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人生に苦難はつきものだが、まずは笑おう!

「笑い」は心身の健康に良いとのことで、早速、実行すべく落語などを聴いてみることにした。しかしながら落語初心者には高座という舞台へと出掛けるには敷居が高すぎる。それなら落語CDでも買うしかないのかと思いきや、意外にも定額音楽配信サービスでも、その分野があることを知った。
スマートフォンさえあれば古典落語を味わえる、なんとも便利な時代だ。
けれども「古典落語」には私はまったく馴染みがない。とにかくまあ耳さえ傾ければゲラゲラと笑えるのだろうと安易に考えていたが、なかなかどっこい、古典落語はある種の教養も必要で、笑うべきタイミングで、笑えない自分の姿に逆に笑ってしまう有様だ。
 
ところで、
お笑いコンビ『錦鯉』さんのインタビュー記事を雑誌で読む機会があった。鳴かず飛ばずの時代が長かった彼らは、過去を振り返ってみて、また、今現在に向き合ってみて「どんなことも笑いに変えていったらいい」と語っていた言葉が印象的だった。
いいことも悪いことも何かひとつでも欠けていたら、”M-1”で優勝することもなく、今のこの人気には結びつかなかっただろうと語っていた。
「どんなことも笑いに変えて生きていこうよ」と話していたのがとても心に残ったインタビューだった。
そう考えてみると、私の悲劇な過去も、病で現在に至ることも
すべては必要なことだったのだと思えたりする。
悲しみも苦しみも「笑い」に変えて宝物のように抱きしめて生きていきたいものだ。
 
さて、落語に限らず、お笑いテレビ番組に限らず「笑い」は日常生活の中にもひそんでいるのではないかという当たり前のことに今更ながら、ふと気づかされる。
小春日和の陽だまり、友人のさりげない優しさ。
微笑もう。笑おう。
なんでもいいから暮らしの中にハッピーを探して
一人でも盛り上がろう!
 
これまでの私は「しあわせ」をどこか人任せにしてきた気がする。
笑顔になれない理由を、恵まれない環境で育ったせいだとか、自身が離婚せざるを得ない状況に置かれたから、とか、長年の病気のせいだとか、なにしらのせいにしていたのだと思った。
「しあわせ」になれるか否かは自らの責任だ。
親のせいにしても始まらない。環境のせいにしてもどうしようもない。誰かのせいにしても虚しい。
だったら、笑ったもん勝ちだ。
 
微笑もう。笑おう。
なんだっていいじゃないか。スイーツが美味しかったから笑う、お化粧のノリがいいから笑うのだって有りじゃないか。
そこらじゅうから「しあわせ」の種をかき集めて笑ってみようじゃないか。
 
そして、願わくは、やがては私の笑顔で、ほかの人をも笑いの渦に巻き込んで暮らせるように、まずは一人からでも始めてみよう。
 
人生は山あり谷ありどころか、谷ばかりの悲劇が多いのが現実社会だ。
それでも笑おう。笑う門には福来る。昔々からの言葉だが今こそそれを信じたい。

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