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研究者に実務経験は必要か?

大学や大学院で進路を決める人たちの中には、院進学か民間就職かという人生の大きな決断を迫られている人も多いだろう。僕は学部から直接修士課程に進学してから、一度民間企業に就職して、その後博士課程に進んだ。

このキャリアパスが正しかったのか、今まで考えることがよくあった。つまり、「研究者として実務経験を持っている意味はあるのか」という。脱サラしてアカデミアに戻ってきてはや4年が経とうとしているのを機に、実務と研究キャリアに関する現段階の僕の考えを整理しておこうと思う。

ただし、ここで想定しているのは、研究職でない職種を経験した後に、博士号取得し、大学や研究所で「研究者」として活躍しようとしている人であり、職歴を積んで博士号取得後に国連やNGOといった「実務家」としてのキャリアを歩む人やシンクタンクやメーカの研究所等々で研究者として雇われるパターンの人たちらここで書かれていることをあまり気にする必要はないと思う。

とはいえ、海外では研究者と実務家の境目がないような人も割といるので、少なくとも最終的に研究で食っていくのであれば幾分か役に立つかもしれない。

実務を経験してよかったこと

1.独自の研究テーマや視点の発掘

実際に2年間民間企業でインフラの海外営業という仕事をしてみて、よかったことはまず新しいテーマを見つけることができたことだろう。日本では政治学者や社会学者が民間企業で経験を積むというのはかなり稀である。基本的にみんな学部を出て修士・博士課程へとストレートに進学して博士論文を執筆する。大学院でもMBA(経営学修士)やMPA(公共政策修士)を除いて、入試でも職務経験を問われることはほぼない。

ただ、社会科学という学問は、人と社会に関する学問であり、常にリアリティをもった議論をすることも重要である(これに賛同しない学者ももちろんいるだろうが)。つまり大学や研究機関という一つの「社会」にしか属したことがないと意外と世の中がどのように回っているのかがわからなかったりするものであり、その意味で一度まったく違う「社会」に身を置くことで、論文を読んだりするだけではわからないことが結構わかったりする。

ただし、またどこかで書こうと思うが、最近の(特にアメリカの)政治学や社会科学はかなり因果推論や実験手法といった研究手法の議論に偏っているので、'Real World Experience'がそこまで評価されるかというと正直テーマや分野によっても差異がある。もし政治学でアメリカのトップスクールを狙うのなら統計学や数学のコースワークにもっと時間を費やしたほうが場合もあるかもしれないが、いずれにせよ自分が研究者としてどのようなスタンスを取るかによるだろう。

では実際に仕事をしてみると世の中はどう見えるのか?

僕のように修士課程まで終えてから社会に出た人の場合は、研究のくせで世の中を穿った角度から捉えようとするので、、、意外と普通に働いているだけでは見えないところに注目や関心がいったりする。僕の場合は、ついついマレーシアやインドネシアの政治に目がいってしまい、当時の政権のインフラ政策や汚職についてよく調べていた。また、日本の企業がどのようなロジックで東南アジアの国々にインフラ投資をするか等々実務を通じてして見えてこないことも多かったと思う。

このほかにも、例えば人類学や社会学を大学院で修めた人がが日本の民間企業で働いてみると、普通に学部だけ出て働いている人には見えないより大きな社会の構造とか権力のシステムが見えたりするかもしれない。

こういうわけで、僕の場合は無意識にも日本企業と東南アジアとの関わりについて強い関心を抱きながら、仕事をするようになっていた。この意味で特にそれまでの職歴等が求められない「新卒採用」という制度は将来的に研究職を目指す人にも開かれているという意味でとても有益だと思う。大学での学位と職歴との一致が常に求められる欧米と比較すると、特定の就労経験や学問的な専門性がなくても、ある程度の学歴があれば「とりあえず働いてみる」ということができるのは意外ととてもありがたいことである。

ということで僕もこの「とりあえず働いてみる」制度を利用して、インフラビジネスの世界から東南アジアの政治経済を覗く機会を持つことができた。

結果的にこれが今でも研究者としての強みにもなっている。というのも、東南アジア政治の専門家で、理論研究をやりながら、日本企業の事業投資やODAの実務的な動きを把握している人は日本人研究者でもほぼ皆無で、世界を見ても東南アジアと日本を同時に観れる研究者は極めて少ない。日本政府や企業の動きがわかっていて、インドネシア語が読めて英語で論文が書けるというのは、自分が思っていた以上に強みになっていることが最近よくわかってきた。

2.奨学金が取りやすいくなる(かもしれない)

これは一概に言えないが、フルタイムの仕事を辞めて海外の博士課程で研究しますというのは、奨学金の審査ではかなりインパクトがある。これは多分前職の仕事が有名な会社である程そうで、ある意味「腹を括っている」ことが審査員に伝わるのかもしれない。実際に会社を辞めて受けたロータリー財団の奨学金でもそのような感触があったので、「学部からそのまま勉強したいので大学院に行きます」という人よりも、社会に出てから改めて問題意識を持って学問の世界に戻る人の方が、政府や民間の奨学金の審査員には響く可能性はあるだろう。

特に奨学金の出資元が前職と関連する業種の企業だったりすると、彼らが求めている人間像や方向性もなんとなくわかったりするので、他の出願者より有利な立場に立てる可能性はある。僕は前職が経団連系の会社のICT海外営業だったこともあり、経団連とKDDI財団の奨学金を貰うことができた。

