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(6) 当事者の知らぬ間に、物事が進んでゆく(2023.9改)

与党本部はモリの動きに翻弄されていたと言ってもいいかもしれない。
ブルーインパクト社を巡るプレイヤー数が増えた事で、情報が錯綜してゆく。モリが狙った訳でもないのだが、会社と富山の未来を見据えて動いたら、モリ本人も全く予測しない状況に周囲が陥っていた。

ベトナム大使、シンガポール大使との面談を皮切りに、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンの大使と面会すると、中国、米国、オーストラリア、ロシアの大使館を一人で訪問していった。
5日間の夜間の時間帯を使って、各国大使のスケジュールを押さえてアポを取り、挨拶レベルではなく面談までこなすのは日本の外相、いや首相であっても難しいだろうと各国の諜報機関が思っていた。それだけ会社として評価され、各国の注目を集めているからなのだろうが、大使館側がモリと対話するために調整しなければ、到底できなかっただろう。

中国とアメリカ両大使館の動きは日本政府と与党に影響を及ぼす。
「大使は出掛けており不在だった。その御仁が大使館員の誰と会ったのか来館記録もない。ビザ申請手続きの来訪者リストにも見当たらなかった」とはぐらかした。起業したての民間企業を大国が相手にするはずがない、というプライドが作用したのかもしれない。

一方で両国はブルーインパクト社には関心があるのが簡単に露呈する。両国を始めとする大使館員が頻繁に石川県かほく市に現れ、ブルーインパクト社のテストと思われる作業風景を少々離れた場所から偵察しているのを互いに目撃しあっていたからだ。

与党本部に動揺が生じたのはアメリカ大使からの要請だった。
金森氏と杜氏への尾行などの偵察行為の一切から手を引く様に連絡があった。

公安は難易度の高い事案から手を引ける、肩の荷が下りたとホッとしていたが、この米国大使の要請があらぬ誤解を招いてしまう。モリは米国組織の構成員もしくは協力者の可能性が高いと与党が誤認、判断してしまう。

極めて情けない話だが、詳細に調査する能力がないために誤認する。まずは宗主国に忖度することが最優先となり、公安に撤退指示を出し、新人候補者の擁立までも諦めてしまう。 富山県の県知事選から事実上の撤退を党の幹部は決断してしまう。
形式上は現職知事の1本化となるが、既に旗色も悪いのでテコ入れもせずに4期に渡って知事を努めた者への餞別のような、長年ご苦労様でした的な位置づけとする。金森が知事になってから、富山県連で包囲し、与党サイドに取り込んでしまおうとする県議連の思惑も加わって、党としての判断がブレたようになるが、仕方ないと判断した。

与党の新人候補擁立の動きが急にストップしたと察知した野党も、新人擁立を見送り、金森氏支持の姿勢に転じた。与党と同じように、知事になってから野党連合に取り込めばいいと安易に判断した。
野党の場合は冒頭から甘い見込みが崩壊してゆく。
金森陣営は野党幹部の応援演説等の選挙協力のすべてを断った。「無所属でどこまで出来るのか、自分たちの力量を試してみたい」と鮎に建前を言わせ、以降の場面場面で野党連合にすり寄られるのをモリが嫌悪した。

与党と野党のスタンスに与してしまえば、金森鮎という存在は埋没、没個性化する。
具体例を上げると、反原発、汚染水海洋廃棄反対と散々唱えていた与党議員が、大臣ポストを受け入れる為に持論を封印し、体制にホイホイ迎合して素知らぬフリをする。有権者は呆れるのが普通なのだが、彼らは次の選挙で当選してさまう。
そんな連中が、日本の政治にのさばるのを許し続けたので、政治家のレベルが下がり続けている。

