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今週のこころに残ったことば「読経している坊さんの後頭部が蚊に食われて、おっぱいに見えた」

情報量が多いと伝わらないというお話。

NHKオンデマンドで「100分 de 名著」ル・ボンの『群衆心理』回を観た。タイトルは、その中で伊集院光さんがお話されたエピソード。

伊集院さんのお話はこんなものだった。

「数十年来の親友が突然亡くなって、葬儀に参列した。その時、読経している坊さんの頭が蚊に喰われておっぱいに見えた。」

前半部分は悲しく、逆に後半は笑えるエピソード。これが混在していると、情報量が多すぎて伝わらない。聞かされた方も、悲しんでいいのか笑っていいのかリアクションに困るというもの。

ただ、伝える側としては、どちらも事実であって重要。でも伝わらないから仕方なく話を分ける。

つまり
「この間、数十年来の親友が突然亡くなって、葬儀に参列したんだよね。」

「この前、葬儀に参列したら、読経している坊さんの頭が蚊に喰われて、その頭がおっぱいに見えたんだよね」

なんなら相手によっては、それぞれ別のエピソードとして使うかもしれない。テレビ的にはお坊さんのエピソードのみだったり。

これ、すごくよくわかる。特に、ここ数日noteに書いているクラファンサイトでどれを伝えてどれを省略するかはかなり迷った。結局伝わりにくい結果となってしまっている。

シンプルに伝えたいことは「震災でこれだけの建物が損壊しました、経済的余裕がなくなったので支援をお願いします!」というもの。

そこに肉付けとして「こういう理由で必要なんです」というわかりやすいエピソードが加わる。(現実はそう単純じゃないけれど、シンプルにした方が伝わることは痛いほどわかった)

この肉付け部分に、先の悲しいお葬式とおっぱいなお坊さんのごった煮エピソードを加えたため、結局何が言いたいんだ?となって伝わらない。

ただ、「伝わりにくいことでも伝えていかないと」という思いもある。前々回のnoteで書いた「地域包括ケア」と言う概念だったり、個人的には「ネガティブケイパビリティ」という言葉もそう。パッと見わからなくても、我慢してステイしておく力が必要。

要は、白黒はっきりとしたわかりやすい情報だけでなく、グラデーションのあるグレーもあるよということ。そこは、受け取る側も意識していないと衆愚に陥ってしまう危険性はある。

実際SNSでバズっていることってそうなってるし。話題のニュースもそう。

このジレンマはいかんともしがたい。

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