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「とほ宿」への長い道 その5

「とほ宿」の前身?ユースホステル

いわゆる普通の「ゲストハウス」と「とほ宿」の違いは、宿主と宿泊者、宿泊者同士の交流がある(ほぼ確実に)ことだろう。ゲストハウスの中でも旅人同士で交流しているところはあるが少数派だし、そのような宿は予約サイトを見ても簡単には見つからない。
このような「交流の宿」はむかしから存在している。「ユースホステル」という世界的組織だ。

大学のクラブの先輩で63になる人がいるが、高校生の頃ユースホステルに泊まりに行って大学生の人たちと交流したという。「旅の情報誌 とほ」の創刊が1986年だからそれよりだいぶ前の話だ。
とほ宿の宿主でも、ユースホステルでの体験が元になって宿を開業したという人もいる。

なぜとほ宿の宿主たちは「ユースホステル」ではなく「とほ宿」にしたのか、はよくわからない。当宿などは最初は只の民泊宿だったのが途中から「とほ」に加入したし。というか、あまり深く考えなかった人が多いのではないだろうか。
昨年の「とほネットワーク」総会は北海道の「東大雪ぬかびらユースホステル」で開催された。20人以上いる宿主たちが泊まったのだから宿の規模も当宿の3倍くらいある。大浴場もついていて全館空調付きで快適だった。あくまでも私見であるがユースホステルととほ宿の違いは
・「とほ宿」は小規模(過去自分が泊まったユースホステルは、しっかりした建物のところが多かった)
・「とほ宿」はアルコールに寛容(ユースホステルは館内禁酒だったり、持ち込み不可だったりするところがある)ユースホステルの場合、夜の交流会は「飲み会」でなく「ミーティング」「お茶会」だったりする
・「ユースホステル」は会員制(会員でなくても泊まれるが、一般料金のほうが少し高い)
ユースホステルととほ宿、どちらがいいとか悪いとかではなく、泊まる人の指向によるのではないかと思う。むしろユースホステルのほうが知名度は高いし志向的にもマジョリティだと思う。筆者の大学にも「ユースホステル同好会」があった。(ワンダーフォーゲル部を辞めてユース同好会に移った後輩が何人かいたが、うち1人は半年後に「雰囲気が合いませんでした」と言って戻ってきたこともある。)

底抜けに楽しかった宿「ドラム館」

さて、「とほ宿」の話に戻そう。1997年9月、前の回で雄冬の「ぼちぼちいこか」に泊まったことを書いた。その後、留萌、旭川、美瑛を経て、富良野の宿から狩勝峠を経て帯広に抜ける予定だったのだが、如何せん自転車なので途中で泊まらないとキツイ。「とほ」を見て何となく当日予約したのが新得の「ドラム館」だった。
大樹の「セキレイ館」と同じくごくごく普通の一戸建ての住宅で、しかも「大草原の小さな家」ではなく住宅街の中にあった。しかし9月の平日にも関わらずほぼ満杯。
夜は夕食=宴会で、アルコールに比例して宿泊客のテンションも上がり、大声で歓談し、しまいには踊りだした。旅人だけでなく、近所に住んでいる移住した若い人(というか筆者と同い年くらい)の人もやってきた。見ず知らずの土地にやってくると寂しいものだろうが、こうして交流する場所があれば心強いだろう」

そして戸を閉め切り、宿主がドラム、そのお兄さんがギター(だったと思う)を弾き耳をつんざく大音量で音楽を奏でてライブが始まった。何という奔放さ!翌日は多くの旅人に見送られて自転車で旅立った。
翌年は最初の宿にここを選んだ。その時は客もそれほど多くなく昨年ほどのバカ騒ぎはなかったが、話は弾み夜中の3時くらいまで延々と飲んだ。翌朝目が覚めたのが9時過ぎ。もう移動する気力も無く連泊が決定した。そして近くの湖にカヌーを漕ぎにいった。遊び終わって湖畔でビールを飲みながら何という贅沢な時間なんだろうと思った。隣にリゾートホテル「クラブメッドサホロ」のバンが停まっていて同じようなことをしていた。宿泊料金は4倍くらい違うのだろうが。

「ドラム館」リビングにて


宿主の沢村さんは如何にも関西人というノリの人で、終始ギャグばかり言っていた。警視庁が配布した指名手配書の写真のところに自分のものを上から貼り「この顔にピンときたら110番」などとふざけている。まあ底抜けに面白い宿だった。「ドラム館」は今でも営業している。


静かだが心地良さを感じた「待ちぼうけ」

その年「ドラム館」を後にして、帯広で豚丼の特盛を食べ、有名な「六花亭」で100円のケーキを3つ買いその場で食べた(自転車旅はものすごく腹が減る)。釧路まで行くには遠いので、途中JR根室本線の「厚内」という駅の近くにある「待ちぼうけ」という宿に泊まった。
ここも住宅街の中にあるごく普通の民家のような作りの宿だった。海沿いにあるが観光スポットが近くにあるわけではない。
しかし夕食に「ファイヤー定食」が出てきて驚いた。

