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地域まるごと学校に。横浜市立西寺尾小学校・石川先生のワクワクする夢

教育関係者だけが集まる小さな読書会で知り合った、公立小学校の副校長先生。勤め先の学校について、現状に課題も感じているが、自慢できるところもたくさんあるという。年度末の忙しい時期、令和6年3月下旬、横浜市立西寺尾小学校の副校長・石川和之先生(4月から他校に異動)に、詳しくお話を聞いた。

3月末の晴れた日。終業式も終わり児童が登校していない日に取材。

地域との連携が学びを豊かにする

-地域まるごと学校にしたいという構想をお持ちだとお聞きしました。それがどのようなものか教えていただけますでしょうか。
私が今目指したいと思っているのは、地域をまるごと学校にしているような学校です。例えば朝の会を公園で行う、給食をお弁当箱に詰めて地区センターで食べる、地域の人にインタビューするために地元商店街にもっと気軽に出かけられる、そんな学校です。既に今でも、地域の良さを見つけてすごろくにしたりポストカードを作ったり、商店街応援ソングを作ったり、横浜FCと一緒に神奈川区の魅力を発信する活動をしたり、様々な活動を実践しています。学校の敷地にも地域の人が気軽に入ってきてほしい。もちろん不審者対策は徹底します。

-すごく面白そうですね。狙いはどのようなところにありますでしょうか?
ひとつは、地域と関わることで学びが深くなるからです。教科書にある「材」だけでなく、子どもたちの生活の中で興味関心を持ったものを「材」にしてそれを深堀して授業にする方がすっごく面白いんです。子どもたちは身近なものを教材にすることで前のめりになって学びます。何でだろう?もっと知りたい!という疑問や好奇心を持てば、あとは自然と学ぶんですよね。そうした題材は、地域や実社会にこそたくさんあります。教科書どおりに進めることに腐心してしまうと結果的に子どもたちの学ぶ意欲が下がってしまいます。

-なるほど。一方で、調整対応も色々と大変ではないですか?
たしかに色々あります。子どもの学びにおいてハッとする瞬間は、ふとした時に訪れます。通常、週案といって、一週間どんな授業をするか計画を立てて事前に確認します。計画的に進めることは必要ではあるのですが、急な予定変更に対応する柔軟性も必要。私も管理職として、できるかぎり支援したいと思っています。外部講師を呼ぶような話題があれば後押ししますし、講師料等の調整も事務職員と連携してできるだけ実現に向かうようにします。地域とつながることの躊躇をなるべく教員がしなくて済むように、バックアップしたいと思っています。何よりも子どもたちがいろいろな大人と関わることで様々な体験ができますから。

-素敵ですね。他にも狙いはありますか?
もうひとつは、同じ地域の同じ年代の子どもたちと、いわゆる「混ざりあう機会」をつくりたいからです。ある時考えたのですが、子供会や自治会は、その子の所属する学校に関わらず地区の人たちを対象に活動していますよね。公立の小学校は地域に根ざすものなので、その子たちを受け入れていいはずなんです。そして運動会などの各種行事や、地域のお祭りやそれに向けた学びも、一緒に展開できると思います。そうしたらいろいろな子が混じり合っていく、そんな状況にしたいですね。

周りの友だちが「君、すごいね」と言える瞬間を

-石川先生はすごく意欲的に取り組んでおられますが、そのように考えるようになった背景を教えていただけますか。
前任校でも地域のことを知り尽くしたいと思っていましたが、地域と関わることで学びが深くなるという持論は、私が教員生活20年をかけて現時点で辿り着いた答えです。先ほど話したように、子どもたちの疑問や好奇心をつかまえることで、子どもたちは主体的に意欲的に学んでいきます。そしてそれは学級経営に生きてくることもわかりました。

-学級経営にも生きてくるとは?
学習指導要領や教科書に必要以上に縛られてしまうと、どんどん終わらせなければという意識になりやすく、学級全体に余裕がなくなります。でも教室を出るだけで雰囲気が変わります。教室で活躍できなかった子が、地域に出ると積極的に活動したりします。課題がある子でも、子どもたち一人ひとり光るところが絶対にあって、周りの友だちが「君、すごいね」と言える瞬間は必ずあります。そんな瞬間があると、子ども同士で認め合うことができ、学校に足が遠のき始めた子でも気持ちが変わると思います。学校生活で一番長い時間を過ごすのが授業です。授業の中でそんな瞬間をたくさんつくりたいんです。