個を確立するためには、特定の陣営に汲みせず、今は中立の立場を貫き通すのが賢明だとモリは判断した。

金森陣営が野党連合一線を画したとの情報が伝わると、与党本部と富山県連は金森を与する可能性もありえると、またまた誤認するのだが、そう思うのも仕方がない。
日本の政治で独立独歩が罷り通るとは誰も思っていなかった。嘗て、数多くの新党が誕生した。しかしどの党も瓦解してしまった。唯一首相を生み出した新党が出たが、1日天下でゴミのような扱いとなって終わった。
今回は一介の大学教授、しかも海洋生物学者に何が出来る?と思うのが通常だ。底が見えるのも時間の問題だと当初は誰もが思っていた。
しかし、米国大使が介入し、中国や東南アジア各国が絡んでくると状況は変わってくる、それが属国体質が染み込んでいる与党であり、日本という国家だった。

県知事候補の金森鮎のこれまでのアクションと、義理の息子が関与しているベンチャー企業の動向を、閣僚、官僚、政府のスタッフ全員、そしてメディアが注目しはじめる。今までの新人候補者とは何か違うと思い始める。

公約発表前から、農業・漁業支援に加えて県内企業への支援策の数々が繰り広げられ、同日投票日となる都知事選以上の扱いとしてメディアが取り上げると、当事者である富山県民も、選挙前から活発に動く候補者の登場に沸き立ち始める。
今までにない候補者と、現職の知事が比較される。4期努めて5選を目指しているが、この4期で知事と県議連は何を成し遂げたのか?と県民は周囲を見渡し、振り返る。
テレビをつければコロナに奔放され続けて、ただ慌てふためき混乱し続けている政府と閣僚が映し出される。この政府と官僚機構には何も備わっていない、危機管理能力が欠如しているのが露呈した。緊急事態宣言を出すだけで、国民に自助を求めるような首相を輩出し、トップに据える国なのだ。

国が混沌とした状況下で、富山という人口100万人程度でしかない県で、既存政党に依存しようとも寄り添いもしない知事候補者が立ち上がろうとしている。
「今までの知事選とは何かが違う」「どうせ大勢に飲み込まれて終わるだけだ」
富山県民にインタビューするメディアは後者よりも、前者のように金森候補者を前向きに捉えている県民が多いと察知し始めていた。
「富山で変革が起きるかもしれない」という雰囲気を掴んだメディアは、連日取材し報じてゆくようになる。片方の陣営が富山の明るい未来を語れば、停滞した県政を続けてきた知事陣営が「引き立て役」のように扱われる。メディアが平等に取材しているはずなのに、どの放送局も既に投票結果が出たかのように報じてしまうのが、今回の富山知事選だった。

しかし、金森本人も候補者届けを提出していない。候補者受付の門は閉ざされていないのだ。選挙自体も何が起きるか分からない。現職の知事はそれが分かっているから、可能性に掛ける。相手は、全ての政党の協力も拒むような異端者だ。
金森氏本人に何かが起きるかもしれないし、立候補を取りやめるかもしれない。事実、その手の前例も決して少なくはない、と。
ーーー
横浜の杜邸にやって来た杏は、微妙な立場に置かれていた。
杜家内に漂う不協和音の、そもそもの発端は知事選への立候補騒動から始まった。
また、5人の娘が順次成人を迎えるタイミングとなり、本人の判断で杜家の養子になるプランが水面下で決まっていた。その裏では娘たちの母3人も家族として杜家に合流するという思惑が存在したことで、養父と養母となる2人の間と、モリと鮎の関係がギクシャクしたものとなった。3人が互いに相談の場を持たぬままスタートした格好となり、不協和音がさらに大きくなった。その状態の中で横浜の家に蛍が合流したので、夫婦間の溝は解消されないまま、周囲は腫れ物に触るかのような日々を過ごしていた。

モリにも落ち度は少なからずある。蛍と鮎が直前になって相談できずにいたのも、起業と教え子4人との関係の2件を隠していたからだ。

母親陣営は寛容にもすべてを受け入れた上で、3人の母を新たに受け入れろとモリに迫っている状況となっている。しかし現実問題として、モリが悩み、困惑するのが分からないでもない。妻が2人いるのに新たに3人増えて、一線を超えてしまった4人の教え子が娘になるという状況を、何の苦もなく全面的に受け入れられるはずがないのも、当事者の誰もが思っていた。