3.業務処理能力が格段に上がる

これはまぁ社会人を経験すれば当たり前のことであるが、研究者というのは割と実務処理が苦手な人が多い(と言われる)。なので、ちょっとでもプロジェクト管理の経験があったり、実務の経験があると大学内や研究所の仕事でも割と有利になる。特にResearch Asistant等のエントリーレベルの研究の仕事になるとむしろアドミや広報が大半の仕事になるので、むしろ民間企業での実務経験が生きる可能性が高い。研究がわかっていて、ある程度アドミ業務もできますというのは、意外と大学では求められるのだけれども、意外とそれを両方できる人がいなかったりするので、この意味でも実務経験は研究+@のスキルと生きるところは多いと思う。

実務を経験してよくなかったこと

1.仕事脳→研究脳への切り替えに時間がかる
一方で、アカデミアでの研究の仕事と民間企業での仕事とでは頭の使い方がまるで違う。僕も働き始めた当初は週末に少し自分の論文を書こうとか文献を読もうと思っていたけれども、いざやろうとするなかなか精神的にも体力的にも大変なことがわかった。そもそも週5日朝から夜までフルに働いていたので、土日は頭と体を休めたいという欲求になかなか勝てない。というか休まないともたない。。

なんとか頑張って文献とかを読んでみるが普段仕事での頭の使い方と研究で論文を読んだり概念を整理したりする作業は頭の使い方が全然違うので、僕にとってはものすごく効率が悪い作業だった。

おそらく器用な人はうまく切り替えができるのだろうけれども、僕の場合は脱サラして大学院に戻ってきた後も数ヶ月間本調子が出なかったので、結構時間をロスした気はしている。。

2.査読論文の出版が遅れる
物理的に仕事をしている間はアカデミアでの研究から遠のくことになるので、論文の出版に関しては修士からストレートで博士に入った動機よりも遅れる可能性が高い。若いうちに業績を出すことが求められるアカデミアの世界では2-3年全く研究ができないというのはそれなりにハンデになることは明らかである。

僕自身も2020年にコーネル大学のIndonesiaという雑誌から修士論文をもとにした論文をしたのだが、これも社会人経験を挟まなかったら修士号を取ってすぐの2017年とか2018年頃に出版できていたかもしれないと思うことが多々ある。この辺りは実務経験を積むときにある程度妥協しないといけないかもしれない。まぁ早く出せば良いというものではないが、アカデミアの外での経験と引き換えに、修士の同期でそのまま博士に進んだ人からは少し遅れを取ることは覚悟した方が良いかもしれない。

ただもちろん、これは職種や職場環境によるので、馬車馬の如く働く企業でなければもう少し研究の時間を作れる可能性はある(笑)

3.研究テーマの修正ないし変更の可能性
新しいテーマを見つける機会になる一方で、言い方を変えれば、実務を経験して場合によっては学部や修士論文からテーマを変更する可能性もあるだろう。僕の場合はまさにこれで、修士論文のテーマがナショナリズムだったものだから、博士課程に戻ってきた段階で、職歴との一貫性を考えてテーマを変えることにした。これは別に変えなくても良いといえば良いのだけれども、履歴書の一貫性からして、職歴と研究テーマに何かしらの関連性がある方がキャリア上有利ということを考えると、職歴に合わせて研究テーマの軌道修正をする方がベターだと判断したためだった。

僕の場合は、「ナショナリズム==>政治汚職==>エネルギー政治」とテーマを変えてきたこともあり、その都度先行研究を一から読み漁るハメになった。博士の研究では先行研究は「全部読む」ことが前提になるので、それなりに膨大な文献に当たらないといけない。実際に会社を辞めた後の1年間は机に座ってひたすら英語の論文と本を読んではまとめる作業を1年近くすることになった。

ただ、逆にいうと常に新しいテーマに対して関心を示すことができるというのも研究者にとって大事な資質であるので、この一から先行研究を読むという作業をあまりに苦痛に感じるのであれば、そもそも研究者に向いていない可能性が高いかもしれない。

まとめ

という感じで、研究者に実務経験についてここまで書いてきたわけだが、基本的には実務経験があった方がいいかというのは、その人の関心やテーマによってもまちまちである。哲学とか数学とかだとなるべく若いうちに画期的な研究成果を出す方が大事だし、自然科学の研究者も逆に若いうちにラボでの経験をたくさん積んでおく方が大事であろう。一方で社会科学で実証的な研究をする場合は、アカデミア以外での経験はそれなりに研究者としての幅を広げることになるとは思うし、そうした異なる経験から一般的な研究者があまり気づかないところから理論を作り出すということもできるかもしれない。

実際に、欧米の大学院ではシンクタンクやメディア、企業等で数年のキャリアを積んでから博士課程に戻ってくる人がかなり多い。というか逆に言えば、社会科学の場合、学士・修士号だけとっていきなり博士課程に進むのは(一部の天才を除いて)難しい場合もある。

ということで、20代のうちに少し人生の幅を広げてからアカデミアに戻ってくるというのは、研究者人生全体を考えれば悪い選択ではないように思う。問題は、どのようなキャリアを構築するかというところで、それに適した職歴や研究テーマとのマッチングをいかに上手く調整するか、あるいはこじつけるかというところになる。

(この辺りの研究者のキャリア形成の話についてもまた興味があればまたどこかで書こうと思う。)

おわり。





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