-地域の子どもたちが混じりあうという点の背景はどんなところに?
直接のきっかけは、本校の学区に住んでいる地域の特別支援学校に通う親御さんからの言葉でした。本校に通う児童は数名まとまって登校班で登校していますが、毎朝すれ違う時、その親御さんとお子さんが毎回、車道側によけていて、本校の児童が道の真ん中を歩いているので、我が物顔のように歩いているように感じ、悲しく思うということだったんです。それでハッとしました。同じ地域に住む、同じ小学生。本校に来てもいいはずのその子のことを私は何も知らなかったのです。それに、その親御さんにしたら、どうして自分たちがマイノリティのような扱いをされなきゃいけないのかと悔しい気持ちになったかもしれません。

-たしかに、インクルーシブ教育という点でも当たり前を疑うことは重要ですね。
私にも原体験があって、障害が有るとか無いとか関係なく同年代の子ども同士でもっと混ざったらいいのに、という思いがあります。幼少期からの経験としてあるのは、親戚のおじちゃんとの思い出です。おじちゃんは福岡大空襲の残留不発弾のせいで両腕が無く目も不自由です。おじちゃんの弟は爆発で亡くなってしまいました。ぎりぎり命が助かった小学1年のおじちゃんはその後、「就学免除」という名目で、学校に通うことはできませんでした。二十歳の時にやっと盲学校の中等部に入ることができ、その後も色々と苦労を重ね、大阪の盲学校の先生になりました。私が子どもの頃、おじちゃんのいる大阪に行き、身体や知的に障害がある子たちとキャンプに行ったり、一緒に遊んだりしていました。その頃から、同じ地域の同じ年代の子どもたち同士なのに、障がいの有無によって交流が少なく、友だちになる機会が少ないことに違和感がありました。そんなことが私の根底にあるかもしれません。

授業づくりが大好きだけど、学校全体や地域のことも考えるようになった

-副校長になったというキャリア選択についてもお聞きしたいです。前向きな気持ちで副校長になりましたか?
正直すごく迷いました。授業づくりが大好きだったからです。私は社会科を研究してきましたが、先日も家族で愛媛県松山市に旅行した時に、旅行先の近くにある正岡子規の母校にアポを取り、2時間くらい家族と別行動をして、自分が知りたいことを深めるということをしてきました。家族旅行の行先が教材研究をしたい地域や場所になったり、行った場所であらたな「材」を見つけたり、そういうことが好きなんです。だから現場から離れて管理職になるのはすごく迷いました。

-そうなんですね。20年間ずっと現場の教員としてやってきたんですか?
10年目くらいの時に授業づくりと学級経営の勘所が掴めたように感じたんですよね。子どもたちが自ら知識技能を得たり、分からないことを明確に認識できたり、私も前のめりになるような仕掛けができるようになってきたんです。だから本当は、それくらいの時期に、大学院や教育委員会などに所属し、現場を離れて学び直したかったのですが、異動のタイミングなどがうまく合わず、そのチャンスが一度も無いまま、ずっと現場で働き続けることになりました。

-その状態で副校長に進むのは葛藤がありましたよね?
もちろん。でも、授業づくりと学級経営の勘所を掴んだので、これを経験の浅い先生とも共有したいと思っています。個人による力量の差をどうやって学校全体で補い合えるのか、それが最近の関心事です。
もう少し視野を広げると、他の学校にも目が行きます。例えば、同じ市内でも、忙しい毎日の中では、つい先生が一方的にしゃべりすぎて子どもの問いを引き出せないまま45分間が終わってしまう授業を見ることもあります。まだまだそういう授業が多いのも事実だと思います。だから、もし自分の立場が変わり、さらに力をつければ、同じ市内の別の地域にも影響を及ぼせるかもしれないなとも考えました。

