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ホームレスさんと私の物語

今のこの街に引っ越して来てほどなくして親しくなったのは、ホームレスのおじさんだった。
出逢いというほどの洒落たものはなく、その人はいつも、雑居ビルの前の通りに立ち、雑誌を売っていた。
そのおじさんのことが気掛かりだった私は、ある日、とうとう、なんの雑誌を売っているのだろうと近づいて覗いてみた。
『BIGISSUE』(ビッグイシュー日本版)と名がついた総合エンターティメント週刊誌であった。初めて知った雑誌だった。
そのときの号はビリー・ジョエル特集であったかと記憶している。音楽が好きな私は早速、その誌を買い求めた。おじさんは「ありがとうございます」と丁寧に深々と頭を下げた。

この雑誌が思いのほか面白かったことや、あのおじさんのことが頭から離れなかったこともあり、以来、毎週『BIGISSUE』誌を買いに行った。そして、自然と言葉を交わし合うようになっていった。おじさんと私の心の距離が少しずつ近づいていった気がした。

おじさんは雑誌の売り上げで日ごとの食糧を買っているという。身なりはいつも同じようなもので着替えは少ししか持っていない様子でもあった。

やがて通う回数に比例して、世間話は弾み、それだけではなく、気がつくと私は自分の身の上話までするようになっていた。おじさんは、そんな身の上話にも嫌な顔ひとつせずに「うん、うん」とうなずいてくれて、まるで包み込むかのような雰囲気でいてくれた。

週刊雑誌『BIGISSUE』の発売日に合わせて、私はとにかく毎週毎週、通った。おじさんは身体が悪い様子であったので、何故、治療をしないのかと尋ねてみると「これがわたしの生き方だから」と小さく答えた。それ以上は訊いてはいけないように感じて私は黙って頷いた。

木枯らし吹く日には使い捨てカイロをおじさんへのお土産に持って出掛けた。一方のおじさんは「美穂さんが来るとパァーッとこの場所が華やぐねえ、うれしいですよ」と笑顔を向けたが、こちらのほうこそ、その笑顔に癒されているのだ。

そして12月。クリスマスイブの日。
いつもの所に居るおじさんの姿を確認すると、私は近くのデパートに行って高級菓子を買った。おじさんに渡すためだ。これをクリスマスプレゼントにしたならば、どんなに喜んでくれるだろうかと思ったのだ。
店員さんに頼んで綺麗なラッピングをしてもらい「いつも笑顔をありがとうございます」のメッセージカードも添えた。

デパートを出ておじさんの元に駆け寄って贈り物の高級菓子とカードを渡すと、おじさんは「美穂さん、ありがとう」と大きな掌でそれを受け取った。「お礼代わりにわたしからも美穂さんにプレゼントを差し上げたいのです」と鞄の中から箱を取り出して私に持たせてくれた。家に帰って開けると有名メーカーのクッキーであった。
しかし、私はそのクッキーを食べることができなかった。
どこで得たクッキー缶なのかわからない。
おじさんが買った物なのか、差し入れられた物ものなのか、いぶかしさがよぎったからだった。

おじさんから頂いたクッキーを食べなかったことは、私の罪悪感になってしまった。それからもうひとつ、私がクリスマスプレゼントにと買ったあの高級菓子は果たしておじさんにとって益だったのか不要なものだったのか考えさせられたからであった。

それ以来、私の足はおじさんの元から遠のき、週刊『BIGISSUE』の雑誌も買いに行かなくなってしまった。

あれから・・・年月は経ち、私は髪型も服装も変わった。

今でも、その場所をとおるとおじさんは立っていて変わらずに雑誌を売っているのを目にする。
すっかりと年老いてしまったその姿。

しかし、まるで隠れるように、見知らぬふりしてそこを通り過ぎる私。
あの日の罪悪感がそうさせるのか、それとも、私自身が変わってしまったのか。それでも、おじさんを見かけるたびに胸が痛む。

もうすぐクリスマスだ。今度、あの道をとおった時「雑誌をください」と声を掛けたら、おじさんは私に笑顔をくれるだろうか。

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