見出し画像

覚悟

 一時期、札幌で暮らしたことはあったが、もともとは海と川と山に囲まれた田舎町で育った。
10年前、さまざまな理由から今の街に越して来たのだが、けれどもそれからわずか数ヵ月で離婚を選択せざるを得ない状況に陥った。
田舎に逃げ帰りたかったが、苦しみと悲しみの気持ちを実家の親は抱きしめてはくれなかった。ちいさな田舎町では離婚すらスキャンダルな噂となることから、帰郷することを否まれた。
となると否が応でも居を構えた新しい街で暮らさなければならないわけだ。知人すらまだいなかった。

独りぼっちで見知らぬ所に投げ出されたようなものである。
「どうやって生きてゆこうか」と途方に暮れて、あてもなく歩くと、私の孤独に反するかのような人混み。どこから湧いてくるのか人の群れ。押し寄せる人波に飲まれそうになりながらも、そのとき、こぶしを握って決意をした。「この街で強く強く生きてゆこう」・・・なぜなら人の数ほど人生ストーリーはあるのだ、孤独なのは私だけじゃないはず。
そう思うと急に、ビルが建ち並ぶこの街が煌めいて見えた。
今になってみて、あのときを振り返れば、ビル街が煌めきを帯びていたのは、もしかしたら、私の瞳からあふれた涙がにじんでいたからだけかもしれなくても。

 育った町にはデパートがない。孤独な私が救われたのは、この街の華やかさと、きらびやかさだった。
女性ならばご存じであろうが『ジル・スチュアート』の化粧品店の、まばゆい陳列棚に目を奪われた。田舎にはその店舗がなかったから。
キラキラ輝くコンパクト。綺麗なパッケージのアイシャドーやルージュ。
都会で生き抜いていくための決意の記念に、コンパクトファンデーションが欲しかったが、なにせ、先立つものもない。コンパクトケースとファンデーションは別売りで、ケースは千円。中身のファンデーションは四千円ほどだった。恥ずかしながらも千円のコンパクトケースだけを買い求めた。
店員さんはケースだけを買った私に、いぶかしげな表情をして見せたが「いつか、きっと中身も買う」という目標を心にして店を出た。
しかし、直後に病魔に襲われて闘病生活となってしまった。そして、そのうちに決意した強い思いさえも忘れてしまう日々となってしまった。

 さて、一昨日、思いがけず友人から贈りものをいただいた。
それはあの『ジル・スチュアート』のクリスマスホリデー・コフレである。まるで光を放つかのようなパッケージのメイクアップセット!
早速、そのコスメを手に取って化粧をしてみた。
ジル・スチュアートのロゴマークを眺めながら思い出した。「この街で強く強く生きてゆこう」とこぶしを握りしめて決心をしたあの瞬間を。
悲運に嘆いてばかりの歳月に押しつぶされて忘れていた誓い。

もう一度、私は生き直す。この街で人生を歩んでゆくのだ。
涙さえも煌めく宝ものにしながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?