「とほネットワーク」ホームページより引用

宿泊客は自分ともう一人だったと思う。宿主のゲタさんとそのまま飲み会になった。鮭を干した「トバ」と、近所で採れた果実を漬けたお酒をふるまっていただいた。
ゲタさんは強烈な個性の持ち主というほどではない。しかし、話の聞き方とか、間の取り方がすごく絶妙だった。聞き上手だが話を途切れさせない程度に自分も話を切り出す。相手のことを思いやりつつ、それを見せない。押しきせがましい部分が一切無い。
翌朝は歩いて数分のところにある海岸に日の出を見に行った。全く観光スポットでも無い場所だが、神々しさを感じた。

後年、北海道になかなか行けず「とほ宿」にはご無沙汰だったが、毎年4月に王子公園で「待ちぼうけ東京大会」が行われ、何度か参加した。北海道には遠くてなかなか行けないが、こうして旅人たちと飲んでいると旅に出たような心地になれる。
「旅人宿 待ちぼうけ」は今も営業中。昨年の総会で、宿主のゲタさんと10数年ぶりに再会した。全く変わっていなかった。

下宿のような宿「休坂」

道東の大都市といえば帯広と釧路だが、当時飲み会が長い宿として名を馳せていた宿があり、銭函の「小さな旅の博物館」と、釧路の町を見下ろす丘の上にあった「休坂」の名前は頻繁に名前が上がった。
最初にこの宿を訪問した時は、厚岸から自転車で国道を走ってきたのだが、この頃はまだ炭鉱夫が住んでいたと思われる長屋が残っていて、宿に着いた時には夕映えが宿を照らして何ともいえない味を出していた。
建物は藤子不二雄や石ノ森章太郎たちが暮らした「トキワ荘」のようなつくり。実際、以前は下宿屋だったという。茶色く変色した壁も、使い古された畳もそのままのようだ。そこで過ごしていた人たちの日々に思いを馳せた。宿主さんも「友だちの部屋に遊びに来たような感覚の宿を目指している」。と語っていた。
旅宿というかゲストハウスは空き家を活用したところが多い。しかし、モダンにリフォームして以前の面影をとどめていないところが多い。自分としては、そこに住んでいた人たちの「暮らしぶり」を味わうことも旅の一要素と思っている。だから今の宿は全くリフォームせずに使っている。

「休坂」玄関前にて


チェックインして市内の店で食事してから飲み会となる。自分は、名前は忘れたが値札の無い炉端焼き屋に行った。昭和の生き残りのような渋い店で、干物がびっくりするほど美味しかったことを覚えている。値段は自分のほぼ想定通りというか高くも安くもなかった。
そして宴会になる。宿主さんのペースで進むのだがほぼ笑い話というか、北海道の旅宿のナイショ話的なものが多かった。12時前になると宿主さんが中座し客同士で話をするのだが、3時くらいになりまた戻ってきて同じように飲む。新聞配達のバイトをしていたようだ。昼は「黒魔術」というスープカレー屋さんをされていた。
少しだけ寝て、翌朝宿から歩いて2分のとこにあったラーメン屋で朝ラーする。8時なのに開店前から何人か並んでいて、優しい味だった。400円くらいだったと思う。宿もそうだが、釧路という街全体で楽しませてくれた。
この「釧路 休坂」、残念ながら閉業されているようだ。

旅宿の魅力が凝縮された、小樽「ぽんぽん船」

ゲストハウスとか民泊といえば、だいたい街中か観光地のすぐ近くにあったりするのだが、「とほ宿」の場合はだいたい田舎の、しかもメジャーな観光地とはあまり縁の無い場所にある(当宿もそうだが)。
現在ある49の「とほ宿」のうち、街中にあるのは、「函館クロスロード」、「小樽 いちえ」、しまなみ海道の「かがやきの花」くらいだ。いずれもすぐ近くに飲食店があるので夕食提供はしていない。夕食時の歓談は無いし、飲み会の開始時間も遅めになってしまう。そのような状況で旅人同士の交流をして、リピーターを作るのだからむしろ強烈な個性が必要になるのではないかと思う。
「とほ宿」の思い出は尽きないのだが、旅宿オーラの強さという点でいうと、小樽の名物坂である「船見坂」のいちばん上にあった「ぽんぽん船」という宿が真っ先に思い浮かぶ。


大正・昭和を思わせる、茶色い木材がむき出しになった木造の建物。着いたのは17時くらいだったのだが既に旅人たちで溢れかえっている。室内には壁が見えないくらいにポスターやイベントの時の寄せ書きが貼ってあった。
19時過ぎから宴会が始まった、20人くらいいた宿泊客が全員自己紹介をして同じテーブルの人間同士で飲みながら歓談する。そして、宿主の「船長」さんがギターを弾いたりピアノを弾いたりして歌いだす。最後に船長さんの作詞した歌をみんなで歌った。旅の終わりの心情を詞にしていて、もうすぐ日常生活に戻らねばならない己の身の上と重ね合わせて涙が出そうになった。

最後はみんなで歌う

翌日朝5時過ぎに起きたら、縁側から日本海が広がっていて、前夜の喧騒が信じられないくらいの静寂、時間が止まったようだ。

朝食後、屋根の上に設えてあったテラスでコーヒーを飲みながら、小樽港を出港するフェリーを見送る。建物は古くても知恵と遊びココロ次第で無限に楽しい空間を作れるのだ。

屋根の上に特等席

すっかりこの宿に魅了されてしまい、その年の年越しはこの宿で過ごすことにした。
(つづく)

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