教師と起業のどちらが副業なのか、本人も分からなくなりつつある中で、夕方は大使館員や大使と会食して帰りが遅くなる。方や妻や娘と言っていいのか甚だ疑問だが、8人が家族として加わる家になろうとしている問題がのし掛かる。娘である玲子との関係を母親はどう思っているのか?鮎と蛍とどんな話をして、養子縁組という発想に行き着いたのか? 状況を知らない者、全く聞いていなかった者としては確認しておきたい。

それで大森の家に寄って翔子から事情を聞き、そのまま目の前の欲求に支配されて寝泊まりし、明け方は学校に出掛けていった。この時点でモリは手一杯で、実子と彩乃の存在がすっぽりと頭から抜け落ちていた。

「さて、どうしよう?」と横浜の家にいる杏も考えどころとなる。
今のギクシャクした状況は中学生にも何となく伝わってしまう。特に、あゆみと彩乃は不思議に思うのも当然だろう。「なぜお父さんは翔子叔母様の居る大森の家で寝泊まり出来るの?」と普通は思う。
「大使館の人達との会食で、夜が遅くなっちゃったのよ・・」と横浜まで帰ってこない理由を説明するが、疑問は簡単には解消されないだろう。そこで玲子もしくは里子が大森に入ると、さすがのモリも大森には泊まれないのではないかと考えた。

あゆみは、杏より具体的な行動に出た。

「彩乃ちゃんが寂しがってるから、今日は絶対に帰ってきてね」と職員室で父親に告げる。

しかも、他の教員に聞こえるように。

職員室内では「今の発言はどういう事?」と教職員たちが不思議がる。

中2の彩乃のクラス担任が「成人になったら養女になる前提で、父の代わりとして共に暮らしています」と暴露する。そうすると彩乃の姉のサチが先に成人となって養女となり、富山にいる3人の大学生も養女になるのだろうか?と、疑問を抱く。

「それよりも、実子と養子で10人だ。生活できないだろう?」と同じような給与の教師は誰もが考える。大学進学が重なるし無理だろうと考える。

「モリ先生、養子受入れを検討されてるんですって?」と誰彼となく直球の質問をするようになり、「はい。その予定です」とモリは答えるしかない。

養子縁組が「当事者たちの同意なしには成立しない」ので、「養父の知らないうちに、話が進められていた」と、事実は口が裂けても言えないのだ。教職員の間で話があっという間に広まる。

「なるほど、当選を睨んだ人材補強の一環か」、「大学生たちは広報的な役割を担うのだろう」などと、職員室での格好の話題素材となる。
「彩乃の成人前のパパ役放棄は言語道断だ、養子縁組は認められない」とクソ真面目な教師が狼煙を上げかねない。そう、養父と養母にはまっとうな夫婦である事が求められる。

昨夜は「家庭内不倫行為」に及んでいた夫がオドオドしながら帰宅する。
「どの面下げて、帰ってきやがった!」といった状況なのだが、昨夜は塞いでいた彩乃の笑顔が元に戻っただけで、円満な状況に戻ったように見えてしまう。

夫婦間の溝は依然として残ったままなのだが。

ーーー
ベトナム南部メコンデルタで田植えや田起こしをしているバギーが散見されるようになる。カントーという都市に「PB Aguri- Machine Ltd」農機具レンタル会社が設立され、サービス事業が始まった。
例年2月と6月に手植えで植えられるが、6月は猛暑で夜中に植える年もある。しかし、バギーには暑かろうが雨が降ろうが関係ない。

ベトナム南部にある第二の都市ホーチミン市に「プルシアンブルー・V社」を設立し、会長に就任したゴードン・サムスナーはメコンデルタでの農耕用バギーのサービス開始と、メコンデルタの耕作放棄地と17haの面積の田んぼの購入を発表した。

