水戸学・・・なぜに日本では保守とリベラルが同じなのであるか・・

水戸学って、「愚民を導いてやる」って傾向が強いみたいです。


より

上記文抜粋
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 冒頭に掲げた図は、水戸学のイデオローグである藤田東湖の思想的影響を受けて尊王攘夷の水戸学的国体論者になった薩摩藩士の海江田信義が明治になってから著書に書いた図である。水戸学国体論の目指すところを分かりやすく示している。国家は一つの有機体であって、天皇を頭として、その指令のもとに人民は手足として使役される。15年戦争期の日本などは、まさにこの図の通りだったといえるだろう。
 権力の分立を否定する国家観である。こうした体制は、柔軟で合理的な思考をする良い指導者を得たときには、うまく機能することもある。権力を分立させなければならないというジョン・ロック以来の思想は、こうした体制が、指導者が間違った選択をしたとき、とんでもない暴走をすることがあるから、その反省に基づいて発展してきたのである。
 ゆえに司法・行政・立法の三権だけでなく、学問や報道なども行政権力から独立していなければならない。研究機関や報道機関の人事権を行政に握られるなどということは、決してあってはならない。NHKという公共放送や、日本学術会議のような学術団体の人事に行政府が介入しているという今日の事態は、確実に海江田信義が理想としていた国家への接近である。

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抜粋終わり



上記文抜粋
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 絶対的に正しいと信じ込める「普遍的な理論」があると、それを認めず、その理論に反する行動をとるような人びとを、右派は「売国奴・国賊」、左派は「反革命・人民の敵」など呼び方は異なるものの、いずれも存在してはいけない人間と考えるようになり、極端にいくと「殺してもかまわない」と考えるようになってしまうのだ。理論の中身は違っても、思考のロジックは同じである。
 そのような普遍的な理論などないのだ。さまざまな思想を学び、それぞれの違いを楽しみ、同じ事象を説明するにも、理論によって、さまざまな説明があり得ることを知る事、そうした多様性のある柔軟な知性でなければ未来は切り開けない。
 
 自民党は水戸学・国学的な皇国史観に凝り固まった日本会議の影響から脱しなければならない。日本共産党はマルクス主義を放棄して党名を変更すべきなのである。社会主義はマルクスの専売特許ではない。マルクス本人に社会主義に対する具体的ビジョンなど何もないのだから、マルクス主義など信じていても、未来は何も描けない。
 日本共産党も最近の中国の弾圧政策に対して抗議するのであれば、恥ずかしくて同じ党名など名乗れないはずである。同じ名前の党があれほど酷いことをするので、誤解を招き、選挙でも戦えないので、党名を変更します。理由はこれで十分であろう。

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抜粋終わり


魔のひき臼としての資本主義|浜崎洋介×川嶋政輝

リベラル思想も、本貫の一つは、「西欧の啓蒙思想」

啓蒙思想って「バカなおまえらを啓蒙してやる」って面があるのだ。

水戸学も、同様なモノがある。

なぜに、トンデモ思想の「水戸学」が、幕末に日本のセレブ・武士に流行ったのか・・・

どうも朱子学の「民を新たにする」ってところが、私にはふと頭に浮かぶ。

民を新たにする~儒教の経書の大学の一節であるけど。もとは「民と親する」なんだよね。王陽明が訂正したけど。

日本は、、江戸時代は、「朱子学」が、官学だったし、市中に流布していた儒家経書は、朱子学がメインのモノである。

朱子学は「人の話を聞きましょう」「諫言大事」「人間の理性などそんなに偉くない」「すべての人が聖人になれる」ってほかで言っているけど。
でも、水戸学には、それが無い。

朱子学で行くと少なくとも・・・

朝鮮の朱子学者・革命家の鄭道伝が



民は至って弱きものなり。されど力を以ってこれを怯えさせることはできぬ。(民は)至って愚かなり。されど智を以ってこれを欺くことはできぬ。即ちその心を得て心服させるべし。その心を得られなければ民はすぐ去ってゆく


智で欺くな~愚かと言っても、それを馬鹿にしたり可能性を軽視してはいけない。

といっているけど。

鄭道伝ような朱子学者の方が少ない。
人間って人よりも知恵や知識を持ち「啓蒙する」って言われると、出来ない人・無知な人を、バカにしたり無礙にするようになる。
それを朱子学では経書・啓蒙思想や水戸学では、根本理論書で、正当化していたのである。
まあ、その害毒が、大量に人を殺すのは、当然な話で・・・。まさに
「傲慢かつ出し惜しみをするのなら、周公のような才能があっても、評価できない」by論語の孔子。

ツイフェミや、昨今のリベラル派人士の、一種の傲慢さも「啓蒙してやる」というが一因である。

これは水戸学も同じで、水戸学に「普通の人の知性・可能性を大事にする」てなさそうですし。ましてや「天皇を崇拝する」てことへの疑義~すなわち「普遍性を信仰する」~天皇を是とする知性への懐疑 そんなものなど無い。

ようするに、近代西洋文明の宿痾の一つの「啓蒙精神の腐った奴」で「腐った朱子学者」の「西欧版」と「天皇カルト版」が日本を不法占拠していると、考えていい。

今「朱子学」がそこそこ見直されている。
でも、この「啓蒙主義的傾向」を見抜いて毒抜きをしないと、水戸学やマルクス主義のようにまた人を殺しまくるでしょう。
今度は、「天皇」も含めて日本人を根絶やしにするでしょうね。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。


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