水曜どうでしょうが示す『変わり続ける強さ』と、ゴリパラ見聞録が示す『変わらない強さ』

ゴリパラキッズになって約10年、北海道で家、建てますをきっかけに水曜どうでしょう藩士になって3年半になる。

ゴリパラ見聞録は長崎・浦上天主堂を激写する旅後半に衝撃を受けたのがきっかけだった。
水曜どうでしょうは、本編を初めて見たのがどうでしょうハウスからではあるものの、さぬき映画祭のコラボ企画が藤やん&うれしーとのファーストコンタクトだった。
もっと厳密に言うと、大学生の頃、20年前に別のゼミ(メディア論系)で水曜どうでしょうを卒論のテーマにしている同級生がいるというのを知ったのが、水曜どうでしょうの存在自体を初めて知った時だった。シンプルに「すげぇなぁ。」と思ったのを今でも覚えている。

さぬき映画祭のコラボ時期に話を戻す。
その頃はゴリパラキッズ目線でどうでしょうというものを見ていたし、確かにこんなディレクター陣と番組やってたら面白いだろうし、何より「このおっさん達、めちゃくちゃやな…」と勝手に思った。
とは言え、水曜どうでしょうを見るまでには至らなかった。本当に何を見たらいいのか分からなかったし、どんな番組かも全く分かっていなかったから、手を出すのが怖かったというのが正直なところ。
そこで突如始まったどうでしょうハウス。
何もかもが、衝撃だった…。
そこから対決列島〜ユーコンのDVDでどうでしょうマジックにまんまとハマってしまい、CLASSICと追加のDVDから2年弱で95%くらいのどうでしょうを見て、水曜どうでしょうがいかに最高なのかを恐ろしいほどに実感することになった。

同時にゴリパラも並行してずっと見ていたことで、よく比較されるようになったことも知ることになる。
ゴリパラは第二の水曜どうでしょうだと。

水曜どうでしょうにのめり込んだ今ならその例えは無理のないものだとは思う。

ただ、ゴリパラ見聞録と水曜どうでしょうは、表面上やっていること(フォーマット)自体はかなり正反対だとは思う。

大泉洋抜きで考えられた、ほぼ毎回違う企画(主に旅)をする水曜どうでしょう。
キッズから目的地を選んでもらってそれを一泊二日で達成するゴリパラ見聞録。

基本的に自分達がやりたいことをやる水曜どうでしょうと、キッズがいなければ基本的に成立しないゴリパラ見聞録。
考えれば当たり前の構図ではあるものの、これこそが両番組の本質なのでは?と思っている。

つまり、水曜どうでしょうは、どうでしょう軍団と「企画」を掛け合わせることで化学反応を起こす。
ゴリパラ見聞録はゴリパラ一行に対して一貫して変わらない一泊二日の旅という「ルーティン」を掛け合わせることで化学反応を起こさせている。
ゴリパラには5人目のメンバー(スタッフ)も化学反応の一つとして機能している。

多くの違う企画をして魅せるどうでしょう。
変わらないフォーマットで魅せるゴリパラ見聞録。

ゴリパラで時々「(サザエさんのような)永遠のマンネリ」というワードが出てくる。それは長年ゴリパラを見ていると確かに感じる。個人的にはゴリパラは爆発的な回と、しばらく落ち着いた旅が交互に訪れるバイオリズムがずっと続いていて、だからこそ15年も続けていられると思うし、レギュラー放送があまりにも濃すぎたことにより一旦幕を下ろした(下ろせざるを得なかった?)水曜どうでしょうも納得の帰結だったことが今ではよく分かる。復活後も様々な企画や旅を続けていきながらも、どうでしょうハウスではついに「迷走」する。
まぁ、迷走はしたけれども、それ故にあのとんでもない結末にも繋がったわけだが…。

迷走する水曜どうでしょう
マンネリ化するゴリパラ見聞録

これにはネガティブな意味は全く込めていない。むしろ、両番組とも長い歴史を刻みつけてきたからこそ、「ようやく辿り着いた領域」なのだ。
ゴリパラ見聞録は番組が終わることなく15年目に突入した。この継続性は一旦レギュラー放送に幕を下ろした水曜どうでしょうには、絶対に追いつくことはできない。いわば、毎週「新作」を放送できているのだから。それはゴリパラキッズとして誇りに思う。逆に知名度や人気はまだまだ水曜どうでしょうには遠く及ばないのも、これまた事実。

結局のところ、

水曜どうでしょうは企画というフィルターを通じて「変わり続ける姿」を見せることで藩士を楽しませる。

ゴリパラ見聞録はいつまで経っても「変わらない姿」を見せることでキッズを楽しませている。

変わり続けながら、変わらないでいながらも、そこから絞り出てくる一滴の雫は藤村さんが言っていたように、それぞれの関係性なのだろう。
大泉洋、鈴井貴之、藤やん、うれしーの4人だからこそ出てくるもの
ゴリさん、優さん、ぺぺさん、トミさん(+スタッフ)の4人だからこそ出てくるもの

これが両番組の魅力の全てなのだろう。
番組の「味」と言ってもいい。

これが自分なりの結論だ。

どちらの番組もこのメンバーでなければここまで長く人気が続くことはなかったと思う。
ロックバンドが長く続けられていることと同じくらいの奇跡に値するものだと、自分としては感じている。

変わり続けることも、変わらずに続けていくことも、一朝一夕でできることじゃない。だからこそ両番組が醸し出す成熟味は並のバラエティでは再現できないのだ。
どうでしょう幹部が老年期とまで言っている水曜どうでしょうがここからどうなっていくのか、トミさんも含め一行が50代以上になった時ゴリパラがどうなっていくのか。
両番組とも、ここからは進化ではなく、より「深化」していくだろうし、そしてここまで来れば、それは決して番組としての後退には繋がらない。

だからこそ、

変わり続ける水曜どうでしょうは強いし、
変わらないで居続けるゴリパラ見聞録も強い。

どちらも(当事者達が強く意識しているかは別にして)信念を曲げずに突き抜け続けた結果なのだ。
いちファンとしての憶測でしかないが、どちらも最期までやり切ると腹を括っていると思う。

一度だけでいい。

大泉洋
鈴井貴之
藤村さん
嬉野さん
ゴリさん
優さん
ぺぺさん
トミさん

この8人が集まる瞬間を見ることができたなら、それこそ、本望だ。

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