モリが日本のベトナム大使館に依頼していた、カントー市在住の英語を話せる方々を対象にネット会議で面接し5名全員採用し、エンジニア2名がOJTで1週間サポートしていた。
以降は、不明点やトラブル対応は日本側に問合せながらの操業となる。時差も離れていないので、日本側もベトナム側も困らない。

農家さん向けの「田植えサービス」の概要だが、対象となる田んぼの面積を「何人の人を投入して、どの位の時間で終わるか」で、現状の人件費を算出し、その50%の費用で作業委託して、作業完了後に費用請求する。そんなサービスが始まっていた。稲刈りも同じようになる。

ゴードンは会見で述べる。
「人件費の掛からない、自社の田んぼ17haの約半数の田で取れたインディカ米の半数を、この秋からアフリカ、中南米などの貧困層を援助しているNGO、NPOに無償で提供します。年に2から3回収穫できるメコンデルタなどの東南アジア、南アジアのデルタ地帯に、我々は注目しておりました。コロナの収束次第ですが、タイやバングラデシュ等でも同じサービスの導入を検討しております」と、無人機が社会貢献にも役立つとさりげなくPRする。
土地を購入して、すべてを利益に繋げてしまうと、ベトナムの人々の印象を損ねるかもしれないので。

実際は農機具の提供だが、商社としての機能も持たせようとしていた。カントー市の事務所のメコン川沿いの敷地に食料品倉庫を建設し、自動運搬車両としてバギーを倉庫内で稼働させる。

タイ、マレーシア、ヴェトナムの穀物、食品メーカー製品、現地法人製造のコーラやビールの飲料等等を仕入れてカントー市の自動倉庫に運び入れ、メコン川下流域からダイレクト運搬船で、富山と金沢に物資を送ろうとしていた。

倉庫の建設着工式に日本から来た3人が参加して、建設が始まった。
この倉庫に集められた食品はおいおい日本に運ばれてゆくと、式典参加者の業者達が脳内ソロバンを弾いて笑みを浮かべていた。

ブルーインパクト社のエンジニアチームが、富山市と金沢市内に展開している地方型スーパーのリサーチ活動をしていた。その調査レポートを会長と社長、副社長に提出すると、調査したエンジニアたちの「オススメ」のスーパーが有力だとネット会議で決断し、富山市と金沢市のスーパーの資本提携の提案に動き始めてゆく。
買収ではなく、店舗売上を上げる為の提案となる。

地方で数店舗経営のスーパーの資本は数千万円が定番となっている。そこへ各社に1億円投入し、5千万を資本金へ、3店舗なら3千万を店舗改装へ、残りをパートを含む従業員の本年度分の給与の積み上げ費用とする。企業情報と取引先情報で入手していたデータから、ラフな経営改善案を作成して源 玲子とエンジニア2名のトリオで初回訪問。都市圏の大型スーパー出店に押されて、苦しい経営に追い込まれている地方のスーパーから救世主のように歓迎されると、詳細のコンサルに入る許可を貰って里子と樹里の親子と玲子の3人がレジ打ち、品出しのパートさんに加わり、従業員の話を聞く。経営者への陰口等の話は何気に重要だったりする。  

詳細提案前の数日の調査で、「資本投入すべき」と判定されると週末、モリとサミアがやって来て、経営層に対してプレゼンが行われる運びとなってゆく。​

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かほく市のブルーインパクト社の事務所で、テイクアウト用のインドカレーとナンと飲み物の販売をサミアが始めた。
周辺のインド料理店の油まみれの料理を嫌がるエンジニア達が、「サミアが作ったカレーなら、絶対に売れる」と豪語したので、試しに始めたのがキッカケだった。売れなければエンジニアの晩ごはんにすればいい、とサミアは安易な気持ちで始めた。

