることができるというアプリである。実験の結果、感謝を受信することで、嬉しい気持ちになったことが示されている。
 また、中村らは「不快」「少し不快」「普通」「少し快」「快」の印象を与える視聴覚素材(スライドショーと音を組み合わせたもの)を提示することで、ネガティブ感情からポジティブ感情への誘導を試みている。
 さらに舘岡らは、利用者が入力したネガティブな文章をユーモラスな表現を含んだポジティブな表現に変換して出力するWebアプリケーションである「Coco-WA」を開発している。
 他者や集団を対象とした「社会」のための感性工学技術の実例としては、渡邊淳司らは、自分への気づきや新しい関係性への働きかけをテーマとした「心臓ピクニック」というワークショップを行っている。他者と心臓ボックスを交換し、互いの鼓動の違いを感じ取ることで、他者との非言語的なつながりを生み出し、共創的な場を生み出している。

●「私たちのウェルビーイング」
 彼らは私一人のウェルビーイングではなく、複数の人全員がウェルビーイングな状態になる「私たちのウェルビーイング」が必要であるとしている。これは、個人の衝突を調停する人の心を起点とした新しい価値観であり、ウェルビーイングを共創するものである。
 池松らは、グループ旅行の旅行者の心拍のピークを測定し、心拍から旅行者の興奮度を探り、グループメンバーが観光を楽しんでいない時にグループの気分を変えるような観光地の情報を提供する試みを行っている。
 さらに、中田らは、視聴覚素材同時提示による感動喚起に関する基礎的な検討を行っている。ここでは、「感謝・愛情」「心に沁みる」「崇高さ」「歓喜・興奮」という4種類の感動の喚起を試みており、「崇高さ」を喚起させた視聴覚素材は、宇宙に浮かぶ地球の写真のスライドショーに平原綾香のジュピターの冒頭を組み合わせたもので、8種類の視聴覚素材の中で最も感動した素材であった。感動は没頭状態の一つと考えられるが、感性工学技術により「超越的」に対するウェルビーイングの向上が可能であることが判明した。

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