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やっぱりラオスが好き


ラオス人に勝るほどのキーカーン(なまけもの)になってたので最低月一ぐらいで書きたいなあって思ってたのに気づけばもう1年ぐらい書いてないんよな

9ヶ月と1ヶ月半色んな学び、経験がありすぎてまとめることなんてできないから今思いついたことをちょっと簡単に
そんなことより今私が書かないといけないのは卒論だよ(分かってる)

そんなにラオス好き好きいって、結局何がいいんですか?って色んな人から色んな場面で聞かれるけど、簡潔に言語化するのはなかなかに難しい

とりあえずパッと思いついたふたつだけ、とりあえず、、
多分もっとあるけど
思いついたらまた今度書こう

ひとつめ
たくましく生きる
例えば市場とかで物を買うとき、あ、これはちょっとヤバそうだなとか、これ腐ってるみたいな色してるけど匂いとか意外と大丈そうだからいけるな、とかを繰り返してたら、だんだん食べたらダメなものの自分なりの基準とかがわかってきたりする
ラオス人は皆、当たり前のようにそうやって自分で判別して生きている
対して日本では、スーパーで物買って食べてる限りそんなジャッジを自分自身でするような場面にはなかなか遭遇しないなって思ったり
問題があれば選んだ自分のせいじゃなくて商品を売った人、作った人のせいな日本
こういういちいちのところでも、意識すれば全然違う価値観で生きてるんだなって感じる節は多々ある
でも、この例に関していうと、人間皆元々は自分で食べ物を探したり、作ったり、とったりしてたんだから、ラオスは人間の本来の暮らしに近いともいえる
もちろん食べ物以外にも、例を挙げればキリがないけど、生活に必要なもの全部が全部オーガナイズドされていて守られている日本に対して、自分たちで生きる術をトライアンドエラーで身につけていき、たくましく生きていくのが当たり前なラオス
だから、いざというときに日々の生活の知恵を使って生きていけるのは、日本人よりラオス人なんじゃないかと感じている

わたしは、そんなラオス人がとても好きだった

ラオスに来てすぐは、当たり前のようにある状況から知恵を使ってなんでも解決するラオス人の応用力や柔軟性の高さに驚いた
同時に、その頃のわたしは、日本に比べてモノが十分に揃ってなくていわゆる“不便”な場所ラオスで何もできなかった
でも、ラオスで過ごして、ラオス人の知恵を間近でみて学んでいくうちに、日本生まれ日本育ちにしては、ラオス人的な生き方を身につけられたんじゃないかなと感じている
文明化しすぎた世界に慣れて何が幸せかわからなくなって無駄に悩んでた頃の自分に比べたら、ラオスにいたときの私は人間的にたくましく生きていた

そんな自分が好きだった

“不便”と感じていたはずだったのに、いつの間にかそれが楽しいと感じるようになっていた


ふたつめ
“今”を生きる
目先の幸せしか考えてないから貯金なんてほとんどしないし、都市部で働いてる会社員や公務員の人たちでさえその日暮らしみたいな生活してるけど、みんないつもボーミーングン(お金ない)とか言って爆笑してる
でも、お金がなくてもなぜかみんな生きてるし、みんな楽しそうに幸せそうに生きている
わからない将来に期待をかけて見えない実態のないものを追い続けるよりも、今を生きたほうがいい
何も考えてなくていいし、実際なんかあったとしても大体なんとかなるもんだと
人生そんなもん
たくさんのラオス人たちが、身をもって教えてくれたこと

ラオスから離れて数ヶ月経った今も、このふたつスタンスは大切にしていきたいなあと思ってる

何が言いたいって、わたしはやっぱりラオスが好きだ

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