エンジニア達は会社のホームページととえ動画でさり気なく「CIOカレー、地元限定で販売開始!」とエプロン姿のサミアの写真・映像とともに紹介した。

初日はパラパラと売れたが、たまたま食した方々がインフルエンサーとなって、口コミとSNSで拡がって行ったのだが、少量しか作っていないので1週間で完売御礼となる。

スーパーの暫定パートが終わった、里子、樹里、玲子は10時に事務所に現れ、サミアのレシピ通りに製造し、お昼と夕方の販売に集中してゆく。

「テイクアウトなら、車両販売でもいいよね?」と口にした樹里の一言がエンジニア達の商魂を刺激、金沢市内のキャンピングカー販売店で貰った見積と、エンジニアの設備購入要望書がモリのメールに届いた。
減価償却までしっかり計算されており、キャンピングカー2台の購入が決定する。エンジニア達のレクリエーション、キャンプにも使えるだろうと快諾した。  

それだけ売れるのなら、提携予定のスーパーの駐車場にキャンピングカーを停めて、お試し販売してもよいかもしれないとモリは考えた。

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富山駅の路地を入った店舗跡を選挙事務所として借りた。

そこで金森鮎と村井幸乃が内部のレイアウトをどうしようと、話し合っていた。

ポスターは今年の田植えで孫が撮った写真を選んだ。鮎の後ろには合掌造り住宅が並んでいる。「ここまで来たんだな・・」なんとか辿り着いた、とも思い、感慨深いものを感じていた。

モリは「今は当選を目的にしてはいけない。知事として何をなすべきかを常に考えなさい」と言われたが、鮎には当選までの道のりが不安で、まだ不確かなものとして感じていた。

それでもサミアが持って来た、公約であり、知事になったあとの「富山レボリューション」は分厚いものだった。鮎は涙した。副長として鮎を支えている村井幸乃は驚いた。こんな選挙公約は、見たことがないと。

「最初に作ったプランは、夫とボスによって大部分が修正されました。少し悔しい部分もありますが、内容には満足しています。カレーショップは予想外でしたが」

「ご主人がベトナムに行かれたのも、このスーパー支援の為ですものね」

「はい。物価高に手っ取り早く対応するには、コストの安い国に拠点を持つのが効果的なんだそうです。ビール好きなボスと、コーラ好きな夫が意気投合してベトナムになりました。でも、感染者が少ないだけ、食品が安いだけとは私には思えないのです・・」
500mlのコーラが50円, 350mlのラガービールが90円. 日本メーカーのベトナム工場の食品や菓子は日本の6割の価格だった。

「たしかに安い。果物も日用品雑貨類も。提携するスーパーの目玉商品として売れるでしょう。
そうだ、農地も買ったでしょう?コロナの後を考えてるんじゃないでしょうか。中国に進出している日本企業の受け皿にベトナムがなるのを想定しているとか」

「誘致のための金融機関との提携なんて話は聞かれてますか?」鮎がサミアに訊ねる。

「いえ。工場誘致となると現地を見ないと判断できないですよね。確かに拠点を構えたら調査も出来る・・あの、でも県ではなくて、国が関与するような話ですよね?外交も絡みますから・・」

「外交・・そうですよね。モリさんが大使館廻りしてるから、つい脱線しちゃいました」

「それでもタイ、マレーシア、ヴェトナムの食品、他にも多くの国と関係を持とうとしている。ブルーインパクト社とスーパーだけの話じゃないような気がするのよね・・」

「ボスの頭の中は玉手箱みたいで、正直よく分かりません」
私もそう思う。横浜から采配を振るいながら、暗躍までしている・・。

「お待たせしましたー、インディアンサマーですー」

樹里が大鍋の乗った手押し車を押して入ってきた。玲子はナンを焼くセラミックの壺を持ってきた。里子が小麦粉類だろうか、サミアはサリーを纏ってデザートらしきものを持ってきた。

エンジニア達がテーブルや椅子を運び入れて会場設営を始めた。

これから、鮎の高校の同窓生を集めて、コロナ禍らしくテイクアウトの食品と酒や飲み物を並べて饗す、キックオフ会を行なう。
宅配ずしやお弁当などが、到着しだすとそれなりの格好になってきた。

全て、みんなのおかげだった。
一つ重要な事に鮎は気付いた。この日の裏方さんは全員モリの関係者だった。そう思うと、胸が締め付けられるように感じた。

(つづく)


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