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ラオスでの暮らしとそれが始まるまで

ラオスに来て1ヶ月半
最近やっとビザや銀行諸々の手続きが全て終わって、正式にラオスのコミュニティにはいれたような気がしている今日この頃
まず自分がなにをしているかを簡単に説明
ラオスでなにしてるの?留学?インターン?ボランティア?がめちゃくちゃ聞かれる流れ

今回はそれらのどれでもなく、9ヶ月間のお仕事「日本語パートナーズ」としてラオスに来ています

簡単にいうと、ALTの日本語の授業バージョンみたいな感じ
ラオスの中等教育学校では今第2外国語の授業が導入されていて、日本語もそのうちの一つにある
だけど「日本語」専門の先生は中等教育学校には今いなくて、他の教科を教えている先生が日本語を勉強しながら教えている
だから先生も結構な日本語初心者で(先生としては立派に経験を積まれている)日本語での会話はほとんど通じないし、教えている内容が間違っていることも多々

そんな中お手伝いに入っているのがわたしたち日本語パートナーズ(通称NP)
授業中ネイティブとして発音のお手伝いをしたり、板書をしたり、生徒の質問に答えたり
授業外は宿題やテストの作成、丸付けをしたり、日本の文化を紹介するイベントを企画したり放課後に補修を行ったり、学校の行事に参加したり、、、
時には先生に日本語を教えたり、逆に先生にラオス語を教えてもらったり色んなところに連れて行ってもらったりと毎日盛りだくさんです

そんなかんなで念願のラオス長期滞在
2年半行きたくて行きたくて仕方なかったラオス
だけど初めはこれの内定いただいたとき、正直内定を承諾するかめちゃくちゃ迷った

夢だった長期留学が去年延期になって延期になって結局中止になったことがどうしてもトラウマで、自分がラオスにいる想像ができなくなってしまったのと、もし派遣されなかったとしたら休学もしない予定だったから、渡航可否が出るまでだらだら待ってても就活間に合わないなあという焦り
(これを応募したとき実は第一希望はラオスじゃなくてタイだった。ラオスは第二希望で出した。理由としては応募時タイに滞在していたというのと、タイの方が帰国時期が早く就活に余裕が持てたというのと、ラオスよりも当時コロナ禍で開国政策がとられていて渡航可能性が高いと感じられたから。)
だから内定のメールを見たときはホストファミリーの家の片隅に隠れて泣いていたし、何が正解かわからなくなって泣いて将来の全てが不安になってて久しぶりに体調も崩したり、今までにないほどたくさんの人にこのこと(ラオスの内定を承諾するかどうか)を相談したりした
今まであまり人に相談しないまま深く考えずに将来の選択をしてきたから、今回の件でみんなに相談に乗ってもらったことは自分にとってとても大きなものだった
もうやめよう諦めて4年で卒業して就職しようと思ってたのに、相談に乗ってくれた人はみんなわたしが本来したかったこと、夢だったことがなんだったのかをちゃんと気づかせてくれた
「りかこにはラオスに行ってほしい」っていうみんなからの言葉が深く心に刺さったまま今でも抜けないでいる
わたしの大切な友だちは、ほんとのわたしの気持ちを代弁してくれた

その節は本当にありがとうございました皆様

肝心の就活は今もなおほとんど手付かずでやれやれという感じだけれど、内定を承諾して1ヶ月の研修を受けて、2年半ぶりにラオスに降り立ったことに対する後悔は一ミリもない

この1ヶ月本当に書き切れないほどたくさんのことがあってたくさんの人と出会いたくさんの学びがあったので、またコツコツ書き出していきたいなあ

今回も最後までお付き合いいただきありがとう

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