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ポジティブとネガティブ

巷で溢れている、スピリチュアル系ハウツー本。
色々、読み、読んでいるうちに全て同じことを言っているのではないか?
と思った。

ポジティブになろう。
ネガティブはいけない。
はたまた、常に平常心でいなさい。
全ては無である。空である。
ネガティブも否定するな。
自動思考で反射的に反応しているだけだ。
私たちは機械だ。
人生脚本は既に書き上がっている。
人間は宇宙人に操られている人形に過ぎない。

これらは相反している思想のように思われるかもしれないが、全て共通した真理であり、人それぞれしっくり来る方法や考え方が違うだけなのではないだろうか。

例えば、すごくネガティブな人がいて、何が起こってもネガティブにしか捉えられず、落ち込む一方の場合。
これはもうネガティブが行き過ぎて暴走している状態なので、健全とは言えないし、幸福とも言えない。
だからポジティブに考えた方が良いよ。
これはある意味正しい。そりゃあそうだろう。
でも、ネガティブの落ち込み沼の底にいる時に、ポジティブになれと言われてなれる訳がない。なれるんならとっくにやってるよ!という感じになるだろう。
この場合は、全ては自動的に反射的にネガティブに受け取っているだけだ、という思考や、宇宙人に操られているだけで、自分は悪くない。
などの思考で一旦落ち着かせて、瞑想をして無の状態から愛と感謝の状態を目指す。
または、無気力で無価値に感じられているところからは一旦、怒りや他責思考に行って、悲観的から楽観的にまで上がって、その後愛や感謝まで登れれば最高。
これは「エイブラハムの感情の22段階」を使う。

結局は、愛や感謝の状態でいられるのが幸せなのは間違いない。
ただ、一足飛びに無価値観から愛や感謝へ行ける訳がないので、様々な方法を利用して愛や感謝へ移行することを目指すということだ。

ネガティブも否定するな。
というのは、ネガティブな感情のおかげで、そこに自分の理想はない、その反対が理想の状態だと気付くことができる。
ネガティブな感情よ、ありがとう。
ということなのだ。

愛と感謝は最高の状態には違いないが、平常心もバランスも善き事。
一喜一憂すると疲れる。
わー、最高!なんて幸せ!
というハイテンションな状態は結構疲れる、心身ともに。
なので、平常心でいましょう。
穏やかな、全てを受け入れた状態。
その状態の、あー、幸せだなー。有難いなー。というほっこり感が良いと思う。
あー、空が青い。風が気持ち良い。なんて幸せ。。。
ありがとう、地球さん。
みたいな。

やはり、全ての幸福論は同じことを言っているようだ。
今いる「心の立ち位置」に応じて、幸せを感じられるようにそのための方法を述べている。
スタート地点が違うので、様々な方法論が必要なのだと思われる。

兎にも角にも、自分が毎日幸せを感じられればそれで良いのだ。


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