「”哀れチョコ”という存在」の災難。
髪を切ってきた。
いつもは男性の方が担当してくれるのだが、休日で混んでいたためなのか、今回は女性の美容師さんが担当してくれることとなった。
彼女は私の元にくるなり、「そうそう、この前バレンタインでしたけど、たくさん貰えました?」と聞いてきた。
思い返せば、残念ながら今年も0であった。
「え!あの正義感が強くて、女性に優しくて、心が北海道のように広い廻るさんが!」
「女性はおろか子供やお年寄りにまで・・・はたまた小動物にまで優しいオシャレで有名なあの廻るさんがゼロだなんて!」
そんな声が読者の女性陣から今にも聞こえてきそうではあるが、これは紛れもない事実である。
当日、あまりのバレンタイン感のなさに悪い魔法使いが私の周りから「バレンタイン」という言葉を魔法で消し去ったかと思うくらいバレンタインの”バ”の字も感じられずに2/14が終わってしまい、そのあまりの感じなさっぷりに「あれ、今日バレンタインだったよな?」と帰宅しながらスマホで日付を何度も確認をしてしまったほどであった。
しかし、聞いた話によるとバレンタインデーにチョコを贈るという文化は日本独自のもので、海外の人から見ると、この「チョコを贈る」という行為をとても奇妙に思うそうだ。
私は”サンキュー”や”ハロー”などといった外国語を日常的に使いこなすので、もしかしたら、周りの女子社員たちから外国人に間違われているのかもしれない。
もうなんなら流暢すぎて、サンキューどころかテンキュー、ハローがヘローといった具合である。
きっと今回、そのことを感じ取った女性達が「廻るさんは素敵だけど、外国人だからチョコを渡すと変に思われるかも」と、遠慮してしまった結果、誰も私にチョコをくれなかったのではないか、と推測している。
今年は、私がワールドワイドすぎるが故のゼロだと言っていいだろう。
つまりは、ゼロであってゼロではない。
数字だのゼロということに関してまったく気にしていないのである。
なので私は自信を持って「ゼロでしたよ」と彼女に言うと、まるで「え?チョコ貰えないやつなんてこの世にいるの!?」というような驚きの顔をした後、
「でも、ほら、なんか義理チョコやめましょう、みたいな流れもありますし・・・それのせいかもしれませんね・・友チョコとか今は種類もたくさんありますし・・・」
「それに最近はチョコがすべてじゃないですからね、全然素敵だと思ってくれる女性はいると思いますよ」
という、謎のフォローをしてくれた。
どうやらとてつもなくモテないどうしようもない男だと思われたようである。
その後、不思議と会話がなくなり、ひたすら無言でカットが続けられた。
そして、そのままカットが終わり、会計のためにレジに行くと彼女が「これ、良かったらどうぞ」と銀紙に包まれたチョコをひとつ私にくれた。
「絶対におやつのために自分で持ってきてたやつだろうな」と思いつつも
「ありがとうございます!」と私は彼女に言った。
私は如何なる状況であっても、きちんとお礼ができる男である。
「すごく哀れに思ったのだろうなあ」
”本命チョコ””義理チョコ”、最近では”友チョコ”などがあるそうだが、この世には”哀れチョコ”という悲しさがコーティングされたチョコも存在することを今日知った私なのであった。
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