Small trip to Pattani パッタニー旅行記
もう半年ぐらい前の話だけど、昨日ちょっと嬉しいことを聞けたしこれはぜひみんなに知ってほしい内容なのでまとめてみた
テキトーなわたしの日記みたいな記事を読んでくれる人たちいつもありがとう
マレーシアとの国境付近にあるタイ南部の小さな県、パッタニー
外務省の危険度レベル3
(クーデターを経た混乱真っ盛りの、今でもたくさんの無実の人が拘束されているミャンマーの危険度レベルが2なので、これだけ見て比較したら相当危ない地域なんじゃないかと感じる人も多いんじゃないかと思う)
バンコクやチョンブリなどのタイ中心部、イサーン地方と呼ばれるタイ東北部に住むタイ人や日本人の知り合いは声を揃えて「危ない」という地域、パッタニー
皆行ったこともないのに
夜19時以降は外に出歩かない方がいいだとか、外国人は特に危ないだとか、ムスリムじゃない人は気をつけた方がいいだとか、言いたい放題だ
なぜ私がこの「危ない」地域に旅行することになったのか
理由は単に周りの友だちのおかげだと思う
正直タイに来るまで私も「危ない場所」という良くないステレオタイプを持っていた
タイ南部のパッタニー県、ヤラー県、ナラティワート県の3県を総称した「深南部」について浅はかな知識しかなかった私は、深南部近くのソンクラー西部に滞在することすら少し不安だった
対して、ディズニー映画「アラジン」が大好きなわたしは、ムスリムの文化に興味を持っていた
モスクやイスラム美術を中東で見ることが結構大きな夢だったりもしたぐらい
世界史で習った程度しか持ち合わせていなかったけど、タイ南部にはムスリムが多く住んでいて素敵なモスクがたくさんあるのも知っていたので、機会があればどこか行きたいな〜と軽く考えていたりもした
そして、約五ヶ月の滞在を通して、「深南部」と呼ばれるパッタニー、ナラティワートに住むムスリムの人、パッタニーにキャンパスのあるソンクラー・ナカリン大学に通っている、通っていた人など、本当にたくさんの人に会った
その人たちから、パッタニーにタイで1番美しいというパッタニー中央モスクや、反政府運動などの歴史を学べるクルセ・モスクがあることを教えてもらった
そこでしか食べれない特有の料理やスイーツもたくさん紹介してもらった
さらに、ナラティワート出身でソンクラー・ナカリン大学を卒業し友だちが、同大学で日本語を教えているタイ人の先生を紹介してくれた
もし私がパッタニーにきたら、その友だちと先生が車で案内して家に泊めてくれると言ってくれた
ソンクラー・ナカリン大学4年生のサトゥーン県出身の友だちが、もし私が本当にパッタニーに行きたいのなら、泊まっているソンクラーのオフィスからパッタニーまで一緒に連れて行ってくれて一緒に旅行してくれると言ってくれた
本当にタイ人はみんな優しい
彼らと話すうちに、その地に行ってみたい。と、強く思うようになっていた
1月末に帰国してしまうと、次はいつタイに来れるかどうかも分からなかった
行くなら今がチャンスじゃないか…?
ちなみに保険は2か月前に切れているし、このことが諸々にバレたらどうなるかはわからない
それらのリスクを差し引いてもどうしても行ってみたかった
単純に危険なことや禁止されていることに手を出すのが好きなだけかもしれないけど
ということで長すぎる前置きはここまでにして、帰国の直前、数日間パッタニーに行ってきました
(パッタニー出身の友だちはヤラーにも是非行ってほしいと言っていたが時間が限られていたのがとても残念、来年絶対行こう)
まず初めにソンクラー県ハートヤイのバスターミナルに連れて行ってもらい、パッタニー行きのチケットを購入
死にかけのエアコンとぎゅうぎゅうの人で目が回りそうだったけどわくわくが吹き飛ばしてくれたので問題なし
昼前について、ナラティワート出身の友達とその知り合いの先生と合流
ソンクラー・ナカリン大学で日本語を教えている日本人の先生ご夫婦を紹介してくれて、みんなで一緒にご飯を食べたり船に乗ってツアーをしてもらったり
久しぶりに日本語を話して自分の語彙力の低さにびっくりしたりもした
そのあとはかねてからの夢だった有名なモスクに連れて行ってもらって、夕方は川沿いで夕日を見てぶらぶら散歩をして、夜はテラス席のあるキラキラした屋台でご飯を食べて、先生のおうちに帰ってたくさんお話をした
次の日は食べて食べて食べまくった日だった
日本語学科の先生が日本語専攻の生徒たちをたくさん紹介してくれて、一緒に朝ごはん食べながらタイ語と日本語で楽しくおしゃべりができた
みんな日本に行ったことがないし同世代の日本人に会うのも初めてだったらしく、とっても積極的に関わってくれて愛おしすぎた
そのあとは南部のお菓子を買いに市場をぶらぶら
果たしてこんなに食べれるのかっていう量買った(食べれなかったので知り合いにあげた)
その後も屋台に行ったり市場に行ったりカフェに行ったり、いろんなものを食べていろんな人に会いに行っていろんなものを見れた
マレーシア料理に近い料理がたくさんあって、いわゆる”タイ料理”のようなものは少なかった印象
甘い料理もたくさんあった、私のお気に入りはโรตี(クレープのようなお菓子)
バンコクよりも物価が安く、50円ぐらいあればお腹いっぱいになるぐらい食べれるのも魅力の一つ
たまたま、友だちの友だちがパッタニーから私が滞在していたソンクラーへ帰るということだったので、遠慮なく車に乗せてもらえた
帰り道に友だちに、「パッタニーどうだった?危険だった?」って聞かれたから、「危険かもね、だって甘くて美味しいものを安く買えちゃうから。滞在してたら知らぬ間にめっちゃ太りそう」って答えといた
みんな共感してくれた
ここまで読んでくれた人の中で、パッタニーが「危険」と感じた人はいるだろうか
でも、私がここまで胸を張ってパッタニーは「危険」ではないといえるのは、紛れもなく旅をデザインしてくれて市街を連れて回ってくれた2人の友だちと先生のおかげだし、市街地よりは検問所が多く爆弾の被害件数も多い農村地の方には行っていないからだ
もちろんタイの他の地に比べたら事件に巻き込まれる可能性が高いかもしれないのは認める
それでもわたしはパッタニーのことが大好きになった
ヒジャーブをつけていないマラユー語の話せない外国人に対して、タイ語で優しく接してくれる市場や屋台の店員さん
(あとこれは個人的な見解だけど、ここの地域の人たちはマラユー語が第一言語で学校でタイ語を習うから、癖のない綺麗なタイ語を話してくれるのでとてもわかりやすい)
まだタイ語のわからないちいさな子どもたちも手を振ったら笑顔で振り返してくれたり、一緒に遊ぼって来てくれたり、みんなとてもかわいかった
港町ということもあり、皆のんびり生活していてゆったりとした時間が流れていた
このパッタニーで、イスラムの文化の美しさ、タイ人の優しさに触れた充実した幸せな三日間は、半年たった今でも鮮明に覚えている
連れてってくれて色々計画してくれたAdin、先生を紹介してくれて仕事の合間を縫ってわざわざならティワートから来てくれて私にたくさんの経験をさせてくれたAisyah、車でいろいろなところに連れて行ってくれてたくさんのことを教えてくれたzainoon先生、帰りに車で送ってくれたHanna、それ以外にもいろいろな人たちのおかげでこんなに素敵な旅になりました
ありがとう
また行くよ
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