-副校長になって大切にしていることは何ですか?
まず教職員や保護者の方々とこまめに話すようにしています。最近はつかれて休職してしまう職員も増えています。少しでも未然に防ぐことができたらと、ちょっとしたことが起きたらすぐ話すことを心がけています。そのおかげかはわかりませんが、今年度、全員揃って年度末を迎えることができました。昨年度は私も躊躇してしまったんですよね。首を突っ込んだり口を出したりするのは違うのかなと思っていて。でも、今の状況では結果的にはそれで良かったのかなと思います。

職員と地域の「材」について情報共有しているとき

-地域の人たちとの関係づくりも心を砕いておられますか?
それは本当に大切にしています。2年間で合計30回、学校だよりを発行してそれを手渡しに行きました。自治会長さん、地区センター、ケアプラザ、学校運営協議会の商店主さん、児童委員や民生委員にも直接会いに行き、雑談も交えながら人間関係を深めています。そういう人たちは子どもたちのことを気にかけてくれるんですよね。登下校の見守りもそうですし、放課後のトラブル対応にも連携していただいたり、校外学習に協力していただいたり、大切なネットワークだと思っています。
電話も極力、私がとるようにしています。様々なステークホルダーがいる中で、その最初の接点に自分がいるというのは、大事なことだと思いました。セールスの電話もありますが、体験的な活動を伴う学びにつなげるチャンスもあるからです。

ケアプラザを訪ねたとき
地域の方がいらっしゃったとき

「選ばれる公立学校」になっていきたい

-これから先のビジョンもお伺いしたいのですがいかがでしょうか?
「地域まるごと学校」という構想では、ゆくゆくは土日の地域のお祭り日を学校の授業日にして、祭りの運営に子どもたちが参加するようなことをしてもいいと思っています。先生も出勤日にして参加し、もちろん月曜は代休日。従来のように管理職だけがちょこっと顔を出すよりよっぽど意味があると思います。準備から関わるなら、総合学習の時間を使って自治会館に行き地域の人と一緒に活動してもいい。地域の人もきっと喜びますよ。地域と学校が一体になっていく感じ。ワクワクしますよね。

-ワクワクしますね!
校門の鉄格子もできたら変えたいんです。遊園地の入口のように明るい雰囲気にして、もちろん校門脇には職員室や事務室があり、不審者対策をしっかりした上で、地域の人たちが学校のサポーターのように気軽に学校に来て関わっていただくのが理想的だと思います。

-子どもたちにとっても敷居が下がりそうですね。
本校在籍の児童だけでなく、学区内に住む特別支援学校の子、私立学校の子、オルタナティブスクールの子が、混じりあって活動して、地区に住む6~12歳の子たちの顔と名前が一致する地域になる。地域まるごと教室になることで、「選ばれる公立学校」になっていきたいですね。その結果「不登校」という概念もなくなっていくのではと思います。横浜市でも不登校児童生徒が8000人います。子どもたちから選んでもらえない学校になっていることを手をこまねいて見ているのではなく、何かできることはないかと考え続けていきたいです。

-自校のことだけを考えているわけではないのですね。
本校だけで取り組むのでもなく、できたら教育委員会からの施策で始まるのでもなく、この地域のステークホルダーが話題に出しながら、隣接する他の学校も含めて、進んでいければいいなぁと思います。副校長会に出て改めて認識しましたが、今は教員不足が喫緊の課題です。緊急かつ重要な課題ではありますが、先を見据えたことも考えたいじゃないですか。トライアル的に始めている本校の取り組みを知ってもらいながら、周囲の校長先生や副校長、指導主事の方々と共に、教育の目的に向けて、前向きに議論していきたいと思っています。

<編集後記>
「公立小学校の副校長先生」という存在にどんなイメージを持っているでしょうか? 業務に忙殺されて話すのが難しい、私は勝手にそう思っていました。実際にすごく忙しいとは思いますが、それでも理想像を、借り物の言葉ではなくご自分の言葉で語っていただきました。そう簡単なことではないけれど、夢を語るってステキなことです。本当にありがとうございました。
聞き手・文・編集:すーじー/鈴井孝史

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